忙しい年の瀬と年明けが終わり、ようやく人々の生活が元通りになり始めた頃、しかしまだ何処か浮ついた
  
 空気のあるその中で、その隙を突くようにかき消されたはずの火種が小さく燻ぶった。闇の中、ジジッという
 
 耳鳴りと間違えてしまいそうな音を立てては、煙草の火よりもかそけく赤い光が明滅する。
 
  それは彼の悲しい世界で、しかし確かに踏み躙られたはずの、おぞましい気配と同質のものだった。口を開
  
 いては呪詛を吐き散らし、ぽっかりと黒々とした闇を湛える眼窩を覗かせて、くすんだ色を周囲に広げていく。
 
  まるで、知らず知らずのうちに身体を蝕んでいく致命的な病魔のようだ。
  
  胡乱な声を上げて己の仲間を捜し、増やそうとするそれは、正に盲目の魔王だった。
  
  蹂躙された身体を元に戻そうとするかのように、歴史に世界に散在する仲間――いや寧ろそれ自身を求め、
  
 ただただ意味を成さぬ声を響かせる。
 
  そしてそれに応じるかのように、青褪めた馬のような馬蹄と嘶きが聞こえた。
  
  戻ってきた力の断片に、それは、口元を引き攣らせて笑った。
  
  
  
  
  
  
  
  
  Run Rabbit Junk
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  その憎しみの権化が僅かなりとも力を吹き返した余波は、あらゆる時代あらゆる場所に投げかけられた。
  
  太古の昔から遥かなる未来まで。
  
  
  
  
  
  BC XXXX年
  
  被っていた獣の皮からはみ出して、外気の寒さで眼を覚ましたポゴは、低く唸りながらもう一度獣の皮に包
  
 まろうとした。子供が生まれてから、妻はあんまりポゴに構ってくれなくなった。彼女は子育てで忙しい。
 
  子育てというのは非常に神経を使うのだ。小さな赤ん坊は、気を抜けばあっという間に死んでしまうのだ。
  
 そんな儚い存在を前にして、何故夫などに構っていられようか。
 
  独り身だった頃は、妻帯者の猟師達が家に居場所がないと嘆いていた事など他人事だったのだが、今ではも
  
 はや当事者の一人だ。
 
  さめざめと泣きたい気持ちになりながら、妻と子供から少し離れた場所で一人で毛皮に包まっていると、な
  
 んだかやけに居心地が悪い。
 
  いや、これはポゴの気分に比例しているのではなく、なんだか本当に尻のあたりが気持ち悪い。もぞもぞと
  
 触ってみると、何やらもっこりとした柔らかいものにあたった。怪訝に思って身体を捻り、見下ろすとそこに
 
 は白いふさふさとした物体がついている。引っ張っても痛いだけで取れない。
 
  そしてなんだか頭が重い事にも気づいた。ぺたんと頭を触ると、何かが、ある。が、それもやはり引っ張っ
  
 ても取れない。
 
  嫌な予感がして、慌てて洞窟を抜け出し、近くの水辺まで走る。
 
  まだ日は昇っていないが、月が明るい夜は、水に映っている覗きこんだ自分の顔がはっきりと見えた。そし
  
 て、自分の収まりの悪い髪の毛の間から生えた、長い耳も。
 
  
 
 
 
 
 
  AC 1XXX年
  
  その日、レイは朝早くから一人鍛錬をしていた。
  
  師範が早起きしては、弟子達が気を使う事は分かっている。しかし今朝は妙に気分が昂ぶって、布団の中で
  
 ゆっくりしている事は出来なかった。
 
  竹林の中、霜柱が立った地面の上で一通り型をとって、だがそれでも心が落ち着かない。まるで、敵を前に
  
 した時のように張り詰めている。こんな事、あの不可思議な体験――見知らぬ誰もいない世界へ飛ばされた時
 
 以来だ。
  
  
  ――まさか、また何か起こっているんじゃないだろうね。
    
  
  レイは心中でそう呟き、周囲に気を配る。
  
  また、知らず知らずのうちに奇妙な世界に迷い込んでしまったのではないかと、見回すがそこはいつもの竹
  
 林で、変わったところは一つもない。
 
  いや、ある。
  
  周囲ではなく、レイ自身に。
  
  なんだかさっきから、道着の腰のあたりがむずむずする。何か無理やりその部分に突っ込んだかのようだ。
  
 触ってみれば、そこだけ何やらもっこりしている。恐る恐る振り返れば、やはりその部分が膨らんでいて。
 
  いやその前に、振り返った時に何か茶色いものが視界に入った。自分の髪ではない。なんだかふさふさして
  
 いた。
 
 
 「なんだい、これ!」
 
 
  思わず叫んだレイの声に、眼を覚ましてレイを捜しに来ていた弟子達が駆け付けた。
  
  
 「どうしました、お師匠様!」
 
 
  笹を掻き分けて駆け付けた弟子達が見たのは、茶色い髪の間から、それよりも少し柔らかい色合いをした長
  
 い垂れ耳を覗かせた心山券師範の姿だった。
 
 
 
 
 
 
 
  AC 2XXX年
  
  カトゥーは身に覚えのないカスタマイズに頭を抱えていた。
  
  眼の前にいるのは、自分の第一号にして最高傑作である作業用ロボット。愛すべきキューブである。丸い身
  
 体を自前のキャタピラ付きの足で動かしながら、特に己の状況に文句はないらしい。
 
  しかし、彼の制作者にして育ての親であるカトゥーにしてみれば、この状況は文句どころか己の所業を疑わ
  
 ざるを得ない状況だった。
 
  作業用ロボットであるが、同時にロボットには有り得ない『意志』を持っていると思われる素振りをまま見
  
 せるキューブは、最近ではダースの意向もあって福祉施設にも出入りするようになった。その際は、入居者を
 
 喜ばせようと思って、いろんな趣向を凝らしたカスタマイズを――眼から虹色の光線が出るようにしたり、羽を
 
 付けてみたり――したものだ。それらは全てカトゥーの記憶の残っているし、設計図もちゃんと残してある。
 
  が、今あるキューブのカスタマイズ――丸い身体に長い耳――どう見てもうさ耳を付けたそれは、カトゥーの
  
 記憶にない。
 
  今朝起きたらそんな姿になっていた己のロボットに、カトゥーは必死で記憶を掘り起こす。
  
  昨夜は確かに飲みすぎた。途中から記憶は非常に曖昧で、キューブ相手に管を巻いていたあたりは微妙に覚え
  
 ている。が、それ以降の記憶は霧に包まれている。
 
  まさか酔った勢いでこんな事を?!
   
  頭を抱えるカトゥーの前で、キューブは相変わらず電子音を鳴らしていた。
  
  
  
  
  
  
  
  AC 186X年
  
  暗がりに潜む闇。
  
  足音一つ立てずに滑るように動く影は、あまりにも素早く常人ならば眼で追う事は不可能だろう。
  
  武士の世が少しずつ崩れ、徐々に庶民の世へと移り変わろうとしているその時代、それでも消えずに残るの
  
 が、闇に生き、薄暗い仕事を請け負う忍びだった。
 
  職業柄小柄が求められた彼らは、しかしその分その素早さに突出していた。
  
  今闇の中を掛ける彼は、その中でも特に素早く駆け、身体を跳ね上げる。その動きたるや戦国時代の忍びと
  
 同じ、いやそれ以上の動きではないだろうか。
 
  だが、闇を駆ける彼は別段仕事をしているわけでも敵に追われているわけでもなかった。
  
  主に『今日はおまんは非番ぜよ!』と片目を瞑って――西洋ではういんくと言うらしい――言われた忍びは、
  
 じゃあ久々に買い物でも、と思って町に出かけていたのだが、その最中。
 
  にゅっ。
  
  正にそんな音がしそうなくらい、唐突に、それは彼の頭から突き出したのだった。
  
  二本の、長い――――耳。
  
  しかも町中、公衆の面前で。
  
  彼がもしも気配に敏い忍でなければ、きっと気づかずにあのまま通りを闊歩していたに違いない。しかし幸
  
 か不幸か彼は忍で、己の変調に気づいてしまった。
  
 
  ひぃいいいいいいっ!
  
 
  気づいた瞬間、彼は声にならない声を上げて、走り去った。動揺のあまり何処をどう走ったのかも分からぬ
  
 彼の動きは、見た人いわく、まるで稲妻のようだったそうな。
 
 
 
 
 
 
 
  AC 199X年
  
  ほんの少し汚れた鏡を前に、日勝は眉間に皺を寄せ腕組みをしていた。彼がまるでリングに立った時のよう
  
 に顔を険しくさせているのは、他でもない鏡に映る日勝自身にある。
 
  別に日勝は、自分の顔についてとやかくいう趣味はない。顔など健全なる鍛え抜かれた肉体の上に乗っかっ
  
 ていれば良いだけの代物だ。
 
  が、では頭の上にある白くて長い耳については、流石の日勝も考え込まざるを得なかった。何故ならばこれ
  
 は本来ない器官だからだ。身体にひっついていれば良いものではなく、本来ひっついているべきではないもの
 
 である。そして日勝には、こんなものが生える覚えがない。
 
  しかし、どう考えても兎の耳であるそれは、日勝の頭にまるで昔からそうして生えていたのだというように、
  
 ぴったりとひっついて引っ張れば痛いだけだ。いや、本気になれば引き千切れるだろうが、後になんだか十円
 
 禿げが二つ残りそうな気がする。まあ禿げる事などどうでも良いのだけれど。
 
  うぬう、と一つ呻って、日勝は自分の身体にベストフィットしている耳を突く。感覚まであるそれは、やは
  
 り日勝の身体そのもののようだ。しかし何故生えたのか。もしかして知らないうちに、誰かからラーニングし
 
 ていたのだろうか。
 
  そして、はっと気づいた。
  
  
  ――このベストフィット感………!もしやこれは俺固有の技なのか?!
  
  
  だとすれば納得がいく。度重なる鍛錬の末、遂に自分の中の未知なる能力が目覚めたのだ。
  
  一人納得――ともすれば感激に打ち震える日勝に、兎の耳が生える技が一体何の役に立つんだ、という突っ
  
  込みをしてくれる人間は残念ながら此処にはいなかった。
  
  
  
  
  
  
  
  AC 20XX年
  
 
 「ふぬわーっ!!」
 
  
  その日、ちびっこハウスは超能力少年の絶叫で満たされていた。
  
  つんつん頭から黒い耳をなびかせたアキラは、まず自分の状態に叫んだ。うさ耳と兎の尻尾をつけた自分の
 
 姿は、所謂『萌え要素』を取り付けられた恰好だったからだ。
 
 
  これも自分の超能力のせいなのかー?!いやこんな超能力古今東西聞いたことねー!大体これは普通なら妙
  
 子にやるもんだろうが!そうだろ、松!
 
 
  パニクった頭でそれだけ一気に考えたところで、彼はたった一人の肉親である愛する妹の、おにいちゃーん!
  
 という悲鳴で我に返った。こんな姿カオリには見せられねぇ!と思うよりも先に身体が動いたのは、カオリの
 
 声が今までになく悲痛に満ちていたからだ。
 
 
  誰だカオリにそんな声を上げさせた奴は!ワタナベかワタナベかワタナベかあぁああ!
  
  
  言いがかりどころか八つ当たりにすらなっていない不当な疑惑をワタナベに向け、アキラは己の姿も顧みず
  
 ――もはや兄妹愛の極地である――黒い耳を靡かせてカオリの部屋へとダッシュする。
 
 
 「どうした、カオリ!」
 
 
  お前こそどうしたんだと言われそうな自分の姿を棚に上げ、勢いよく扉を開いて彼は文字通り言葉を失った。
  
  
 「お、お兄ちゃん………。」
 
 
  涙交じりの眼差しでこちらを見る妹の頭には、白い垂れた兎の耳があったからだ。
  
  妹、うさ耳。
  
  萌え要素ありまくりの妹の姿に、一瞬どきりとした自分にアキラは頭を掻きむしりながら悲鳴を上げた。
  
  
 「違う!俺はロリコンでもオタクでもない!ついでにシスコンでもなーい!」
 
  
 
 
 
  
  
  AC 188X年
  
  たぶん、全ての原因は此処にある。
  
  僅かに残る小さな火種にディオが手を貸したのは、彼がオディオの系列であったから、ではない。
  
  ディオは世界をどうこうしようと考えたわけではなく、単に一人のおっさんを懲らしめる為に自分から失わ
  
 れて久しいオディオの力に手を貸したのだ。
 
  
  サンダウンめ………思い知るがいい………!
  
  
  魔王を倒した英雄の一人に怨嗟にも似た言葉を連ねるが、ディオの口調は悪戯を試みる悪ガキのそれだった。
  
 当たり前だ。サンダウンにうさ耳を生やしてやろうなど、悪戯でなければなんだというのだ。ディオは単に、
 
 自分の愛しい主人――マッドを独り占めしているサンダウンに、嫌がらせをしようとしただけである。
 
  完全にオディオの意志からは程遠いそれには、当然のごとく世界を滅ぼせる力などない。
  
  
  ふっふっふっ!うさ耳になって御主人に幻滅されれば良い!
  
  
  サンダウンのうさ耳姿を想像して不気味な笑い声を零すディオを、サンダウンの馬が呆れたように見やって
  
 いる。が、ディオはそんな事気にしていない。
 
  サンダウンが眼を覚まして愕然とする様を、小屋の外で今か今かと待つのみである。
  
  そして、
  
  
 「ぎゃああああああ!」
 
 
  悲鳴が上がった。
  
  マッドの。
  
  なんで。
  
  
 「なんじゃこりゃあ!」
  
 
  サンダウンを見て悲鳴を上げたのか。そうだ御主人もっとやれ。
  
  
 「なんで、耳と尻尾が?!しかも取れねぇ!つーか、痛ぇ!馬鹿お前も触るな!」


  なんで御主人が痛がってんだ?
  
  ディオは少し嫌な予感がした。慌てて窓から小屋の中を覗き込むと、黒い耳と尻尾を生やした――マッドが
  
 いた。しかも三角の尖った耳とふさふさと長い尻尾はうさ耳ではなく、犬のそれだ。
 
  
  ああ御主人は犬だもんな………ってそうじゃねぇ!
 
  
  対するサンダウンは、マッドの尻尾やら耳をべたべたと触って、過剰に感応するマッドを見ている。心なし
  
 か嬉しそうだ。そしてサンダウン自身はと言えば、全くの無傷。うさ耳の欠片も見当たらない。
 
  どうやらガトリングの弾さえ避け切る男は、ディオの作りだした悪戯の邪念などあっさりと避けたようだ。
  
 そして避けられた邪念は、霧散するどころかあちこちに――あらゆる時代あらゆる場所に散らばり、うさ耳を
 
 作り出したわけだ。
 
  しかし何故にマッドだけ犬耳なのか。
  
  嬉々としてマッドの尻尾を引っ張るサンダウンを見るに、もしかしたらオディオの邪念に、サンダウンの煩
  
 悩が混ざってしまったのかもしれない。マッド特定の。
 
  
    
 
  数時間後、マッドの危機にディオが慌ててオディオの呪いを解き、うさ耳騒動は治まったのである。