その日、マッドは仕事を終えて渋い顔をした。何故なら依頼人が金を出し渋り始めたのだ。いや、正確に言え
ば出し渋り始めたというわけではない。というか出し渋り始めたのは別に仕事が終わってからではない。マッド
が仕事に取かかる前から、依頼人は依頼料の割引を懇願していた。むろん、マッドはをそれを一蹴して、仕事を
したわけなのだが。
 そして、結果。マッドが頼まれた相手を撃ち殺したその結果。依頼人は土下座をしていた。
 もはやどこから何を振っても金など出てこないと涙ながらに訴える依頼人を、マッドはしばらくの間足蹴にし
ていたが、依頼人の顔が何やら恍惚とし始めたので止めた。
 マッドの足が退いた依頼人は、はっとして普通の表情に戻り、お詫びに、というか足りない依頼料の代わりに、
と差し出したのが。

「……………。」

 マッドはそれを見て微妙な顔を作る。依頼人が差し出したのは、牛肉の塊だった。



Roast beef



 牛肉の塊なんぞ使いどころが限られているだろう。
 マッドはぶつぶつと文句を零しながら、荒野のど真ん中にあるお気に入りの塒にやって来た。
 使いどころが限られているどころか、早く使ってしまわないといけない。どうするか。干し肉にでもしろって
いうのか。
 金は想定よりも手に入らなかった事もマッドの不機嫌さを煽っている。
 が。
 それよりも何よりもマッドの機嫌を下降させるものが、塒である小屋の中にいた。
 ソファの上でもこっと盛り上がった砂色の物体。その中で、青い眼がきらりと光っている。もっさりと音がし
そうなくらい、もさもさした物体が持ち上がる。

「……………。」
「……………。」

 じぃっとこちらを見る青い眼を、マッドは完全に無視し、ソファの横を素通りする。すると、いつもの荒野な
らマッドを素通りするのはそちらのくせに、この時に限ってはもぞもぞっと追いかけてきた。マッドの無視を無
視するつもりらしい。
 台所へと向かうマッドの後を追いかけるもっさりした生命体――サンダウン・キッドは、本来ならば五千ドル
の賞金首である。その銃の腕は右に出る者はないとさえ言われるほどである。その事は、賞金稼ぎとして長年サ
ンダウンを追いかけているマッドが、一番良く知っている。
 だが、今、マッドは今まで対峙してきたサンダウンと、今現在マッドの周りをうろうろしているヒゲは、果た
して同一人物なのか。マッドは少し自信がない。
 台所の鍋の中に、ごろりと牛肉を転がす。マッドの隣にわざわざ立ったサンダウンが、マッドと牛肉を見比べ
ている。言いたいことはなんとなくわかるが、人と肉を見比べるな。

「………この肉は?」

 そして第一声がそれか。肉についての問い合わせが何よりも先に発すべきことだったのか。
 
「依頼料だ。」
「ほう……………。」

 しばらく無言だった後、

「珍しいな………。」

 沈黙後にやっと出た言葉がそれかい。マッドは渋い顔をますます渋くする。一時間以上絞り出した紅茶葉並に
渋い。

「それで、その肉はどうなるんだ…………?」
「おう、なんか腹立つからちょっと黙れや。」

 肉の末路に口出ししてきたヒゲに、マッドは取りあえず言外に、お前に口出しする権利はないと伝える。伝わ
っているかどうかは――伝わっていたとしても聞き入れられるかは不明だし、半分くらい無駄だろうな、という
思いが漂ってはいるが。
 しかし、牛肉の塊の末路など思い当たるものは幾許も無い。細切れにしてシチューにしてもいいが、それだと
せっかくのブロック肉が、という何ともせせこましい未練が心の中を横切る。どうやって始末を着けるか頭を悩
ませているのに、だ。
 だが、ブロック肉をそのまま使う料理など限られていて―――

「………ローストビーフ、か。」

 図らずもサンダウンと結論が一緒になった。サンダウンには口を出すなと迂遠ではあるが伝えたにも関わらず。
腹が立ったので、マッドはその長身の腹に一発、拳を叩きこんでやった。うぐっとか小さく呟いたので、少しだ
け溜飲が下がるが、それでもサンダウンにはそれほどのダメージにはならなかったようで、すぐに口を開く。サ
ンダウンの無口設定は、今日は迷子になっているらしい。

「しかし、この家にはオーブンなどないぞ。」
「オーブンなんかなくてもローストビーフくらい作れるに決まってんだろ。」
「そうなのか?」

 小首を傾げるヒゲに、マッドは生ぬるい視線を向ける。別にヒゲが小首を傾げる仕草など見たくもないのだが
視界に入ってくるので、せめて視線ぐらいは好きにさせて欲しい。

「大体、オーブンがないって俺が言ったところで、どうにかできんのか?ええ?石窯オーブンとかお前作れるの
か?」
「…………時間さえもらえれば。」
「とりあえずこの牛肉が腐るまでには無理だろうし、それ以前に俺がくれてやる必要はないくらいにてめぇは時
間に困ってねぇし、むしろ腐るほど有り余ってんだろうがよ。」
「…………牛肉と時間とのすれ違いだな。」

 何やら遠い眼をしているサンダウンは放っておいて、マッドは食糧庫から玉ねぎを引きずり出し、そしてサン
ダウンがさっきまで転がっていたソファに近づくと、ソファの下から赤ワインを引きずり出した。サンダウンが、
あっ、とか叫んだが無視する。
 マッドはこんな所にワインを仕込んだ記憶はない。つまり、これはサンダウンが隠し持っていた赤ワインとい
うことだが。

「よせ………!」
「うるせぇ!いつもいつも俺が置いてる酒を勝手に飲んでる奴に、俺の所業をとやかく言われる筋合いはねぇ!」
「……そもそも、何故ピンポイントで隠し場所が分かった?!」
「見覚えのない影がソファの下にあったら気づくわ!」

 取り返そうとするサンダウンの膝を蹴り、流石にこれは痛かったのかサンダウンが悶絶している間に、マッド
は赤ワインを並々と鍋に注ぐ。サンダウンの悲痛な叫びが聞こえたような気がしたが、気の所為だろう。
 膝を抱えたままいじけ始めたヒゲを放置して、マッドは牛肉に塩胡椒をふりかけ、ニンニクを練り込む。そし
て赤ワインを入れた鍋とは別のフライパンに牛肉を放り込み、表面だけを焼き上げる。
 足元では、肉の匂いに反応し始めたサンダウンが、うぞうぞし始めた。
 肉の表面を焼き上げると、鍋に開けていた赤ワインをフライパンの中にぶち込む。ついでに塩水も少し入れる。
本当はブイヨン的な何かも欲しいところだが、此処は荒野のど真ん中である。贅沢は言わない。

「………玉ねぎはどうするんだ。」

 にょきっと蹲っていたサンダウンが生えてきた。今のところ、役に立っていないヒゲは、恨めしそうにフライ
パンの中にぶち込まれたワインを眺めながら、食糧庫から出されて放置されっぱなしの玉ねぎの処遇について問
う。

「みじん切りにするんだが………あんた、やるか?」
「……………。」

 サンダウンは再び引っ込む。手伝おうという気はさらさらないらしい。蹴とばしてやりたい。が、火をかけて
いる場所で蹴とばしたら何が起こるか分からないので、耐える。
 牛肉は、時折転がしながら表面が赤ワインで染まるように、フライパンに蓋をして五分ほど煮る。
 牛肉が煮られている間、マッドは玉ねぎの皮を剥き、宣言通りみじん切りにし、牛肉をフライパンから取り出
すと、代わりに玉ねぎを入れる。これがソースになるのである。取り出された牛肉は、清潔な布でしばらく包ん
で保温しておく。冷めたら、これを切って後は食すだけである。

「おい、キッド。」

 足元で巨大な毛玉と化しているサンダウンを、マッドは見下ろす。毛玉の中で青い眼が光る。その眼を見据え、

「てめぇ、マジで何もしないつもりか。」

 ただ飯食いのサンダウン・キッドは、マッドを見上げ、
 
「………もちろん、食べるぞ。」 
 
 もしやその賞金額は無銭飲食で積み上げたのではないだろうな、という返答を吐き出した。