ねっとりと、濃厚な湿気を孕んだ風が吹く夜だった。
  マッドは並いる馬の影と、その隙間に蠢く賞金稼ぎ達を見て、口角を上げた。
  今宵は闇夜。狩りをするには絶好の夜だ。星影さえ見えない空は地上にも同じく闇を灯し、狩人
 の姿を隠してくれる。その一方で、何も知らない獲物達は、能天気に阿片窟にでも籠っている事だ
 ろう。
  むろん、連中が、今夜の狩りに気付いていないとは言い切れない。だが、連中の居所は知れてい
 るし、何よりもマッド自身がわざわざそこまで行って確認してきたのだ。間違えるはずもない。例
 え彼らが銃を片手に待ち受けていたとしても、罠を仕掛けていたとしても、マッドの牙が届かない
 謂れはない。
  優秀な猟犬は、どんな状況であろうとも、獲物の喉笛を食い千切るものだ。
  そして、優秀なる猟犬を集めたマッドは、その中で最も優秀な猟犬として、彼らの顔色を一つ一
 つ窺っていく。猟犬の中に裏切り者がいないか、怖気づいている者はいないか、逆に血気盛んにな
 っている者はいないか。それを確かめるのも、賞金稼ぎの王の役目だ。
  やがてマッドは、猟犬達の中に求める姿があった事を見つけて口角を更に持ち上げる。
  そんなマッドの耳に、そっと囁く者がいた。

 「……本当に引き摺りだしたのか?」

  見れば、それは何も知らない少年に炎を与えたプロメテウスだった。彼はもう若くないその顔に、
 不機嫌そうな皺を幾つも刻んでマッドを見て、そして蠢く影の中で一番血気盛んに吠えている影を
 見る。
  その影こそ、プロメテウスが炎を与えたパエトーンだ。荒野で育ち、貴族やイギリス育ちに対し
 て劣等感と嫉妬と――そして本人は気付いていないのかもしれないが、嘲笑を持った少年を出たば
 かりの青年。むしろ、もう、その程度から考えれば、少年と言っても問題ないかもしれない。
  血気盛んであるが故に、そして貴族やイギリス本国の人間に対する僻み故に、マッドから冷やや
 かな眼で見られている少年。その少年の前には、彼が敵愾心を燃やす貴族やイギリス本土の人間の
 中で、最もその眼差しを向けられている男がいる。
 
 「どうやって、ナインハルトを此処に引き摺りだした……?」
 
  プロメテウスの言葉に、マッドは鼻先で笑う事を返答とした。
  プロメテウスの言いたい事は分かる。貴族で紳士的で、且つ私刑を好まないナインハルトは、賞
 金稼ぎの中では無血主義者として知られている。無血で賞金首を捕え、そして保安官の前に引き摺
 り出すのだ。そんな事が出来るのは、ナインハルトが賞金稼ぎとしてそれなりの実力を持っている
 からだ。
  一方で、賞金稼ぎの王者たるマッドは、無血主義者では有り得ない。
  ナインハルトがマッドの座る玉座に血の匂いを嗅ぎ取ったように、マッドは賞金稼ぎの王が座る
 玉座は、屍を組み合わせて形作られ、血で染め抜かれたものであると知っている。
     だから、マッドの狩りは血が流れる事が往々にしてあり、それはナインハルトの受け入れられる
 ものではないはずだった。
  だが、貴族の匂いの強い、ただ立っているだけにも拘わらず壮麗な気配のする男は、確かにそこ
 にいて、パエトーンのいいがかりにも等しい言葉を聞いている。

 「なんだ、あんたもこの狩りを受けるのか。」

  パエトーンはわざわざナインハルトの前まで言って、小僧でしかない自分の立場を忘れて偉そう
 な口を聞く。賞金稼ぎに口調を改めろと言うのもおかしな話だが、ナインハルトの出で立ちを見る
 と何故かそう言いたくなるのも分かる。
  ただ、ナインハルトはパエトーンの口調など気にしていないふうにして、パエトーンに向き直っ
 た。おそらく、この瞬間に自分を憎んでいる、恨んでいる、僻んでいる子供というのが誰なのか分
 かったのだろう。

 「良いか。この狩りで、どっちが大勢仕留められるか勝負といこうじゃねぇか。それで、俺達荒野
  育ちが、てめぇらみたいな貴族よりも強いって事を証明してやる。」
 「……これは遊びじゃない。」

  嬉々としてナインハルトに喰らい付くパエトーンを、ナインハルトは一蹴した。

 「生命の遣り取りをするのに、その生命の数で競い合うなど無意味だ。そんな考えで賞金首を捕え
  ているなど、賞金稼ぎとして失格だな。」
 「な……。」

  ナインハルトの台詞に、パエトーンは一瞬絶句したようだった。その隙にナインハルトはパエト
 ーンから離れていく。その背中に慌てたパエトーンは、威厳も何もない声で怒鳴りつけた。

 「待てよ!良いか!お前に何か俺は負けねぇからな!」

    吠えるパエトーンを無視して、ナインハルトはその遣り取りを見ていた他の賞金稼ぎ達の前も素
 通りし、ゆったりと葉巻を燻らせているマッドと、その隣で彼らの遣り取りを見ていたプロメテウ
 スの前までやって来る。
  何処か憂いに満ちたナインハルトの表情は、なるほど、確かに斜陽貴族の気配を完全に醸し出し
 ている。それに、突き刺さる好奇の眼を冷然として態度で切りぬける様も、貴族的な行為だ。そし
 て彼は紛れもなく南部の貴族だったのだろう。
  だが、そんな事はマッドにとってはどうでも良い事だった。ナインハルトが貴族であろうとなか
 ろうと、大層な問題ではない。むしろ、マッドにとっては、今回の狩りさえ成功すれば、後はどう
 だって良いのだ。
  ナインハルトと、パエトーンがどうなろうが。所詮、この二人を引き合わせたのは、マッド特有
 のただの気紛れに過ぎなかった。

 「よお、まさか本当に来るとはなぁ。」

  葉巻を燻らせ、紫煙が纏わりつく声で囁くと、ナインハルトの表情が微かに顰められたように見
 えた。それは、おそらくマッドにしか分からない程度の表情の変化だったが。

    「そんなに、俺の言葉が堪えたか?」
 「お前の言葉など、関係ない。私は自分の意志で此処に来た。」

  きっぱりと言い放つナインハルトに、マッドは笑みを浮かべて葉巻を口から離す。口からは、葉
 巻特有の独特の甘い匂いがした。

 「まあ、俺にはてめぇの意志があろうがなかろうが、どうだっていい。てめぇは此処に来た。それ
  が答えさ。」

  あの夜、マッドはナインハルトが無自覚に眼を逸らしている事実を突きつけてやったのだ。無血
 で賞金首を捕えるという名誉を一身に浴びるナインハルトの影で、確かに手を汚さねばならない職
 にある人間の事を。
  それを、いつかその言動から殺されるであろうパエトーンを、自分の存在がその根幹に関わって
 いるにも拘わらず逃げようとしている事を告げて、教えてやったのだが。だからといって、ナイン
 ハルトの清廉潔白であろうとする態度は、簡単には変わらない。マッドとてわざわざ変えてやる必
 要もない。ナインハルトも、どうせその態度によって、いつか命を落とす人間だ。
  他人の生死を占う趣味などないが、賞金稼ぎの王として君臨しているマッドには、誰が生き延び
 やすいかが分かる事がある。ナインハルトもパエトーンも、その心根故に、確実に殺される運命に
 ある。
  その引き金を引くのは、もしかしたらマッドであるかもしれないが。

    「今夜狩るのは阿片窟に溜まってる野郎共だ。つっても、ただの阿片中毒者じゃねぇ。阿片を吸っ
  た後、そのままの状態で街中ふらついて、女を犯して殺した連中さ。だが、奴らには阿片商人の
  元締めの息が掛かってて、保安官は簡単に手を出せねぇ。何せ、この阿片商人は悪どくてな。街
  の有力者共とつるんでやがるのさ。」

  嘆く家族や恋人は、大金を積み上げて、嘆きの砦の前にぶちまけた。これでどうか、と。その金
 の半分を受け取って、マッドはこうして狩りの準備をした。   狙うのは、狡猾な狐でも、獰猛な狼でもない。ただの臆病で、されどおぞましい、アナグマだ。
  それらに対してナインハルトがどのような行動に出るのか、興味深くもあったが、同時にどうで
 も良い仕事が増えるような気もしていた。

 「狩りが始まったら、その先は個々の裁量に任せる。俺は俺の、てめぇはてめぇのやり方で仕事を
  すりゃあ良い。」
 「私は、命の数で競い合うつもりはない。」 
 「だから好きにしろよ。俺だって、そんな面倒臭い事したかねぇな。」

  命の数など、この世で一番数えるのが困難なものなのに、何故、パエトーンもナインハルトも、
 簡単に『競い合う』などという言葉が出てくるのか。
  一つの命が、その他大勢の命を凌ぐ事とて有ると言うのに。その事実を、見たくないだけか。自
 分の命をその他大勢と感じたくないだけか。
  いずれにせよ、マッドはこの狩りでパエトーンやナインハルトの遣り方に合わせてやるつもりは
 微塵もなかった。嘆きの砦は、嘆きの砦に相応しい狩りをするだけだ。