香水の甘ったるい匂いやら、アルコールの強い匂いやら、妙に酸っぱい匂いやら。さっきまで抱い
 
 ていた女の残り香が鼻をつく。正直なところ、マッドは強い匂いをそれほど好んでいない。自然な
 
 香りならばともかく、女が好む香水や化粧の人工的な匂いは、どうも好きになれなかった。身体に
 
 纏わりつくような女の匂いに、げんなりとしながらベッドに倒れ込む。



 時折、こうして匂いを擦りつけてくる女がいる。マッドにとって、一晩だけの相手など珍しくもな
 
 んともない。賞金稼ぎである以上、何処かに根を張る事など不可能だろうし、相手もそれを分かっ
 
 ている。
 
 

 一夜限りの、後腐れのない関係。
 
 

 だが、たまに、マッドを自分のものにでもしようというのか、わざわざ行為のためだけに匂いをつ
 
 けてくる女がいる。擦り付けられた人工的な匂い――彼女達本来の匂いならともかく――は、マッ
 
 ドにしてみれば不愉快以外の何物でもない。
 


 ――大体、匂いだけで俺を落とそうなんざ十年早ぇ。



 匂いで酔えるほど、彼女達を深く思っているわけでもない。彼女達を抱いても、快楽の縁を漂って
 
 もそこに心底溺れることはない。



 そもそも―――



 ここ最近、マッドは妙に冷めているのだ。何かに酔いしれるという事が、極端に少なくなった。酒
 
 を飲んでも、酔いに身を任せる事がない。女も、酒も、快楽も、身体に流し込むだけで、すぐに流
 
 れ去ってしまう。身の内に留まって、身体を溶かしてしまうようなものがない。とろとろに蕩けき
 
 ってしまう事が、ない。原因は、分かりすぎるくらいに分かっている。



 あの夜―――― 
 
 

 あの、自分自身の銃口に糾弾された事実が、マッドの中で凝り固まって、ありとあらゆる快楽に蓋
 
 をしている。 まるで、胃の中に溶けない氷があるようだ。そしてそれは、誰かに溶かされるのを
 
 待っているようで。
 
 

 あの夜以来抱かれていない身体には、女の残り香よりも更に皮膚に近い所に、男の熱が残っていて、

 その熱が冷めてしまった今でも、マッドが覚えてしまっている。






 いつ頃からその行為が始まったのか。それを思い出す事は、この季節感のない乾いた地では困難に
 
 等しい。どういうふうに始まったのかも、もう記憶から遠い。
 
 

 どっちが誘って、どっちが誘われたのか。性格的な事を考えれば自分が誘ったのだろうが、けれど
 
 相手がそれに乗った理由は結局今に至っても分からない。普通に考えれば、無視か蔑みの視線が訪
 
 れて終わるはずの誘いが、確率的に一番低い低い答えで返され、そしていま現在も続いている理由
 
 はマッドの中にはなく、窺い知れない相手の無表情の底に横たえられている。 



 けれどいずれにせよ、二人の間にあるのは間違っても何らかの感情の交換ではない。人間として必
 
 要な感情などどこにもなく、あるのはひたすらに獣じみた欲望だけだ。

 

 乾いた砂の上で、四肢を絡み合わせて。

 腰や胸に甘い痺れも齎す刺激を与えられて。
 
 

 かさついた武骨な手は、慣れない痛みの伴う最初の夜から、ずっと丁寧にマッドの身体を苛んだ。

 勘違いするくらい優しく、快楽を引き摺りだそうと動いて追い詰める。
 


 だが、どれだけ快楽が渦巻いても、そこには甘さなど一滴もない。やっている事にどんな意味合い
 
 をつけるかは、そこに交わされる言葉で決められるのだろうが、残念ながら自分達の間には感情に
 
 満ちた言葉など交わされないのだ。いや、そもそも意味ある言葉自体が零れない。そして意味のな
 
 い言葉を零すのだってマッドだけで、自分を抱く男は一言だって言葉を発しない。

 

 当然と言えば当然。欲望を満たすだけの、それ以上の意味がない行為に、言葉など必要ないのだ。
 
 にも拘らず、酷く物質的な快感の為だけの行為だというのに、身体は与えられた熱を一つ残さず覚
 
 えている。







 必死になって、嘲った行為。

 けれど、身体が覚えてしまって忘れようとしないのは、



 ―――止めてくれ。



 自分で自分の浅ましさを罵倒しながら、マッドはそれが自分の望みである事を知っている。酒より
 
 も煙草よりも女よりも、自分が何に高揚するかなど。けれどその事実が、今、更に自分への罵声へ
 
 と変化する。苦く噛み殺した罵声の代わりに出てくるのは、諦めのような言葉だ。



 ―――どうせ、。



 そう言って切り捨てたのは、形になる前の願望だ。裏返せば諦めの言葉は完全に願望の言葉になる。

 その願望は、今や確かな言葉となって脳裏を駆け巡っている。






 ―――どうせ、溶けあう事なんか出来ないのに。