夜が明けると同時に、籠っていた熱も冷める。

 熱狂的だった気配はもはや何処にも感じられず、個々の身体に宿っていた雪崩のような衝動も、潮が引くように消えていく。記憶さ
 
 え定かではない男達は、不思議そうに首を振りながら各々の家や塒へと帰って行った。彼らは自分達が流されていた理由も、その時
 
 に見聞きした事も、ほとんど覚えていないのだ。その夜の事は忘れ、また、普段通りの日常が始まる。麻薬のような時間は終わりを
 
 告げ、何もかもを忘却の彼方に押しやるかのように、東の空から強い光が差し込んだ。 

 だが、狂気の中心人物と、その狂気の只中に飛び込んだ侵入者の二人だけは、熱に流された夜を忘れる事も出来ずに夜明けを迎えた。




 Irrtum







 眼が覚めなければ良かった。

 シーツに包まって、マッドは自己嫌悪に陥っていた。

 何もかもが夢だと思っていたのだ。薬と、いつもの自分の浅ましさが見せる、蕩けそうに熱くてしっとりとした夢。いつものように
 
 悪魔が自分に圧し掛かり、薬に耐えられなかった身体は抱かれる事を望んで、今まで一度として言葉にしなかった望みを口にした。

 縋って、身を捩って、身体を開いて。

 そこまでは、いつもの夢のまま。

 なのに、身体をいつものように刺し貫かれた瞬間、夢の中では感じなかった痛みに引き裂かれるかと思った。その痛みは薬によって
 
 すぐに快感にすり替わったが、しかし夢のような霧を振り払って、現実を見据えるには十分すぎるものだった。

 
 
 身体を支える腕はしっかりと形を持っていて、密着した肌からは男が好む葉巻の匂いが伝わってきて、体内にある男の欲望は生々し
 
 いほど自分の奥に押し込まれていて、見下ろす視線には悪魔の嘲笑などなくひたすらに寡黙で。夢の中では感じられなかったそれら
 
 は、マッドにその身に起こっている事が現実である事を知らしめる。



 サンダウンが自分を抱いている事だとか、その身に男を受け入れている事だとか、そんな事はどうでもいい。そんな事よりも、自分
 
 が口にした言葉が正しく本人に伝わってしまった事にマッドは愕然として、サンダウンの青い視線を見上げる。

 だが、逃げる事も弁明する暇も与えられず、マッドは乱暴に揺さぶられ、快楽の波に呑まれてしまった。

 それでも、一度取り戻した理性は振り切れる事はない。

 快楽に悦びの声を上げながら、意識が途絶える寸前にサンダウンの名を呼んで、何とか疑問を呈しようとした。



 何故、と。

 何故望みに応じたのか、と。



 その疑問が言葉になったかはマッドにも分からないが。しかしそれならば、いっそこの記憶そのものが曖昧になってしまえば良かっ
 
 たのだ。途中で理性など取り戻さずに、意識がなくなるまで夢だと思い込めれば、どれだけ楽だったか。だがそんな希望は悉く打ち
 
 砕かれ、マッドは望み通り悪魔ではなくてサンダウンに抱かれ、しかもその望みはサンダウンに伝わってしまったのだ。女なら羞恥
 
 に頬を染めるところかもしれないが、マッドにしてみれば己が仕出かした事に蒼褪めるしかない。誰にも聞かせるべきではない望み
 
 が、一番聞かせてはならない人間に伝わってしまった。開き直って薬の所為にして、何も覚えていない事にする以外に方法が思い浮
 
 かばない。それでも、サンダウンには軽蔑される可能性は捨てきれないが。


 
 気だるさの残る身体の中で嘘を練り込んでいると、突然背後から腕が回ってきて、投げ出していた手にかさついた手が重なった。ぎ
 
 ょっとして身体を強張らせていると、ひたりと肌が密着してきた。誰が背後にいるのかなど、そんなの、一人しかいない。しかもマ
 
 ッドにとっては救いのない事に、背後の男は寝ぼけてこの動作を行っているわけではないのだ。れっきとして眼を覚まし、自分の意
 
 志でこんな仕草をしているのだ。手を握り込まれて身を固くしているマッドに何を思ったのだろうか。サンダウンはその耳元で低く
 
 囁いた。



「…………すまない。」



 なんであんたが謝るんだ、とマッドは泣きたくなった。責められて然るべきはマッドのほうだ。事の発端はマッドにあるのだ。しか
 
 もサンダウンが謝ってしまえば、この行為の是非の判断はマッドが行わなくてはならない。サンダウンが行うはずの己の断罪を、自
 
 分でしろと言われているのだ。これが罰だというのなら、なるほど確かにこれほど自分に相応しい罰はない。己の撒いた種を己で刈
 
 り取れと、吐き捨てた望みを己で焼き捨てろと言われているのだ。



「別に………よく覚えてねぇし。それよりあんたこそ災難だったんじゃねぇの?悪かったな、変な事になっちまって。」


 
 薄い笑みを含ませてそう言い、マッドはサンダウンの手の中から己の手を引き抜こうとする。

 が、それは途中で阻まれた。

 

「おい………放せよ。」

「………許してくれ。」

「だから、俺は覚えてねぇから、かまわねぇっつってんだろ。」

「…………………。」



 その瞬間、横に寝ていた身体を仰向けにされ、その身体の上に男が乗り上がる。何、と思った時には、シーツの上に縫い止められた
 
 身体はぴくりとも動かない。

 ぐいっと顎に手を掛けられ固定され、青い視線が降って来る。



「かまわない、か…………。」

「そう言ってんだろうが。」

「………………自惚れるぞ」

「は?」

「……それとも、まさか本気で男に抱かれるか試したのか。」

「な…………。」



 飛躍しすぎた話と事の起こりである己の言葉を交互に繰り出され、マッドは絶句する。

 だが、眼の前の男の中で全ての話は繋がっているらしく、残酷なほどあっさりとマッドの嘘を暴こうとする。



「………覚えていないわけがない。」

「何を勝手に………!」

「意識と理性の有無くらい分かる。」



 お前もそうだろう?
 
 

 囁かれた台詞には頷くしかない。気配で互いの機嫌が分かるくらいに、長く在りすぎた。マッドがサンダウンの気配でその顔色が分
 
 かるように、サンダウンがマッドの理性と意識の在り方が分かってもおかしくない。最後の瞬間、理性が戻った事を見抜かれていた
 
 のか。色んな物事が悉く裏目に出て、何もかもが間違った方向に動いている事をマッドは思い知らされる。その身体に覆い被さって、
 
 サンダウンはマッドを引き摺り出そうとする。



「出ていけ、と言っていたから、男に抱かれたかったわけではないだろう。」

「男に抱かれた事をなかった事にしたいから、覚えていない、と言ったのか。」

「だが、お前なら、薬でどうにかなったところを襲った相手に、かまわないとは言わず、むしろ襲った相手を撃ち殺すだろう。」

「しかし、私がお前を抱いたのはお前に求められたからで、その時お前に理性はなくとも意識はあった。」

「そして最後、お前は確かに理性を取り戻していた。」

「だから、お前は、かまわないと言っているのだろう?」



 寡黙な男が、じっくりと時間を掛けて言葉を紡ぎ、マッドが抱え込んでいる悪魔を縛り上げる。動けない悪魔は、その実態を曝け出
 
 すしかない。逃げ場のないベッドの上で、マッドは本気で蒼褪めた。いっそこの場で縛り首にしてくれたほうが良い。そんなマッド
 
 の硬い頬を、サンダウンの手が普段の武骨さとは正反対の柔らかさで包み込む。

 

「男に抱かれる気のないお前が、私に抱かれて、かまわないと言った。だから…………。」



 耳を甘噛みされた。



「…………自惚れるぞ。」



 眼を見開くと同時に、脚を割り開かれた。










 眼の前のベッドで、シーツが丸くなっている。

 欲しくて堪らなかった身体が、頭からすっぽりと隠れるようにシーツの中に潜り込んでいるのだ。

 

 昨夜、散々責め立てて意識を失った身体が、最後に浮かべた理性の色。その理由をサンダウンは一晩中考えていた。

 男に抱かれる気などないくせに、男に抱かれるかどうか試したのだというマッドが、何を考えているのか。

 あけすけに色んな事を口にして、その実、肝心な事は何一つとして放さない男の内面を推し量るのは至難の業だ。

 ただ、長い付き合いの間で培った気配から感じられる心の機微と、理性を失った彼が吐いた台詞から、一つの仮説を練り上げた。

 それは、どうしようもなく自分にとって都合の良い話で。けれど、その話だけを携えて、世界の全てを従える身体に、それを突きつ
 
 けた。



 はぐらかされるか、笑い飛ばされるか、それとも怒鳴られるか。



 だが、返ってきたのはそのどれでもなかった。

 蒼褪めた顔が浮かべるのは、犯した罪を暴かれたような、そんな罪人の表情だった。

 道を違えたのだと言うように怯えの走った顔に、そんな顔する必要はないのにと思う。彼が望んだ以上、それを咎め立てする者など
 
 この世界にはいないのに。そもそもサンダウンが彼の望みに応じた時点で、マッドが苦しむ理由は何処にもないのだ。



 サンダウンが持っている以上の罪の意識に苛まれている身体が、己の腕の中に転がり落ちてきた事に、サンダウンは安堵と優越感を
 
 覚える。他の誰の手でもない、自分の手の中にこの男が入ってきたのだ。しかも、半ば自分の意志と望みで。
 
 夜明けの時刻、今度は薬を言い訳に出来ない身体を、もう一度責め立てた。縋りつく腕も、零れる声も、今度はマッドがサンダウン
 
 だけを感じて起こすもので、そこには彼の意志が宿っている。

 

 そして、現在に至る。



 亀のようにシーツに潜り込んだマッドは、何が今更恥ずかしいのか、出てこようとしない。そもそも最初に誘ったのはお前だろう、
 
 と強姦魔の常套句を言いかけて、サンダウンは流石に止めておいた。機嫌を損ねるどころの話ではなくなるのは、火を見るよりも
 
 明らかだ。

  
  
「マッド……………。」



 くいっとシーツを引っ張ると、ますますシーツが丸くなる。仕方なくシーツごと身体を抱え込んで、おそらく耳があるところで囁く。



「顔が、見たい…………。」
  
「てめぇ、それどんな面で言ってやがんだ………。」

「知りたければ出てこい。」

「ぜってぇ、嫌だ。」



 ってか俺もう外に出れねぇ。

 ぶつぶつとシーツの中で呟く男に、安心させるように囁く。



「誰も聞いていないだろうし、覚えてもいないだろう。」



 むしろサンダウンはかなり殺気立っていたから、殺し合いでもしているくらいに思われているかもしれない。大体、昨夜の空気自体
 
 がおかしかったのだ。正気に戻った彼らのうち、何人が正確に物事を記憶している事やら。

 だから、出てこい。

 そう言うと、ぴくりとシーツが動いた。しかし彼が出てくることはなく、代わりに地を這うような言葉が出てきた。



「俺はてめぇにだけは知られたくなかったんだ。」

「…………私以外の者が知る必要もないだろう。」



 それ以上におどろおどろしい声で言い捨てると、マッドがようやくシーツの隙間から眼だけを覗かせた。

 感嘆の吐息を零したくなるほど見事な夜空色の眼が、サンダウンを映す。普段とは違うしっとりと濡れた視線に誘われて、シーツの
 
 隙間に指を差し入れて包まっていた身体を引き摺り出す。鎖骨から腰、そして誰にも言えない場所にまで痕を残した身体をようやく
 
 腕に閉じ込め、嘆息する。



「お前が、欲しい…………。」

「っ………知るか!」

「お前だけが知っていればいい………。」



 他の人間になど、口出しはさせない。誰も知らなくていい。

 そう言って、額に口付けた。










 最高賞金額の賞金首と西部一の賞金稼ぎの関係がどのように変容したか。

 その間に、何があったのか。

 それを知っている者は、誰もいない。