「てめぇ、俺を、殺す気か!」


 黒髪の男が吐いた台詞は、常々『なんで殺さねぇんだ!』と言っている口と、同じ口が言ったとは思えないようなものだった。

 砂色の髪と青い眼を持つ賞金首を追い、返り討ちに合う度に、殺されない事にプライドを傷つけられている賞金稼ぎは、今、

 乾いた荒野でいつも怒鳴っている内容とは、完全に逆方向を向いた言葉を叫んでいる。

 だが、此処は乾いた風が吹く荒野ではない。

 時間は夜。

 場所はうらぶれた場末の安宿の一室。

 誰もが相手に関わろうとしない宿屋のベッドの上で、全裸で抱き合ってやる事など一つしかない。

 組み敷かれた黒髪が、短い息の下でぶつけた声も辛うじて鋭さを残しているが、その頬には涙の跡がばっちり残っていた。





 Pure Amor





 身体を重ねるのは別に初めてではない。

 一番最初に誘ったのも――半ばふざけてだったとは言え――マッドだし、サンダウンがそれに乗ったのは想定外だったが、

 マッドの中にもサンダウンならいっか、くらいのノリがあった。

 だから組み敷かれている状態にそれほどの文句があるわけではない。

 そもそもマッドは、自分が快楽に弱い人間である事を知っている。

 酒も煙草も女も、自分が気持ち良くなるから好きなのだ。

 だから、サンダウンが想像していた以上の甘さと優しさと巧みさで自分を抱いた時、結構いけるかもとか思いもしたし、

 だからこそ一夜限りで終わらずに、こうして続けているのだ。

 それはサンダウンのほうだって同じだろう。

 決闘の後、問答無用で押し倒された事だって一度や二度ではないのだから。

 その状態を、まあ放浪生活が長いから仕方ないのかもなぁ、の一言で終わらせる自分もどうかと思うが、そこは利害関係が一
 致したのだという事にしている。

 だが、最近のこの状態は、マッドにとってはあまり喜ばしいものではなかった。

 
 
 気持ち良いのは好きだ。

 快楽を与えられる事も好きだ。

 だが、それらは行き過ぎると拷問にとって代わる。

 何が言いたいのかといえば、ぶっちゃけた話、最近、朝、足腰が立たない事が多いのだ。

 許容範囲を超えた快楽に失神した事もある。

 要するに、サンダウンが、ねちっこい。

 それだけならともかく、執拗なまでに責められて、しかも子供のように――ねちっこさはそのままで――何度も揺さぶられた
 ら、意識も普通に飛ぶ。

 これ一体どんなプレイだよとか思いながら、泣いて許しを請う事だって増えた――しかもそれで止めてくれないのだから性質
 が悪い。

 決闘の後にそんな事をされたら、いくら合意の上とは言え、賞金首と賞金稼ぎという自分達の関係を鑑みるに、返り討ちにあ
 って弄ばれているのと大差ないような気がしてくる。

 いや、それ以前に賞金稼ぎとして足腰が立たないのは困るんですが。



 それで、後ろから自分を掻き抱いてそのまま四つん這いにさせようと画策している男に、怒鳴ったわけである。

 肩越しに振りかえると、怪訝そうな青い双眸とぶつかった。

 無自覚なのか、このエロ親父は。

 それとも相手を思い遣るつもりなどないのか。


「しつこいんだよ、最近!」


 何が、とは言わない。

 というか言わなくても分かるだろう、普通。

 サンダウンは数回瞬きをした後、嫌か、と聞いてきた。

 良いわけないから言っているという事が分からんのかい。


「てめぇ最近俺が朝動けねぇの知ってるよな!」

「面倒は見てやっているだろう………?」

「当たり前だ!………ってそうじゃねぇ!そうならねぇように自制しろって言ってんだ!」

「…………。」


 物凄く不満そうな沈黙が返ってきた。

 というか、行為を再開しようとしている。

 
「やめろ!この、エロ親父!」

「後で聞いてやる………。」

「それだと遅いだろうが!」


 ひとまず殴って、サンダウンを止めたマッドは、シーツの中にもぐりこんで顔だけを出した状態で文句を垂れる。

 決闘の時でも感じた事のない不穏な気配がサンダウンから醸し出されているが、それに負けていてはいけない。


「青臭いガキじゃあるまいし、そんながっつく事ねぇだろうが。あんた一体いくつだよ。

 そもそも、女のいねぇ荒野のど真ん中ならともかく、今日みたいに小さいけど売春宿があるんならそっちに行ったっていいじ
 ゃねぇか。」

「………私に浮気をしろと言うのか。」


 短いが突っ込みどころ満載の台詞を吐かれたような気がする。

 いや、多分、突っ込んだら負けだ。

 何に負けるのかも分からないが。

  
「大体よ、最近なんでそんなにやりたがんだ。自制の一つや二つ、できんだろうが。

 あんた、よさそうな相手だったら誰でも彼でも押し倒してるってわけでもねぇだろ?」

「お前だけだ。」


 真顔で返された。

 もういい、放っておこう。

 
「だったら自制しろってんだ。一晩に何度も抱かれるこっちの身にもなってみろってんだ。」

「それは………済まなかった。」


 思っていた以上に素直に謝罪された。

 しかし、だが、と続けられた。


「万が一の可能性も………あると思った。」
 
「何のだよ?」

「子供。」


 思考回路が止まった。

 頭が理解を拒否している証拠だ。

 理解なんぞ、したくもない。

 思わず、誰と誰の?という問い掛けが危うく喉元まで出かかったが、聞き返したら、間違いなく墓穴を掘る。

 固まったマッドの顎先を捉えて、サンダウンはその眼にマッドを映しこむ。


「黒髪に碧眼、か………。」

「アホか。黒眼と青眼の親からじゃ、青眼の子供は生まれねぇんだよ。」


 その組み合わせに誰と誰の子供なのか丸わかりの台詞に、咄嗟に言い返したのは、どうしようもないくらいどうだっていい事
 だった。

 だが、その言葉にサンダウンは少し考え込む素振りを見せた。

 そして、それはもう愛おしげにマッドの頬を撫でる。


「お前の子供なら、なんだって良い。」


 押し留めた問い掛けに、図らずとも答えが――しかも確立としては高いが望んでいない答えが返ってきて、マッドは目眩を起
 こしそうになった。

 しかしお前に似ると悪い虫が集りそうだ、などと妄言に近いいらぬ心配をしている男に、この世で一番性質の悪い虫にひっつ
 かれているマッドは、心配なのはお前の頭だと内心で盛大に突っ込んだ。

 そんなマッドの様子に何を思ったのか、マッドの預かり知らぬところで、実は元高給取りの保安官だったサンダウンは、安心
 させるように言った。


「安心しろ、養育費は払ってやる。」


 いらねぇ、ってか、産めねぇ。

 というか、このおっさん、渋い面の下でそんな壮大な幸せ家族計画を立ててやがったのか。

 その計画を根底から破壊し尽くすべく、現実から目を逸らしている男に、マッドは現実を見せる。


「男は子供なんか産めねぇぞ。」  
  
「知っている。」

「ほお……じゃあ、どっからそんな黙示録にも書かれてないような途方もねぇ考えが出てきたんだ。」 

「だから、万が一、と言っただろう。」

「万が一どころか億が一にも有り得ねぇよ!」

「そんな事、誰が決めた………?」

「決めるも何も身体の構造からして無理だろうが!」 


 根本からして無理だという事を、このおっさんは分かっていないのか。

 
「憎しみで次元を歪める魔王がいるくらいだ。もしかしたら男が子供を産めるようにできる力もあるのかもしれない。」

 
 いつになく饒舌なサンダウンに、ルクレチアの事もオルステッドの事も知らないマッドは、それは何処の世界の話だと言うし
 かない。

 それとも、何処か遠い地の書物に、そんな呪いに関する話があるのだろうか。

 シェークスピアの十二夜で、伯爵だったか侯爵だったかに惚れたセバスチャンという男がいて最終的には結ばれるというのが
 あったが、セバスチャンは確か男装した女だった。

 このおっさんは、それに類する話を見聞きして『男装した女』という部分を都合よく刳りぬいているのかもしれない。


「マッド………。」


 良いだろう?

 シーツに包まって防御状態に入っているマッドに、サンダウンは囁いて続きを強請る。

 良くねぇよ。

 ここ最近の無体が、そんなどうしようもない理由だったとなれば、それはもう、全力で拒否したい。


「嫌なのか……?」

「嫌とかいう以前に産めねぇから!」

「やってみないとわからない。」

「いや、わかりまくりだろうが!」


 サンダウンがここまでポジティヴな理由が、わからない。

 わかりたくもないが。


「魔王になれば出来るかもしれない。」

「何の話だ、何の!」


 このおっさんに、変な希望を植え付けたのは一体、誰だ。

 シーツを引き剥がそうとするサンダウンと攻防を繰り広げながら、マッドはいまだかつてない呪詛を、誰とも知れない存在に
 吐き捨てる。

 遠い世界で塵になった魔王も、まさかそんな理由で呪いの言葉を投げかけるとは思いもしていないだろう。


「善処する。」


 再び自分を組み敷く事に成功した男の言葉に、マッドはもう、何を?と聞く気にもなれなかった。

 自分が可哀そうすぎて、泣きたい。

 次の日、マッドが動けなくなる事は、もはや確定済みだった。







 サンダウンが、マッドにとっては傍迷惑な、しかし本人は至って真面目な理由から、魔王と化す日が来るのも近いのかもしれ
 ない。