マッドは塒の台所で頭を抱えていた。

  彼がこんなふうに頭を悩ませるのは珍しい。
 
  西部一の賞金稼ぎたる彼には、望めば何もかもが差し出される。手に入らなかったものと言えば、
  
 今のところ賞金首サンダウン・キッドくらいのものである。

  が、望めば手に入るというのは往々にして、望まなくても勝手に転がり込んでくるという状況も
  
 生み出す。

  マッドの後ろにあるソファで、マッドの断りもなくゴロゴロしているサンダウン然り。

  そして、マッドの頭を悩ませる眼の前に広がる真っ白な世界――夥しい量の卵と牛乳然り。

 




 
  Pancake








 


  事の発端は、マッドが牧場主を狙った殺人を繰り返していた賞金首を撃ち取った事にある。

  西部で牧場主と言えば、非常に裕福で権力を持つ。時に大勢のカウボーイ達を雇用し、彼らに賃
  
 金を払う牧場主は経済を支える存在でもあったし、また、牧場の広大さゆえに街から少し離れた場
 
 所に家を構える牧場主のもとには、街には辿りつけずに野宿せざるを得ない流れ者達が一泊の宿を
 
 求めて訪れる事もままあり、牧場主の存在は西部にはなくてはならないものとなっていた。

  それを狙った殺人は、西部全体を震撼させ、そして当然その賞金も鰻昇りだった。

  四人目を殺害した時点で三千ドルとなっていた賞金が、それ以上吊り上る前に、マッドは一番最
  
 初に殺された牧場主に解雇されたのだというカウボーイを撃ち取った。

  解雇された事は確かに同情するに値するが、解雇した牧場主だけでなく無関係な牧場主まで殺害
  
 した時点で、本来あった同情されるべき理由は掻き消されている。

  富裕層に対する妬みや僻みを全面に押し出した男に、マッドは同情どころか興味さえ湧かなかっ
  
 た。四人も殺した上に大量のカウボーイの失業に手を課した男の脳天を撃ち抜いても、なんら心動
 
 かされはしなかった。

 

  そして、撃ち取った男の遺骸を保安官の前に投げつけると、周囲からは安堵の声が零れたのだった。

  それと引き換えに、マッドは三千ドルの賞金を手にした。

  が、殺人の危機に曝されていた牧場主達は、それだけでは礼として欠くと思ったらしく、是非こ
  
 れも受け取ってくれと言い、マッドの愛馬であるディオの鞍に括りつけた。

 
 
  大量の産み立て卵と、搾り立て牛乳を。

 

  ご家族と是非!と告げる彼らに、いや俺家族いないんですけど、と言ってみたものの、喜びにう
  
 ち震える彼らの耳には届いていなかった。

  押し付けられた卵と牛乳に唖然としつつも、マッドはどうにかして卵一つ割らず牛乳一滴零さず、
  
 塒に辿り着いたのだった。

  その塒に、サンダウンが居座っていた事など、五十個ある卵と、五十リットルある牛乳を前にす
  
 れば、もはやどうでも良かった。



  卵と牛乳、どちらも日持ちはしない。どうにかして食べきってしまわねばならないのだ。

  マッドは食糧庫に残っているものを見ながら、必死になって頭を働かせる。
 
  パン粉と小麦粉は大量にあった。砂糖と塩もだ。この前大量に買い込んだジャガイモはあと十個
  
 くらい。あと人参と玉ねぎと、干し肉が少し。紅茶の茶葉もあった。ブランデーとウイスキーは腐
 
 るほどある。

  とにかく卵と牛乳関係のレシピを思い出しながら、マッドはこちらの様子を窺っているサンダウ
  
 ンを振り返る。

  何やら『ご飯はまだかな』と期待を持ってこちらを見る男に鬱陶しさを感じつつ、お前もどうに
  
 かしろよという心境で、グラスに牛乳をなみなみと注ぎ、その青い双眸の眼の前に置いた。




 「昼飯作ってやるから、これでも飲んで大人しくしとけ。」

 「……………。」



  怒るだろうかと思っていると、サンダウンは特に何の拘りもなく牛乳を呑み干した。

  髭に白い跡を付けているサンダウンを間抜けだなと思って見ていると、男はマッドの内心になど
  
 気付かずに勝手に牛乳を注いでは飲み干していく。

  そうだった、このおっさん、紅茶にもコーヒーにも牛乳を入れるくらい、牛乳が好きだった。

  ならば、牛乳を使った料理もおいしくいただけるに違いない。

  先程見た食材から導き出したいくつかの料理をピックアップしつつ、マッドは生涯で初めて、サ
  
 ンダウンがこの塒にいた事を感謝した。








  香ばしい匂いがする。

  サンダウンはフライパンを握るマッドの後姿を見ながら、徐々に濃くなってきたその匂いと共に
  
 牛乳を呑み干した。

  先程までマッドは今日の昼食と夕食の事で頭を悩ませているようだった。サンダウンとしてはマ
  
 ッドが作るのならば何だって良いのだが、マッドがサンダウンの為に――別にサンダウンの為に食
 
 事を作っているのではないのだがサンダウンの頭からはすっぽりとその事は抜け落ちている――悩
 
 んでいるのを見るのはなかなか楽しいものがあった。

  そして考え抜いたマッドは、小麦粉と格闘した末、今、一生懸命フライパンを振るっている。

  葉巻の甘さとは違う柔らかい匂いに、サンダウンは何を作っているんだろうな、とマッドの背中
  
 からそれを推し量ろうとしていると、マッドがくるりと振り返った。

  フライパンを持ったまま振り返ったマッドは、もう一方の手に握っていたフライ返しを緻密に動
  
 かし、フライパンから作っていた料理を引き剥がすと、サンダウンの前に用意していた大皿に、ぼ
 
 すん、とそれを乗せた。

 
 
  それは、小さなクッションほどの大きさもある、パンケーキだった。

  こんがりと綺麗な狐色の焼き目の付いたそれは、ふっくらとしてしていて、押しても弾力があっ
  
 て元の形に戻る。

  マッドを見上げれば、何故か物凄く自慢げだ。

  それはパンケーキが上手く作れた事に対する自慢なのか、それともサンダウンがパンケーキが嫌
  
 いだろうと思って嫌がらせのつもりでやったからなのか。もしも後者だとすれば、生憎な事にサン
 
 ダウンは別にパンケーキが嫌いではない。マッドが作ったのなら尚更。

 
 
  ぷすりとフォークを突きたてれば、微かな抵抗を見せた後にフォークを沈めていく黄色い身体は、
  
 なかなか良いスポンジ状になっている。

  もそもそと食べ進めていくと、不意にマッドが自分の正面に座った。両手でティーカップを持っ
  
 て、珍しい事にそこに牛乳を入れていた。サンダウンは紅茶に牛乳を入れるが、マッドは普段は何
 
 も入れない。

  何かあったのかと思っていると、マッドはパンケーキを食べるサンダウンをじっと見つめた。

  その黒い眼が、怯えたように震えている。
 
  マッドらしくないその様子に顔を顰め、問い掛けた。


 
 「………どうした?」

 「いや………あのさ………。」



  マッドは少し言い澱んでから、



 「あんた、シチューは好きか?クリームシチュー。」

 「…………ああ。」



  そう返答すれば、あからさまにほっとした顔をされた。
 
  どうやら、今夜の夕食が決まったもののサンダウンが気に入るかどうかで怯えていたらしい。

  まれに恐ろしいくらい可愛い事をしてのける男は、安堵したら腹が減ったのか、サンダウンのよ
  
 りも幾分か小さいパンケーキを食べ始めた。
 
  が、不意にその手を止めると、やはり少し怯えたような表情で告げた。



 「なあ、一週間、此処にいてもらっても良いか?」