葉巻の匂いとアルコールの匂いが立ち込める酒場の一画で、男達がカードを捲ってポーカーに興
 じている。
  この時代、酒場とは賭博場と同義だ。大きな酒場には必ず賭博場があり、胴元である酒場の経営
 者と、賭博を見逃している保安官の懐には大金が転がり込むのだ。保安官が見逃す、と言っても、
 そもそも賭博行為自体は別に違法でもなんでもないのだが。
  その酒と葉巻のど真ん中で、マッドは三人の男から、嬉々として金を巻き上げて、巻き上げた金
 を山積みにしていた。その勝負強さは、果たして生まれながらの運の良さの所為なのか、それとも
 生きていく上で身に着けたものなのか、それは誰にも分からない。
  しかし、非常に嬉しそうに、他人の眼から見たらこの上なく魅力的な笑みで金を掻き集めている
 マッドは、自分の勝負強さについては特にどうも思っていないのか、或いは自分が負けるなど微塵
 も思っていないのか、また勝負を吹っかけようとしている。
  その様子を遠くから眺めているサンダウンは、眉を顰めた。
  マッドが賭けの対象としているのは、マッド自身の身体だからだ。




  No Pair




  マッドの身体を賭けの対象とする輩は多い。
  まあ、西部の荒野ではお目にかかる事の少ない優男風の、端正な身体つきをしているのだ。女の
 数が少ない西部では、そういった男が性の対象となる事は珍しくない。
  マッド本人も、自分がそういうふうに見られている事は分かっているし、そもそも何度か路地裏
 に連れ込まれそうになったと証言している。笑いながらだったので、それほど危機感を感じていな
 いのかもしれないが。
  確かに、マッドに勝てる男はそうはいまい。どれほど見た目が細くても、実際のマッドは名実共
 に西部一の賞金稼ぎだ。路地裏に連れ込まれたところで、返り討ちにして終わりだろう。
  だが、今回の、自分を賭けの対象とするのはどうなのか。
  賭けとした時点で、負けた時は必ず商品を出さねばならないという契約が成り立っているのだ。
 無理やり路地裏に連れ込まれるのとは意味が違う。無理やりならば殴って逃げても当然ではあるが、
 賭けと称して勝負した以上、負けた時に身体を差し出さずに逃げる事は出来ない。
  そんな事は、マッド自身が一番良く分かっているだろうに。
  しかしマッドは、嬉々としてカードを捲っている。自分が負けるとは、微塵も思っていない表情
 で。
  それとも、サンダウンがいるから、何か起きても平気だと思っているのだろうか。
  一瞬、ちらりとそんな考えが思い浮かんだが、サンダウンに頼っているマッドというのが想像で
 きず、すぐにサンダウンはその考えを打ち払った。
  とはいえ、マッドもサンダウンがその動向を具に見ている事は分かっているだろう。サンダウン
 の気配には人一倍敏感な男だ。サンダウンが此処にいる事に気づいていないとは思えない。それと
 もまさか、やはりサンダウンがいるから自分の身体を賭けにするなんていうわけの分からない行動
 に出たわけではないだろうな。
  ちらりとマッドの様子を窺うが、マッドはサンダウンの視線などどうでも良さそうに、ポーカー
 に興じている。何処までサンダウンを意識しているのかは、全く分からないが。
  だが、もしもマッドがサンダウンの視線を予め予想しているのだとしたなら、その行動は誘い文
 句として受け取られても仕方がない。大体だ、わざわざ自分は男にももてるのだと告げた挙句、わ
 ざわざ路地裏に連れ込まれそうになったとまで言うあたりで、既に誘っているのだと考えられても
 おかしくない。
  サンダウンをただの賞金首として見ているのなら、男に迫られた事実など口にしなくても良いは
 ずである。それなのに、男に口説かれたとか、路地裏に連れ込まれたとか、更には目の前で身体を
 賭けたポーカーに興じるなど、何を考えているのか。
  微かな苛立ちを浮かべたサンダウンの心情など無視して、マッドはけらけらと笑いながら、金を
 掻き集めている。
  どうやらまた勝ったらしい。
  だが、一人で紙幣を掻き集めているマッドの様子は、負けている側からすれば面白くないに違い
 ない。三人の男達の眼が血走っている事に、マッドは気づいていないのか。もしくは、気が付いて
 いて、男達の反応を面白がっているのか。だとしたら、意地が悪いにも程がある。
  それとも、そうなった時にはサンダウンが駆けつけて来るだろうと考えているのか。
  なんとなく面白くないような気分になって、サンダウンはどれだけ怒鳴り声が上がろうと立ち上
 がるまいと決めて、目の前にある安酒を煽った。なんでもかんでもマッドの思い通りになっている
 というのは面白くない。そういう意味では、マッドと身体の賭けをしている男達の気持ちが、少し
 ばかり分かる。マッドの身体に本気で手を出そうというのなら、決して許しはしないだろうが。
  つらつらと思っていると、案の定、マッドがいる方向から男達の怒鳴り声が聞こえてきた。
  派手な音を立てて椅子が倒れて男達が立ち上がり、何事か怒鳴り散らしている。良く聞いてみれ
 ば、マッドがイカサマをしたとかなんとか、そういう話だった。

 「こんなに連続して勝てるわけがねぇだろうが!」
 「なんかイカサマしてやがるんだろう!イカサマしておいて、ただで済むとおもってんじゃねぇだ
  ろうな!」

  酒場の視線を一身に集める男達の怒鳴り声に対して、マッドは口元に笑みを湛えているだけだっ
 た。口に咥えた葉巻を、優雅な手つきで口から離すと、甘やかな声で言った。

 「イカサマって言われてもな。別に証拠があるわけじゃねぇだろ?」
 「うるせぇ!こんだけ勝って、イカサマじゃねぇわけねぇだろうが!」
 「それでイカサマじゃなかったら、てめぇらはどうやって責任取るつもりだ?」

    イカサマは確かに賭場では重罪だが、イカサマを指摘してその証拠が見つからなかったら、もは
 や重罪どころではない。時と場合によっては名誉を傷つけられたといって決闘にまで発展する事も
 ある。
  実際、それをマッドの甘い口調で暗に告げられて、男達が僅かにひるんだようだった。
  だが、命知らずなのかただの馬鹿なのか、もしくは目の前にいる獲物が諦められないのか――多
 分一番最後の選択肢が正解だろうが――しつこく迫ろうとしている。
  あまりのしつこさに、最初はのらりくらりと躱していたマッドだったが、徐々に眉間に皺が寄り
 始めた。このまま放っておいたら、マッドの手が出そうだ。そして、男共はそのまま宙を舞って、
 地面に叩き付けられる事だろう。
  それを察したのではサンダウンだけではなかったようだ。
  マッドが暴れ出したら一番迷惑を蒙るであろう店の主人がすっ飛んできて、三人の男達を羽交い
 絞めにして引き摺り出していったのだった。筋肉隆々とした、明らかにこの店を始める前は堅気で
 はなかったのだろうと思わせるマスターは、勝ち目のない相手に突っかかって行って宙を舞い、店
 の備品を壊しそうな三人をいとも容易く羽交い絞めにして、ずりずりと店の外に引き摺って行った。
 きっとあの三人はこの後、店の外で宙を舞う事になるのだろう。
  一方で、事の発端であり元凶である、麗しい賞金稼ぎはといえば、意気揚々とテーブルの上の金
 を掻き集めて自分の荷物袋の中に放り込んでいた。そして自分と勝負する輩がいないかと周囲を見
 回していたが、誰一人として勝負を挑んでこないと見るや、さっさと席を立つ。
  黒い後姿がウエスタン・ドアの向こう側に消えてから、サンダウンは残りの安酒をゆっくりと飲
 み欲し、金をテーブルにおいて腰を持ち上げた。

 


  サンダウンが宿に帰り、自分の泊まっている部屋を開けると、そこには恨めしげな眼をしたマッ
 ドがいた。ベッドの上で毛布にくるまり、顔だけ出しているマッドの姿に、サンダウンは思わずび
 くっとして立ち止まる。

 「……何をしている。」

  とりあえず、勝手に部屋に入り込んでいる事について言及すると、マッドはふん、と毛布の中に
 顔を埋めてしまった。
  どうやら拗ねているらしい事は分かったが、何をしたいのかが分からない。本格的にサンダウン
 を誘い始めたとでも言うのだろうか。
  すると、マッドのいじけたような声が毛布の中から聞こえてきた。

 「あんた、俺を助けに来なかっただろ。」
 「……………。」

  それは果たしてどの段階での事を言っているのか。マッドが身体を賭けだした時点でか、それと
 もあの男達がイカサマだと言い始めた時点でか。

 「酒場のマスターが助けに来るとか、あんた恥ずかしくねぇのか。」
 「……………お前がくだらない賭けをしなければ良かっただけだろう。大体、負けたらどうするつ
  もりだった。その時は、誰も助けられないだろう。」
 「俺が負けるわけねぇだろ。」

  その自信が一体何処から来るのか、サンダウンには全く分からない。
  しかし、マッドが未来永劫勝ち続ける事が出来るわけがないわけで。

 「……私には毎回毎回負けているくせに、どうしてそんな事が言える?」
 「そりゃ、決闘での話だろうが。ポーカーで勝負をつけた事はねぇぞ。」
 「……ポーカーでも私に負けたら、どうするつもりだ。」
 「ポーカーでもってなんだ、ポーカーでもって!俺はあんたよりも、社会生活的な意味では勝って
  るぞ!」

    毛布から再び顔だけ出して、マッドはしょうもない事を言い始める。というか、そもそも何が目
 的でこいつは自分の身体を賭けの対象にしたのか。サンダウンを試す為だとかそういう意味だとい
 うにしても、そこから色気のある話にならないのは何故か。
  マッドがベッドの上にいるというのに、そこから一向に話が進まないのは、どう考えてもマッド
 に問題があるとしか思えない。

 「……良く分からないが、とにかく分かった。それで、お前は私にどうして欲しいんだ。」

  というか、何がしたいんだ。
  誘いたいのか、それとも嫉妬でもしろというのか。
  が、マッドは毛布にくるまったまま、ぶちぶちと言っている。

 「大体、あの後俺にポーカーの勝負を吹っかけなかったくせに、なんでポーカーに勝ってます的な
  言い方すんだ。まだ勝負もなんもしてねぇだろうが。」
 「それは、お前が………。」

  自分の身体を賭けるとかなんとか言ったから。大体サンダウン相手でもそんな事を言ったのか。
 それならいつもの決闘だって。
 
   「何あんた一人でぶつぶつ言ってんだ。」
 「……なんでもない。」

    まさか、お前は決闘で自分の身体を賭けているのか、とか、今回の賭け事も誘っているのか、と
 か聞けるわけがない。そもそも、マッドも毛布にくるまっていないで、もうちょっと色気のある恰
 好でベッドの上で寝ていたらどうなのか。

 「それに、俺の方ちらちら見てたって事は、あんただって勝負がどうなるか気になってたんだろ?
  なのに、助けにこないってどういう事だよ。」
 「さっき、負ける事はないと言ったばかりだろう。」
 「それとこれとは別だろ。俺が出ていってもすぐに追いかけてこないし。」
 「……追いかけてどうしろと言うんだ。お前にポーカーで勝負を挑めと?」
 「あんたとポーカーなんかしてどうすんだよ。ポーカーなんかで勝負着けるとかって言うつもりか?
  それとも、あんたもあいつらみたいに、なんか賭けるつもりかよ。」
 「お前は、何を賭けるつもりだ。」
 「あんたは何を賭けて欲しいんだよ。」

  毛布にくるまっているマッドに対して、お前自身を賭けろ、というのはあまりにも色気がなさすぎ
 る。もしも自分を賭けて欲しいとか、誘うつもりならば、もう少しその辺を考えたほうが良い。
  三人の男達を相手取ってポーカーをしていた時とは全く違う、色気も何もないマッドの姿に、サン  ダウンは溜め息を吐いた。

 「……強いて言うなら、ベッドを少し空けろ。そろそろ休みたい。」

  自分の部屋なのに、なぜベッドで眠れないのか。
  サンダウンは毛布にくるまっているマッドを無理やりベッドの脇に寄せると、空いた部分に身体を
 滑り込ませる。ダブルベッドではない上、安物の小さなベッドなので男二人が並ぶと流石に狭いが、
 並んで寝れない事はない。毛布をマッドに奪われているが、まあ良いとしよう。
  強制的に隅に寄せられたマッドは、しばらくは毛布にくるまった状態で抵抗していたものの、サン
 ダウンを動かせない事が分かると諦めたらしく、代わりに今度はサンダウンに擦り寄って来た。毛布
 にくるまったままなので、色気のある話ではなく、犬か何かに擦り寄られているような気分ではある
 が。
  それでも中身は――中身というかなんというか――間違いなくマッドなので、犬にでもするように
 ぽむぽむと毛布の上から軽く叩いてやると、マッドはもぞりと動いて居心地の良い場所を見つけたの
 か、大人しくなった。
  色気も何もない状態ではあるが、ひとまずは落ち着くところに落ち着いたようなので、サンダウン
 は満足しつつ、次からはマッドが賭場で獲物を捜しているときは、にポーカーでの勝負を挑む事にし
 ようと考えた。