Ubrall sonst die Raserei








「あぅ……く……。」



 自分の下で身を捩って、声を抑える事に必死な男を見下ろし、サンダウンはやり方を間違えたと感
 じた。

 もっと早く組み敷いて、弄んでやったなら、マッドはサンダウンを撃ち殺したのかもしれない。

 マッドが絆される前に、泣き喚く身体を貫いてやれば良かった。

 けれどサンダウンはその手段をとらず、もっと姑息な手段を取って、じわりじわりとマッドの中を侵食
 していった。

 その所為で、マッドはサンダウンを憎む事すらできない。

 だが、後悔したところで、もう後戻りするには遅すぎる。

 再度露わにした肌は、いとも容易くサンダウンの手に馴染み、唇を重ねれば今までにない反応を返
 してくる。

 その眼いっぱいに自身への嫌悪を詰まらせているくせに、それを少しでも軽くしようとしたサンダ
 ウンの言葉さえ聞き入れようとしない。

 いや、サンダウンの言葉など今更だと思っているのかもしれない。

 今更、許せと言ったところで、マッドはもう何もかも許しているのだから、そんな言葉では肩代わ
 りにならないのだろう。

 

 せめて、と思う。



 せめて、マッドの中の何か一つでも欠けていたならば、と。


 マッドが、普段彼が見せるように軽薄な人間だったなら、
 
 その矜持や誇りが持っているものの半分以下だったなら、

 その言葉が紡ぐように心底利己的な人間だったなら、
 
 サンダウンの絶望になど気付かない鈍い人間だったなら、

 気付いても怖気づいて逃げてしまうような人間だったなら。


 そのどれか一つでも当て嵌まったのなら、何もかもをサンダウンの所為にして楽になれるのだろう
 が、残念ながらマッドはそのどれにも当て嵌まらない。

 マッドはその立ち振る舞いほど軽薄単純な人間ではないし、利己的でもない。

 天性とさえ言えるほど、他人の放つ気配には敏感で、その気配に怖気づいて後退るような性根でも
 ない。

 誇りも矜持も、人一倍高い。

 それ故に、この現状をサンダウンに投げ出して、知らぬ存ぜぬを貫き通せない。

 そもそも、そのうちどれか一つでも欠けていたなら、此処までサンダウンを捉えることも出来なか
 っただろうに。

 

 可哀そうに。



 マッドがマッドであるが故に、彼はサンダウンを捉えて捕えられてしまったのだ。

 世界を背負えるほどの内面の深さにサンダウンはつけ入って、病原菌のようにその中での居場所を
 広げていった。

 細胞深くまで入り込んだ病は、そう簡単には消え去らない。

 先程促したように、サンダウンを殺したとしても残された毒素はマッドを苛むに違いない。

 死という焼き鏝が、時として人を狂わせる事をサンダウンは良く知っている。
 
 それは、マッドも同じだろう。



 ―――だから、逃げたのか。



 殺す事で、言いようのない傷を負う事が分かっていたから、逃げたのか。

 そして、傷を負う事が分かるくらいに、サンダウンの立ち位置をその中で確固たるものにしていた
 のか。

 思い至った事実に、うっとりとして、サンダウンはマッドの肌の感触と味を楽しむ。

 挙句、自分の死でマッドを世界から奪い取れるのならばそれも良いと思っている自分は、あの悲し
 い世界に行ってその凍えを抱え込まずとも、十分にどうしようもないくらい狂っているのだろう。



 だが、マッドはそんな自分の狂気を見越したように、傷をいっぱいに背負った水晶体を抱えて、
 サンダウンに口付けた。

 その繊細すぎる指から銃は零れ落ち、呆れかえるほどあっさりとサンダウンを許した。

 世界を放り出さず、サンダウンさえ抱え込む事を選んだのだ。

 それから、ずっとサンダウンの口付けに答えている。


 

 ああ、そうだった。

 許せ、と言ったところで彼には無意味だった。

 謝罪も弁解も、彼は聞き入れないのだ。

 マッドは、煉獄の炎も浄化の光も指し示さないし、そんなものは背負っていないのだ。

 彼の手にした天秤は、いつだって地獄に傾いている。

 天秤に乗せられたサンダウンの魂と一緒に、マッドは地獄に転がり落ちるつもりだ。

 その身にサンダウンの狂気やら欲望やら絶望やら突き立てられて、それでも許してそれらを抱え込
 んで、腐臭のする硫黄と溶岩と氷の中に飛び込むのだ。

 

「う、あ………!」


 首筋から鎖骨の間へと舌を這わせる。   

 指先は胸をなぞり、少し感覚の違う皮膚を見つけた。

 瞬間に跳ね上がって零れた声。

 舌先もそちらへ向かわせると、悲鳴のような声が上がった。



「や、ああ……っ!」



 びくりと震えた身体を抑え込んで更に責めると、サンダウンの肩にしがみ付いていた指の力が強く
 なり、肩を覆っていたシャツに艶めかしい皺を作る。

 もう一本の腕は顔を隠すように眼元を覆っており、それを少し勿体ないと思い、サンダウンは苦笑
 いした。

 狂気から逃れるつもりが、別の狂気を抱え込んでしまったようだ。

 あの冷たい世界に引き込まれる狂気ではなく、この、熱そのもののような男がとろとろに蕩ける様
 を見たいという狂気。

 カリと胸の突起に歯を立てて、今一度悲鳴を上げさせ、狂った舌を徐々に下へと移動させていく。

 綺麗に筋肉のついた肋骨の下を通り、腹筋をなぞり臍に差し込むと、ぐっと力が入ったのが分かった。

 更にその下へと行くべく、逃げないように腰に腕を回しベルトに指を掛けると、マッドがはっと息
 を呑んだ。



「っキッド、ちょ……、待てっ!」



 途切れ途切れの焦ったような声を黙殺して、臍のすぐ下に口付けたままベルトを外していると、
 マッドが脚をばたつかせて嫌だと首を振る。

 身を起こすと、マッドはこれ以上は駄目だと首を振っていた。

 どうやら、身の内から湧き上がる熱を持て余して、処理の付け方が分からないらしい。

 熱を与える事に慣れた身体は、その逆――与えられる事には慣れておらず、どうすればよいのか分
 からないようだ。

 そんな身体を宥めるために、甘い色をした黒髪に指を差し込んで、柔らかく掻き混ぜながら口付ける。

 舌を絡め取りながら開いた手で、中断されていた作業を再開する。

 カチャカチャと金属音を立ててベルトを外すと、マッドの指が抵抗するように絡んできたが、呼吸
 を奪われている身体にはほとんど力が籠っていない。

 下肢に絡んでいる邪魔なものを下着ごと引き摺り降ろした時になって、サンダウンはようやくマッド
 を解放した。

 どうしようもないくらい息が上がっているマッドの眼には、睫毛には月のような滴が塗されている。

 陸に打ち上げられた魚のように喘ぐ口と胸は艶めいて、首から腰まで付いた所有印でさえ、その肌
 に映えて男を煽る。

 腰骨に口付けを一つ落とすと、それ以降への口付けに怯えてか、身体が震えた。

 

「い、やぁっ!」



 既に反応して薄い液を纏っている彼自身に口付けると、堪えようのない嬌声が上がった。

 同時にがくんと跳ねた身体を押え込みながら、内心で呟く。


 別に、傷つけたいわけではない、と。


 うつ伏せにして項から腰まで痕を残し、ひっきりなしに上がる嬌声を聞き、それでも傷つけたいわ
 けではないと呟く。

 ただ、この男の熱が爆ぜる瞬間が見たい。

 苦しめたいわけでも辱めたいのでもなく、この男がサンダウンの熱で蕩けて爆ぜる様が見たい。

 結果的に傷つけて苦しめて辱めているとしても。



「マッド………。」


 
 快感と熱に浮かされて、それでもなお理性にしがみつこうとしている耳元で、囁く。

 許せ、と。

 すると、喘ぐ口元が薄く笑んだ。

 仕方ねぇなぁ、と小さく荒い声が零れる。

 瞳は自己嫌悪に濡れて、サンダウンの狂気に貫かれて、それでも笑って許している。

 そんな彼に、最後の快楽を与えるべく狂気の牙を身体の奥深くに突き立てる。



「あ………!う、ああああっ!」



 顔を歪め眼をきつく閉じて、がくがくと震える身体のリズムに合わせて段階的に白濁した液が吐き
 出された。

 熱を吐き出して弛緩した身体は、短い息を吐いて何とかして快感から立ち直ろうとしている。

 その身体を、サンダウンは再び腕の中に閉じ込める。

 爆ぜる瞬間も、蕩ける瞬間も、どちらもサンダウンを十分に満足させるものだったけれど、一度見
 たらもう一度見たくなるのが人の性だ。

 

「あ、や、もぅ……っ!」


 
 再び厭らしく動き始めた指の動きに、マッドは身を捩る。

 だが、犯される身体には力が入らず、狂ったように這いまわる舌と指に翻弄される。

 それでも恨み言一つ言わないマッドは、健気にもほどがある。

 そこに付け込む事に罪悪感が募らないわけではないが、それ以上にこの男を求める狂気のほうが強い。

 上がる悲鳴を心地良いと思っている時点で、止めてやる事はできないのだ。

 悲鳴に懇願が混じり始めたのを聞き流しながら、サンダウンはマッドの身体を開き続けた。






 
 徹底的に熱と快楽を注ぎ込まれた身体は、ぴくりとも動かない。

 狂気の痕の付いた身体に優しく衣服を着せながら、サンダウンは後悔以上に満足している自分に気
 が付いていた。

 きっと、この男を此処まで溶かしたのは自分だけだ。

 その事に恐ろしいくらいに満足している。

 尤も、最後、マッドが失神するように倒れなければ、まだまだ続けていただろうが。

 涙の跡のついた頬に口付け、力ない身体を抱き寄せる。

 狂気を一身に受けた身体は、今、先程の情交などなかったかのような静けさを保っている。

 

 ―――まだ、眼を覚ますな。



 祈るようにサンダウンは思う。

 今、眼を覚ませば、また襲いかかるだろう。

 それほどに、この身に巣食う狂気は大きい。

 あの悲しく冷たい世界の絶望さえ呑みこんで、膨らみ続けている。

 そして結局、求めるのはこの男に行きつくあたり、この狂気はどう考えても自分自身に由来するも
 のだ。

 世界やら何やらに理由などは求められない。
 
 最初から、サンダウンには、この男だけが必要だったのだ。

 

 ―――きっと、もう、自由にはしてやれない。



 荒野を駆け巡っても、宇宙の果てまで飛んでいったとしても、二度とサンダウンからは離れられな
 いようにしてやる。

 それを許したのは、他でもないマッド本人だ。

 眼に見えない拘束が、蜘蛛の糸のように張り巡らされている事に、この男が気付いていないはずがない。

 それを、笑って許したのだ。

 ならば、もう、離してなどやらない。

 その銃弾がいつの日かサンダウンを撃ち抜いたとしても、未来永劫忘れないように、心身ともに侵
 食していってやろう。

 そんな事も、分かっているはずだ。




 米神に一つ、口付ける。

  
 何事か、小さく呟いた口にも、一つ。




 
 
 
 東の空が、白み始めた。












 そのほかはみな狂気の沙汰