客は夜半に訪れた。
  それは、酒場で陰鬱な空気が漂っている時だった。
  一人笑みを湛えながら酒を楽しんでいるマッドを除く賞金稼ぎは、鬱々とした口調で今後の事に
 ついて話し合っていた。
  話題として上がるのは二点のみ。
  この前の狩りで仕留めそこなった阿片中毒者による横暴と、それを止めたパエトーンの振舞いの
 傲岸さだった。
  仕留め損なったというのは正確ではない。皆が懸念していた通り、ナインハルトが捕縛して保安
 官に差し出した連中が、結果的にそのまま釈放されてしまったというだけの話だ。だが、そんな事
 は誰もが想像していた事だ。彼らは町の有力者と繋がっていると言ったにも拘わらず、馬鹿正直に
 ナインハルトは保安官にそれを差し出してしまった。その結果など、眼に見えていたのに。
  だが、賞金稼ぎの王たるマッドは、それに対して何も言わなかった。ナインハルトの獲物を横取
 りするつもりはないと言って、ナインハルトの裁量に任せたのだ。
  その結果、釈放された中毒者達は以前にも増して無体な事をするようになり、手の施しようがな
 いと思われた。そうなると、そんな裁量を下したナインハルトの名声は地に堕ちたも同然だった。
 行く先々で、人々がナインハルトを恨む声が上がり、それは荒くれた工夫や鉄道員、農夫やカウボ
 ーイといった労働者層だけではなく、高級娼婦達からも疎んじるような声が上がり、彼女らを取り
 扱う事も多い富裕層にも煙たがられるようになったのだ。
  尤も、娼婦を何処か蔑んだような眼で見ていたナインハルトの事だから、世を渡る為に娼婦達と
 の遣り取りを大切にしようとしていた同じ斜陽貴族には疎まれていたのかもしれない。ナインハル
 トは、この荒野では女が価値あるものだと理解できなかったのだろう。
  兎にも角にも、今回の裁量違いの事で、悪くはなかったナインハルトの評価は格段に下がった。
  だが、それだけならば何の問題もない。
  マッドという王者が君臨する以上、たかが腕の良い無血主義者の名が地に堕ちたところで、その
 基盤は揺らいだりしない。マッドが冷ややかに『あいつらは有力者と繋がってるって言っただろう
 が』と冷ややかに言い放ち、その瞬間にナインハルトから表情が消えて終わりである。
  問題は、ナインハルトが逃した中毒者達を、マッドが捕えるよりも先に、パエトーンが撃ち落と
 してしまった事だ。ナインハルトに付き纏うパエトーンは、おそらくナインハルトの粗を探してい
 たのだろう。その結果、誰よりも先に、ナインハルトが仕留めなかった狩りの残党を撃ち落とすに
 至ったのだ。
  パエトーンのそれは生憎と実力とは言い難いし、そもそもその残党共がまた問題を起こすまで待
 っていたと言うのが、また狡猾ではないか。間違ってはいないが、褒められているとは言い難い。
 だが、実際に彼らを始末したのがパエトーンである以上、パエトーンの株が上がった事に間違いは 
 ないし、またそれによりパエトーンの鼻を伸ばす事になるのは否めなかった。
  事実、パエトーンは、もはや彼をこの世界に連れてきたプロメテウスの言い分など聞きもしない。
 それどころか、他の賞金稼ぎを蔑ろにし、あまつさ金を積まれてえ復讐を頼まれるとそれを聞き入
 れるという、あたかも『嘆きの砦』のような事をし始めたのだ。
  それは、あまりにも危険だ。
  プロメテウスは何度もそう諫言した。復讐を願う者は多い。現在の『嘆きの砦』であるマッドは
 それを聞き入れる。だが、それは何も手当たり次第に聞き入れているのではない。復讐に手を貸す
 までに、どれほどまでにマッドがそれを吟味しているのかなど、パエトーンには分かるまい。否、
 誰にもマッドの深淵は分からない。
  下手をすれば、実は復讐などではなく、単に邪魔者を片付ける為に使われたという事だって有り
 得るのだ。そうでないと判じるには、パエトーンはまだ幼く、判じる為の情報網さえ持っていない。
  しかし、良い気になって炎を振り回しているパエトーンにそんな事が理解できるはずもない。今
 やパエトーンは、ナインハルトの裁量違いを正したという事実を振り翳して、好き勝手に駆け回っ
 ているのだ。
  走り回る炎の塊を打ち砕く事が出来るのは、凄まじい稲妻だけだ。しかし、その稲妻を持ってい
 るはずの、賞金稼ぎの王たるマッドが、まるで動こうとしない。
  まるで、このままパエトーンに『嘆きの砦』が突き崩されても良いと言わんばかりの態度だ。
  それを懸念する賞金稼ぎ達は、鬱々とした気分のまま、マッドの顔色を窺うしなかい。
  そんな、鬱陶しい空気の中を割り入るように現れた気配は、賞金稼ぎ達の存在などまるで意に介
 せずに酒場の中を突き進んだ。
  静謐でありながらも圧倒的な、広がる荒野がそのまま形成したかのような気配に、賞金稼ぎ達は
 息を詰めた。中には思わず腰に帯びた銃に手を掛けようとした者もいたが、しかしそれは蒼天のよ
 うな眼に睨まれるや、手が震えだしてそのまま動けなくなってしまう。
  息の詰まる張りつめた空気の中、その原因である男は全く動じる様子もなくブーツの音だけを響
 かせて、今にも砕けそうな雰囲気と一線を画したまろやかな笑みを湛えたテーブルに近付く。
  そのテーブルに着いていたマッドは黒い視線だけを上げて、ゆったりとした笑みを消さずに首を
 傾げる。

 「珍しいな。あんたのほうから俺に近付いてくるなんて。遂に、俺の腕の中にその首を差し出す気
  にでもなったか?」
 「妙な子供がうろついている……仕掛けたのは、お前か?」

    とろとろと眠たそうな眼差しでありながらも、何処か獲物に飛び掛かる寸前の猟犬の気配を纏っ
 たマッドに、男は頓着せずに自分の問いを投げかけた。その問い掛けに対して、マッドは表情一つ
 変えない。

 「あん?俺は知らねぇなぁ。俺はあんたを撃ち落とすのはこの俺様だって決めてるんだぜ?なんで
  他の野郎を仕掛けなきゃならねぇ?」
 「あまりにも弱かったからだ。」

  暇つぶしにもならない。そんな弱い人間ならば、いくら差し向けたところで撃ち取る事は出来な
 いと踏んで。
  だが、マッドは鼻先で笑っただけだった。

 「悪いが、俺には何の事だか、さっぱり見当もつかねぇな。」
 「……お前が仕留めそこなった阿片中毒者がどうとか話していた。それを仕留めた自分が、お前よ
  りも強いとかなんとか。私を仕留めてお前の鼻を明かしてやるとも。」

  それを聞いた瞬間、周りで息を詰めていた賞金稼ぎ達は、誰の事を話しているのかがはっきりと
 分かった。
  だが、と続け様に口にされる台詞で更に顔色を失う。

 「私に関わっている間にお前が中毒者の背後にいる連中を潰していると言ったら、顔色を変えて何
  処かに行ったが。」

  私には関係のない事だが。

 「まあ、お前が仕掛けたわけではないのなら、それで良い。」
 「へぇ……それで?あんた、俺の前に姿現わして無事に帰れるとでも思ってんのか?」

  踵を返そうとした男に、マッドは腰に帯びた黒光りする銃を撫でながら問う。すると男は蒼い眼
 で一瞥し、頷く。その様にマッドは鼻を軽く鳴らした。

 「ふん。俺だってこんなとこで撃ち合う気にはならねぇよ。今日はその気にもなんねぇしな。分か
  ったら俺の気が変わらねぇうちにさっさと消えな。てめぇの辛気臭い顔見ながら酒なんか飲みた
  くねぇ。」

  追い払うように手を払うマッドを、男は一瞬眼を細めて見やると、来た時と同じようにひっそり
 と沈黙して去っていった。
  その後ろ姿を眼で追うマッドの口元には、酷く冷たい笑みが浮かんでいた。