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 乾いた風が、荒野特有の埃っぽい砂の匂いを運ぶ。湿っぽさが微塵も感じられない空気は、しばら
 
 くの間雨が降らない事を物語っている。それは放浪を続けるサンダウンにとっては喜ばしい事なの
 
 だが、同時にある種の味気なさも伴っている。



 荒野と同じで、延々と果てなく続く放浪は、どうしたって退屈だ。行きつく果てもない行路は、諦
 
 めしか生み出さない。それでも何らかの興味を世界に持てたのなら良いのだろうが、仮に興味を持
 
 ったとしてもその世界に自分の居場所はないのだ。自分を弾く世界に、情を注ぎ込む事など出来は
 
 しない。そして、それ故意に目的も生き甲斐も見出せない以上、その道程に喜びを見出す事は酷く
 
 困難だ。

 
  
 そう、思っていたのだが。



 愛馬の気配だけを背に受けつつ、サンダウンはちらりと頭上に広がる満天の星空を見上げた。雲一
 
 つない夜空は、星の瞬きの音が聞こえそうなくらい澄み渡っている。漆黒の、しかしその実、遥か
 
 遠くにある星の光さえ曇らせずに届ける空は、硝子よりも透明だ。その深い色合いがマッドの眼に
 
 良く似ていると思い、そして思った事にサンダウンは苦笑した。


 
 執拗に自分を追いかける若い賞金稼ぎが、いつから自分の中でその存在を肥大化させていたのか、
 
 それは当事者であるサンダウンにも分かりかねる。最初は、自分の首を狙う他の賞金稼ぎと同じだ
 
 と思っていた。その手に持つ銃を撃ち落とせば、尻尾を巻いて逃げてこのまま現れないか、現れて
 
 も大勢の仲間を引き連れてやってくるか。だが、彼はそのどちらの選択肢も選ばなかった。



 あれは何年前の事だったか。
 
 
 
 今はしなやかで無駄のない筋肉がついている身体だが、あの時はまだ未発達な部分が多く、頬にも
 
 幼さを主張する丸みが残っていた。そんなアンバランスな身体で、ただ一人で、サンダウンの前に
 
 姿を現した。
 
 

 サンダウンが置き去りにした世界を丸ごと背負って、直に見れば眼が潰れてしまいそうな焦げ付い
 
 た光を灯して。あらゆる光を呑みこんで弾く光は、半ば追われるようにして人の眼から逃げ出した
 
 サンダウンの行路にも弾け飛んだ。諦めしかない世界に容赦なく熱を注ぎ込む身体を、欲しいと思
 
 うのは当然の真理だ。



 追い縋るその手を、何処にも行かないように縛り付けてしまおうかと考えた夜、マッドはまるでサ
 
 ンダウンの心を読んだかのように嫣然と笑った。細い指でサンダウンの腕に絡んで、砂漠と同じく
 
 らい漠然とした声で囁いた。



『欲しいんだろ?だったら、楽しませろよ。』



 声も手つきも眼差しも、全て計算し尽くされていると感じるくらい、慣れた様子だった。そこに漂
 
 う密やかさでさえ、程よく混ざり合って、分かっていて調合したかのようだ。
 
 

 赤く熟した果実には誰もが好んで手を伸ばすように、爆ぜるような熱を持ったマッドも愛される事
 
 に慣れている。その事に眉を顰めながらも、マッドの身を覆う皮を剥く手を止めなかったのは、や
 
 はり乾いた喉の前に差し出された果実が欲しかったからにすぎない。

 

 湿度のない砂地にその身体を突き飛ばし、乱暴に服を剥いで、押さえつけて。

 

 首筋に噛みついた時、繊細な手が傷つくくらいに砂を握り締めて震えている事に気がついた。月が
 
 あるとはいえ、その微細な表情までは見えない。だが、組み敷いた身体に、先程まであった妖艶さ
 
 とは裏腹の怯えが確かに見えた。
 
 

 その瞬間に、腕の中に落ちた果実がまだ青く、誰にも触れられた事がないくらい硬い事を悟った。

 誰にも抱かれた事のない身体が、サンダウンの腕の中に落ちてきた理由。問い質す必要もない。硬
 
 く閉じた身体が、サンダウンの前にだけ投げ出されて蕩けていく様が、十分に答えになっている。



 命そのもののような身体を閉じ込めて、優越感に浸りながら独占的に貪って。

 何度も抱いて、口付けて、溶けて。



 だが、最近マッドの眼には奇妙な冷ややかさが浮かぶ。酷く遠くを見つめながら、嘲るような視線
 
 を虚空に向けるのだ。強いて言うのならば、自虐的。どうしたのだ、と問うても答えが返ってくる
 
 はずがない事は眼に見えている。だから代わりに、その身に快楽を打ちつけて考える事を止めさせ
 
 る。それでも、全てが終わった後は、再び沈み込んだような光を眼に浮かべるのだ。
 
 
 
 そして、あの夜、遂に抱き寄せる事も出来なかった。
 
 

 ―――飽いたか。


 
 サンダウンに抱かれる事に。
 
 

 無理もない、と思う。マッドはまだ若い。何処に行く事に戸惑いもないだろうし、生きる事にも貪
 
 欲だ。サンダウン一人に構うなど、無駄な事だと思ったのかもしれない。

 

 だが同時に、ふざけるな、とも思う。此処まで執拗に追い縋って、嫣然と誘っておいて、何を今更、
 
 とも。その首に荒縄を掛けて、人知れぬ場所に閉じ込めてやろうかとさえ思う。しかし、それがど
 
 れだけ無意味な事かも分かっている。光に首輪をつけるなど、不可能にも程がある。



 ―――諦めろ。



 マッドがサンダウンを諦めると言うのなら、サンダウンもマッドを諦めるしかない。大体、何かを
 
 諦める事など、今に始まった事ではない。



 腹の底で、暗い淵が広がるのを感じたが、それには眼を閉ざした。