「じゃあ、まずは服を脱いでください。」
  
 「…………。」
  
  
  
  その台詞を耳にした瞬間、マッドは間髪入れず眼の前にいる男の顔面に蹴りを入れた。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   Master Poster
   
   
   
   
   
   
   
   
   




  
  
  西部からゴールド・ラッシュの波が徐々に惹き始めた頃、その宝石商人はとある街で商いを始め
  
 た。アフリカやヨーロッパから輸入した宝石だけでなく、アメリカで採掘した宝石を取り扱ってい
 
 た彼は、何人かの細工師が手元にいるだけで、西部の広い土地の中では何の伝手もなかった。
 
  基本的に西部で宝石を手に取れる者は、町の有力者か、もしくは金を持ったならず者達しかいな
  
 い。だから、宝石商としてやっていくには、彼らの眼に止まらなければならなかった。
 
  そう考えた彼は、ある案を思いついた。
  
  
  
  そうだ、宝石の展覧会をしよう。
  
  
  
  敷居の高い品評会などではなく、一般市民も入れるような展覧会にしたのなら、おそらく富裕層
  
 の眼にも止まりやすいだろう。
 
  そう考えた彼は、いそいそと展覧会に並べる為の宝石を選び始めた。万が一の事があっても良い
  
 ように決して高くはない物。けれど富裕層にも受け入れられるような煌びやかな物。
 
  それらを選出し、さてでは展覧会の告知をしようという段階で、彼はまた困った。
  
  告知は、どうやってしようか。
  
  ビラを配る、新聞に折り込む、色々考えたが、しかしそれだけでは味気ない。ビラ一つにしても
  
 何か華やかさがないと眼には止まらないだろう。
 
 
 
  そう、悶々と宝石商が考える中、それでも店には時折冷やかし程度とはいえ客は来るわけで。
  
  真昼間に現れた男は、店の中のショーウィンドウに飾られた宝石を眺めていた。まだ若い男だっ
  
 たが身なりは良く、宝石の一つや二つは簡単に手に入れる事が出来る立場にあるのかもしれない。
 
  ただし、男が眺めているのはネクタイピンで、どうやらご婦人へのプレゼントというわけではな
  
 さそうだった。
 
  機嫌良さそうに一つ一つを眺めやっている男の黒い旋毛を見ながら、宝石商は再び展覧会の事に
  
 思考を巡らせる。
 
 
 
 「おい。」
 
 「あ……は、はい、なんでございましょうか。」
 
 
 
  突然の声掛けに、慌てて現実に戻ると、男がじっとこちらを見ていた。西部にはあるまじきその
  
 端正な顔立ちに、宝石商は一瞬声を失う。
 
 
 
 「これとこれを包んでくれねぇか?」
 
 
 
  そんな宝石商の失礼な態度など歯牙にもかけず、男は信じられないくらい優雅な声と仕草で、硝
  
 子ケースの中のネクタイピンを指差す。明らかに西部の成り上がり者ではないその様子に、宝石商
 
 は飛び付いた。
 
 
 
 「お願いします!」
 
 「は?」
 
 
 
  突然、手を握り締めてきた宝石商に、男は怪訝な顔をする。もはや、無礼者と罵られてもおかし
  
 くない所業だった。が、宝石商はそんな事も忘れて懇願する。
 
 
 
 「モデルになってください!」
 
 
 
 
 
 
  
  マッドは当時、まだ賞金稼ぎの王ではなかったが、頭角を現して一部の地域では有名になりつつ
  
 あった。そこで、そろそろ新しい土地でも狩りを初めて名を上げようかと思い、昨日この街に移動
 
 してきたのだが。
 
  ひしと手を握る宝石商の眼は、なんだか潤んでいて、見てはいけないものをみてしまったような
  
 気分になった。
 
 
 
 「あー、モデルって、なんの?」
 
 
 
  ひとまず話を聞いてやらねば手を離してくれそうにないと悟ったマッドは、出来る限り穏やかに
  
 問うた。すると待ってましたと言わんばかりに、宝石商はあれやこれやと話を始めた。
 
  今度展覧会をしようと考えている事。それは一般市民でも入れるようなものである事。しかし、
  
 どうやって告知をしようか悩んでいた事。
 
 
 
 「それで、ポスターを作りたいと考えてまして。しかし、ありきたりなポスターを作っても、眼に
 
  は止まらない。」
  
 「………モデルを使うのはポスターの常套手段だと思うのは俺だけか?」
 
 「そこで一味違ったきわどい物を作ろうかと考えたのですが。」
 
 
 
  マッドのツッコミは、宝石商には届かなかった。というか、さっき『きわどい』とか言わなかっ
  
 たか。
 
 
 
 「なかなか良いモデルに巡り合えなかったのです。」
 
 「………そりゃあ、きわどいポスターなら、普通は断るだろうよ。」
 
 「ああ、きわどいのは女性がすれば、です。男の貴方なら問題ない。」
 
 「………?」
 
 
 
  宝石商の意味を計りかねてマッドが首を傾げていると、宝石商は再びがしっと手を握ってきた。
  
 
 
 「引き受けて、くださいますね?」
 
 「…………。」
 
 
 
  引き受けるまで、手を離してくれなさそうだ。厄介な事に巻き込まれたとマッドは溜め息を吐く。
  
 
 
 「つーか、モデルって具体的に何をすりゃあ良いんだ。」
 
 「じゃあ、まずは服を脱いでください。」
 
 「…………。」
 
 
 
  宝石商の台詞に、マッドは問答無用で顔面に蹴りを入れた。マッドの長い脚は大きく跳ね上がり、
  
 狙い過たず宝石商の鼻を蹴り飛ばす。宝石商の手がマッドから離れ、宝石商が派手に後ろへとすっ
 
 飛んで行く。



 「帰る。」
 
 「ま、待ってください!」
 
 
 
  くるりと背を向けたマッドに、一瞬で復活した宝石商はしがみつく。
  
 
 
 「放さねぇか!」
 
 「嫌ですー!お願いしますー!助けて下さい―!」
 
 
 
  蛸のようにしつこい宝石商を、マッドはぐりぐりと足蹴にして引き離そうと試みる。が、何処か
  
 に吸盤でもあるのかと言わんばかりに、宝石商は離れない。
 
 
 
 「ふ、服を脱ぐと言っても、上だけです!上半身だけですっ!」
 
 「……………。」
 
 
 
  瀕死の宝石商の口から零れ出た言葉に、マッドはようやく足蹴にする脚を止めた。マッドのその
  
 様子に、宝石商はいそいそと、それでですね、と店の奥から小箱を持ってくる。
 
 
 
 「これを身に付けて欲しいんですよ。」
 
 「これは………。」
 
 
 
  差し出された箱の中には、巨大なルビーの周りにダイアモンドをあしらったヴィクトリア調の首
  
 飾りと、小粒のエメラルドが数十個転がっていた。
 
 
 
 「見事でしょう?この首飾りは正真正銘本物のルビーを使用しています。なんでもインドの古代王
 
  朝では太陽の石と崇められていたとか。」
  
 「ああ、そんな与太話はどうでも良いんだ。ルビーのほうはともかく、エメラルドはどうやって身
 
  につけろってんだ?」
  
  
  
  見たところ、金具も何もない裸石のようだが。
  
  すると、宝石商は満面の笑みで答えた。
  
  
  
 「ああ、乳首の周りに貼りつけるんですよ、糊で。」
 
 「……………。」
 
 
 
  マッドは再び宝石商に背を向ける。
  
  
  
 「ま、待ってください!」
 
 「冗談じゃねぇ!なんでそんなわけのわからねぇ事しなきゃならねぇんだ!」
 
 「言ったでしょう!きわどい、と!」
 
 「きわどいって言うよりも変態じゃねぇか!」
 
 「それくらいしないと、眼には止まりませんよ!」
 
 「だったらてめぇの乳首でやれ!」
 
 「私の乳首なんかに食いつくと思いますか!」
 
 「食いつく言うな、生々しい!」
 
 「お願いです、この展覧会に、私と私の家族の未来が掛かってるんですー!」
 
 
 
  私には妻とまだ幼い子供と年老いた母親が。
  
  そう泣き叫ぶ宝石商には、火事場の馬鹿力が宿っていたのかもしれない。泣き叫ぶ宝石商に押し
  
 切られる、もとい圧し掛かられる形で服を脱ぐ――と言うよりも脱がされた――事になったマッド
 
 は無理やり乳首の周りにエメラルドを貼りつけられた揚句、臍の周りにもサファイアを散りばめら
 
 れ、抵抗するのに疲れてぐったりしたところを写真に撮られたのである。
 
 
 
  次の日、マッドは大急ぎでその街から離れた。馬が泡を吹くまで荒野を走り抜け、『白いシーツ
  
 の上でエメラルドを乳首の周りに張り付かせてしどけなく横たわる自分』のポスターが出回る頃に
 
 はどうにか州を跨いで、そのポスターを眼に焼き付ける事も、それが賞金稼ぎマッド・ドッグであ
 
 るという無意味且つ無価値な名の上げ方も避けたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  そして現在。
  
  
 
 「それはジェニファーって踊り子のピンナップでね……。」
 
 
 
  鼻の下を伸ばしながら説明するマスターを一瞥し、マッドはその隣の棚を開ける。すると、そこ
  
 からは、わさわさと雪崩のように何枚もの女優や踊り子のポスターが崩れ出てきた。
 
 
 
 「ああっ!」
 
 
 
  完全に趣味を暴露する事になったマスターの悲痛な叫びが辺りに響く。サンダウンはそれを見て
  
 溜め息を吐き、マッドもやれやれと首を竦める。
 
 
 
 「寂しい男だな……ポスター見て自分を慰めてたってか?」
 
 「ほ、ほっといてくださいよ!」
 
 
 
  あられもない女の姿が映ったポスターを見下ろして呟くマッドの声に、マスターはどうせ私はモ
  
 テませんよ、と悲哀の籠った言葉を叫ぶ。
 
 
 
 「大体、大体ねぇ!そんないやらしい目つきで見ますけど、このポスターの中には物凄い価値が付
 
  いてるものもあるんですよ!」
  
 「だったら売れよ。」
 
 「そんな勿体ない!」
 
 「…………。」
 
 
 
  マッドにもサンダウンにも分からぬ世界にいるらしいマスターは、ジェニファーのピンナップだ
  
 って貴族の間では300ドルくらいの価値はあるんだ、と呟いている。それを尻目に、マッドは崩れた
 
 ポスターを片付けていく。
 
 
 
 「………ってか、あんた、なんで男のポスターまで持ってんだよ?」
 
 
 
  白い歯を見せてにこやかに笑う男優の写真を見て、マッドはげんなりした気分になる。もしかし
  
 てそっちの趣味が、と呟くと、マスターは泡を食ったように否定した。
 
 
 
 「ち、違いますよ!こういうポスターを買う時はね、他のポスターも買ったら安くなるんですよ!
 
  そういうふうに交渉していくんですよ!2枚買うから安くしてくれって!」
  
 「……でも男のを買わなくてもなぁ。」
 
 「欲しい一枚以外、全部男だったんですよ、その時は!」
 
 「それって、そういう店だったんじゃねぇの?」
 
 
 
  女のポスターが一枚しかないなんておかしい。
  
  そう呟きながらポスターをぺらぺらと見ていくうちに、マッドは急に凍りついた。ぱたんとポス
  
 ターを閉じると、再びいそいそと片付け始める。ぎゅうぎゅうとポスターを元あった場所に詰め込
 
 むマッドの様子に、サンダウンは怪訝な表情をする。
 
 
 
 「………どうかしたのか?」
 
 「なんでもねぇよ!さっさと別の罠探しに行くぞ!」
 
 
 
  ばたんと勢いよく棚を閉めて、慌てたように部屋を出ていくマッドの背を、サンダウンはじっと
  
 見つめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  罠を全部仕掛け終わり、後は夜明けを待つだけの酒場の外で、マッドは葉巻をふかしていた。そ
  
 こに、ぬっと背の高い影が現れる。寡黙な影は珍しく自分の方からマッドに近付いてきた。
 
 
 
 「マッド。」
 
 「なんだよ。」
 
 「これは、お前だろう?」
 
 
 
  ぴらっという乾いた音と共に、サンダウンの手の中で一枚の紙が広げられる。そこに映し出され
  
 ていた光景を見て、マッドは思わず葉巻を取り落とした。



 「て、てめぇ、それを何処で!」
 
 「お前が急いでポスターを片付けた棚の中からだ。」
 
 
 
  妙に急いで片付けるから、何があるのかと思った。
  
  そうぬけぬけと告げる男の手の中では、今よりも少し幼いマッドが、シーツの上でぐったりとし
  
 ている姿がある。上半身は裸で、乳首と臍の周りには宝石がちりばめられており、首からはルビー
 
 の首飾りを掛けている。
 
  それをサンダウンはじぃっと見やってから、マッドを見る。
  
  
 
 「一体、いつこんなものを………。」
 
 「う、うるせぇ!そんなもん、さっさと捨てろ!」
 
 「質問に答えたら、考えてやる。いつ、こんなものを、撮ったんだ?」
 
 「4、5年前だよ!どっかの宝石商が展覧会のポスターを作るからモデルになれって……!」
 
 「4、5年前………。」
 
 
 
  サンダウンが保安官を止めてしばらくした頃か。それならば知らないのは尤もだ。もしも知って
  
 いたら保安官という立場を利用して、ポスターを買い占め、ではなくて宝石商を摘発してポスター
 
 を没収したのに。
 
 
 
 「………お前、この宝石は自分で着けたのか。」
 
 「んなわけあるか!そんな変態じみた事俺がするわけねぇだろ!それは、その宝石商に着けさせら
 
  れたんだよ!」
  
 「着けさせられた?」
 
 「そうだよ!圧し掛かられて無理やり。」
 
 「………無理やり。」
 
 
 
  その瞬間、何を想像したのかは知らないが、サンダウンから怪しい気配が噴き上げる。
  
  
  
 「キッド?」
 
 「………マッド。」 
 
  
   
  薄暗い炎が付き纏ったような怪しい気配のまま、サンダウンはマッドに近付くと、その形のの良
  
 い顎を捕まえる。
  
  
 
 「………後で、その宝石商についてゆっくり話し合おう。特に、居場所について。」
 
 「へ?」
 
 
 
  マッドがぽかんとしている間に、サンダウンはさっさと離れていく。その手にはポスターがしっ
  
 かりと握り締められている。それに気付いたマッドは、慌てて叫ぶ。
 
 
 
 「おい、それ捨てるんじゃねぇのかよ!」
 
 「私は考えるとは言ったが、捨てるとは言ってない。」
 
 「んなっ!ふざけんじゃねぇ!」
 
 
 
  マッドはどうにかして自分の黒歴史を燃やそうと、サンダウンに掴みかかる。が、それはあっさ
  
 りと避けられる。
 
 
 
 「返せー!」
 
 「お前の物ではないだろう。」
 
 「じゃあ、泥棒!」
 
 「お前は、これをこの町の住人に見せたいのか。」
 
 「止めろー!」
 
 
 
  そうこうしているうちに、鐘は8つ目を迎え。
  
  
  
  結局、その後のどさくさに紛れて、ポスターはサンダウンの懐に仕舞われたままとなっている。