銃を手にした青年パエトーンは、保安官事務所に忍び込んだ。
  賞金稼ぎの王が取り逃したならず者達を、自分の手で撃ち落としたのだ。その時の高揚感は量り
 知れなかった。毛嫌いする、どこか貴族めいた雰囲気のある現在の王が、パエトーンは決して好き
 ではなかったのだ。
  そしてそれに与する、自分に銃の道を与えたプロメテウスも、初めこそ感謝していたが、次第に
 口煩くなるにつれて疎ましく思い始めていた。
  お前のやり方は危険だ、と言われる度に、何が危険なものかと思う。賞金稼ぎの王と同じように
 しているだけではないか。嘆く人々の声に耳を貸し、彼らの嘆きに従って命を狩り取る。している
 事はマッド・ドッグと同じだ。むしろ、金など積まれなくとも彼らの望みを叶えてやっている自分
 は、マッドなどよりもずっと良心的だ。
  ナインハルトのように、中途半端にしか手を出さないわけでもない。パエトーンは最期まで責任
 持って仕事を果たしている。
  まして、自分はナインハルトが下手な温情を掛け、マッドが撃ち落とし損ねたならず者を、彼ら
 の代わりに撃ち落としたのだ。パエトーンが、自分こそ『嘆きの砦』の玉座に相応しい、とまでは
 思わなくとも、それに類する仕事をしても問題ないと思わないはずがなかった。
  だが、そこに冷や水を浴びせかけるような台詞。
  
 『お前がそんな事に現を抜かしている間に、マッドは黒幕を叩いているだろう。』

  賞金稼ぎマッド・ドッグが追いかけているという賞金首を、同じように追いかけて対峙した時に、
 冷ややかに放たれた台詞。男は、パエトーンを見ても銃に手を掛ける事さえなかった。いっそ煩わ
 しげにその蒼い眼を開き、追い払うようにその台詞を吐いたのだ。
  マッドが撃ち取れぬ自分を、お前如きが撃ち取ろうなど片腹痛いと言わんばかりに。
  それは、マッドが取り逃したならず者を撃ち取ったパエトーンにとっては認めがたい台詞だった。
 マッドはパエトーンが出来る事さえしなかったのだ。それよりも下であるなどと思われたくはない。
 確かに経験で言うならばマッドのほうが上だろう。しかし経験などでは覆せないものとてあるだろ
 う。
  だから、パエトーンはそれを証明する為に、阿片商人達の利益の一部を横流しする代わりに、阿
 片中毒者達を囲い、彼らに阿片を売りつける事を許していたという保安官の元に、一人向かったの
 だ。
  マッドならば、おそらく数人連れて行ったであろうその場所に、パエトーンは一人で行き、そし
 て保安官を撃ち取れば、紛れもなくマッドよりも上に自分が存在すると考えたのだ。
  むろん、保安官を撃ち取ってただで済むとは思っていない。如何に性根が腐っていても、保安官
 はその地の有力者だ。下手をすれば保安官殺しとして自分が死罪になりかねない。しかし、パエト
 ーンは、保安官が商人達と繋がっている証拠が見つかるだろうと考えていたし、保安官が阿片に関
 わりがある事は一目瞭然だったので、必ず町民達が助けてくれるだろうと思っていた。
  そう思い、薄暗い保安官事務所に忍び込んで、その瞬間にパエトーンはその場に立ち竦む事にな
 った。
  薄暗い中、ひっそりと明かりの灯る一室を覗きこんだ途端、黄色く光る床には夥しい血が流れて
 いたのだ。その血溜まりに伏しているのは、パエトーンが毛嫌いしていた人間の背中だ。
  丁寧に櫛を通している茶色の髪は床に散って血を吸い、床に伸びた白い指は何かを掻き毟ったか
 のように歪に折れ曲がっている。
  愕然とするパエトーンの眼の前で斃れ、明らかに既に息のない男の身体は、紛れもなくナインハ
 ルトのものだった。
  しかし、パエトーンにはナインハルトが此処にいる理由が分からない。まして、血を流して倒れ
 て事切れている理由も。

   「愚かにも、私を糾弾しようとしたからさ。」

  愕然とするパエトーンの耳に、薄ら笑いを浮かべたかのような声が入ってきて、はっとして顔を 
 そちらに向けると、胸に銀の星を付けた壮年の男が声と同じ薄ら笑いを浮かべて立っていた。口に
 葉巻を咥え、ねっとりとした眼をパエトーンに向けている。

 「全く、無血主義者の賞金稼ぎは変に正義感があって困る。この私を、阿片商人と癒着していると 
  言って告発するなんて。」

  ぷかあ、と紫煙を口から出して、保安官はパエトーンを見る。

 「私が阿片商人と癒着していたらどうだって言うんだい?だったら私が阿片中毒者達を多めに見る
  のは当然の事だろう?何せ、彼らが阿片を買う金のおかげで私も良い思いをさせて貰ってるんだ
  から。人殺しの一つや二つで、いちいち裁判なんて起こさないさ。それくらい分かってるだろう
  に、自分が突き出した中毒者を何故裁かないのかと騒がれたってねぇ。」
 「だから、殺したのか。」 

  咄嗟の事に声が出なかったが、何の感慨もなさげな爬虫類のような眼をして滔々と語る保安官に、
 パエトーンはようやく我に返ってそう問うた。
  ナインハルトの事は毛嫌いしていたが、しかしこんな事で殺される事を許容するほどに憎んでい
 たわけではない。転がる結末に嫌悪を滲ませて問えば、保安官はまるで何事もなかったかのように、
 頷く。

   「ああ、そうだとも。本当に愚かだ。この男も、そしてお前も。」

  欠伸混じりの声は、兎にも角にも面倒くさそうだった。

 「本当に、阿片中毒者共を殺した程度だったなら黙ってやってても良かったんだ。阿片を買う連中
  は何処でも転がってるからね。お前もこの男も、中毒者殺し程度の名誉で満足していれば良かっ
  たのさ。なのに、身の程知らずにもこの私にまで手を出そうだなんて。」

  銃を振り翳して、良い気になったか、身の程知らず共め。
  嘲るような言葉と共に、いつの間に抜いたのか保安官の手には鮮やかに銃が納まっている。
  そう、パエトーンは気付くべきだったのだ。仮にもナインハルトを、不意打ちであろうとも撃ち
 殺した人間が、眼の前にいる事を。そしてそれに勝つだけの技量が、果たして自分にはなかった事
 を。
  しかし、気付くには全てが遅すぎた。
  気だるげな保安官は、何ら躊躇いも無く、銃を振り回すだけ振り回したパエトーンの心臓を、鉛
 玉で貫いた。




 「派手にやったなぁ、保安官さんよ。」

  二つの死体をたった今拵えたばかりの保安官は、唐突に聞こえた声にぎょっとした。一瞬、眼の
 前に転がっている死体のどちらかが口を利いたのかと思ったのだ。しかし、そんな事あるはずもな
 い。保安官が平静を取り戻して振り返れば、黒い影が持ち上がったかのような姿がそこにいた。
  その姿を見て、保安官は破顔する。

 「なんだ、お前か。」

  黒い賞金稼ぎの姿に笑みを浮かべると、彼もゆったりとした笑みを浮かべ、爪先で転がっている
 死体を小突く。

 「ああ、やっぱりこうなったんだな。」
 「当然だろう?中毒者を殺した程度で満足していれば良いものを、何を勘違いしたのか私を殺す名
  誉まで欲しいと言う。そんなのは殺して当然だ。」

  お前のように世渡り上手だったなら良かったのに。
  中毒者を殺して、それ以上は関わってこなかった賞金稼ぎの王を見ながら、保安官はさも呆れた
 と言わんばかりに肩を竦めてみせる。
  その様子を横目で見ながら、マッドは、でも、と言う。

 「殺す必要はなかったんじゃねぇのか?どうせ身の程も知らない雑魚なんだから。」
 「お前らしくないね。そんな事を言うなんて?」
 「そうかね?俺は雑魚なんて相手にしねぇぜ?」

  例えば、お前とか。
  笑みを湛えたまま、しかし何処かひやりとした口調で言われて保安官は、少しばかり顔を顰めた。

 「なんだい?怒ってるのかい?」
 「いいや?遅かれ早かれ、こいつらが死ぬのは眼に見えてたからな。」

  ナインハルトが、温情を掛けた中毒者達に、しかし温情と取られずに殺されるのも。
  パエトーンが、身の程知らずに西部一の賞金首に手を出して、殺されるのも。
  マッドはそれを少しばかり先に延ばしただけだ。パエトーンにならず者を殺させる事で、賞金首
 に小さく耳打ちする事で。
  ただしそれらは、彼らの死を止めるには至らない。マッドも敢えて止めようとまでは思わなかっ
 た。せいぜい先延ばしにして後は彼らの判断に任せただけだ。むろん、こうなる事は予想していた
 が。

 「言ってるだろ?俺は、こんな雑魚に手を掛ける気にはならねぇんだよ。お前も含めて。」

  しかし、マッドの台詞からは刺が抜け落ちる事はない。うっとりとした笑みを湛えたまま、毒を
 吐いた。
  その台詞に、保安官はいよいよ顔を顰めた。

 「悪いが、そんな台詞を聞くつもりは私にはない。返って貰おうか。さもなくば、撃ち抜くぞ。」
 「おお怖い怖い。てめぇに俺を撃ち抜けるかどうかはともかくとして、まあこれ以上此処に用はね
  ぇから、俺は帰るさ。」

  ひらりと手を振り、マッドは保安官に背を向ける。そして、うっそりと致命的な毒を吐いた。

 「ところで知ってるか?お前と癒着してた阿片商人、全員捕まったそうだぜ?何でも、何処かの保
  安官に賄賂渡して、自分らの都合の良いように商売してたんだと。てめぇと仲悪い保安官が、嬉
  々として摘発してたぜ。」

  ぎょっとした瞬間、マッドが振り返り、その手には銃が握られていた。

 「残念だったなぁ。今回の狩りには、てめぇも含まれてたんだよ。二人死なせたのは悪ぃと思わね
  ぇでもねぇが、俺にとっちゃ痛手にはならねぇ。これでてめぇごと縛り首に出来るんだ。安いも
  んだ。」

     何せ二人殺したのだ。
  絞首刑は免れない。

    「な、何故……。私は、お前の狩りには関係ないだろう!」
 「てめぇになんで俺の狩りの事を言われなきゃなんねぇんだ。俺が誰を獲物としようが、俺の勝手
  だろうが。」

  ただ、強いて言うなれば。

 「俺が追いかけてる獲物が、てめぇの遣り方が気に入らなくて、そっちばっかり気に掛けて、まる
  でこっちを向いてくれねぇのさ。だから、てめぇが鬱陶しかったんだ。小物の分際で、人の獲物
  の気ぃ惹きやがって。」

    結局、てめぇも身の程知らずだったって事さ。
  マッドはそう言って笑った。