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「男に抱かれる事が出来るか、試しただけだ。」


 死が確定している罪人達の前で『愛しているのだ』と囁くのと同じくらい残酷な台詞を吐いた男は、

 その罪人の一人の前で、長い手足を蟲惑的なまでにぐったりと投げ出していた。

 世界を従える身体は、どうしたって誰の目から見てもありとあらゆる欲望の対象となる。

 羨望・憧憬・欲望。

 軽薄そうでいて、しかしそれらを一身に受けてもびくともしないのは、恐らく誰よりも冷徹に自分自身とその身が背負う世界を見て
 いるからだろう。

 惜しみなく熱をばら撒いても決して浮かされない姿。

 それを揺さぶりたいと感じるのは、きっと人間の性だろう。

 だから、この男にとっては遊びや気まぐれであっても『触れてもよい』と許せば、誰もが身を投げ打って手を伸ばすだろう。

 誰しも神に愛されたいと願うのと同じくらい、この男の視線を奪いたいのだ。

 それが、どれだけ罪深い事であっても。




 Sunde 







 酔いと薬による熱に浮かされたマッドを、サンダウンは安宿の中でも一番格下の宿へと連れ込んだ。

 食うに事欠く人々が経営するその宿は、もはやただ同然の安さで、それ故無一文同然のならず者達が雪崩れ込む為、安全という言葉
 はないに等しいものではあるが、しかし同時に、雀の涙ほどの金を求めるが為に客人についてはとやかく言わない主人により、サン
 ダウンのような賞金首が賞金稼ぎを連れ込んでも何も言われなかった。

 尤も、それ以上に雄弁に語る視線や気配達が、ひしひしと包囲網のように自分達を囲んでいるのだが、彼らのほとんどはサンダウン
 に手を出せないような小物達であるので、さほど問題ではなかった。

 むしろサンダウンにとっての目下の問題は、眼の前のベッドに放り込んだ男にある。

 
 だらりと右手をシーツの上に投げ出し、左腕で顔を隠すように眼元を覆っている。

 その下で苦しげに歯を食いしばる口からは、それでも普段の倍以上に熱い吐息が零れているのが目に見えて分かる。

 大きく上下する胸も、彼が辛い状態である事は分かるのだが。

 如何せん、自業自得な面が多すぎる。

 自分の身体がどういった目で見られているのか知った上で、誘うような台詞を言うのが悪いのだ。

 現に今も、無駄に存分に悩ましげな媚態を見せている。

 マッドにしてみれば、これを媚態というほうが間違っているのかもしれないが。


 サンダウンの視線に気付いたのか、マッドが眼元を覆っていた腕をずらす。

 黒い瞳にあるのは潤んだ光だ。

 その眼にサンダウンは心臓が震えそうになったが、熱に侵されて潤んでも尚、冷然とした色を底のほうで広げているマッドに、流石
 だなと思う。

 この男は快楽に溺れている時でも、心底ではやはり冷徹さを失わないのかもしれない。

 だが、同時にそれは、真直ぐなものを折り曲げたい、真っ平らなものに足跡を付けたいというような嗜虐心をそそるものでもあるの
 だが。


「はやく、どっか行けよ。」


 サンダウンの不埒な心の動きを読んだわけでもないだろうが、マッドは低い声で告げる。

 そして、告げた台詞は、あまりにも自分の状態を把握してないものだった。

 それとも、熱に侵食されすぎて気付いていないのだろうか。

 自分達を取り囲む、この、あからさまな気配に。

 今、サンダウンが部屋から出て行けば、忽ちのうちにこの小さな部屋は侵略され、その身体は徹底的に蹂躙されるだろうに。

 分かっていないのだとしたら自分の吐いた台詞の重大さに気付いていないのかと腹立たしくなるが、承知の上で言っているのならば
 それはそれで腹が立つ。


 
 理性を失った罪人に、その身を投げ出そうと言うのか。

 それは罪を許す行為というよりも、一層、罪を重ねさせているだけだというのに。

 ならば、いっそこのまま、引き裂いてやろうか。


 
 ぐらりと物騒に傾いているサンダウンの心中を無視して、マッドは再び顔を腕で覆い隠す。

 ジャケットに覆われた身体は、さらさらと衣擦れの音を立ててベッドの上で軋んだ。

 食いしばっていた口が紐解かれて深く熱い息を零し、シーツの上を彷徨っていた手が縋るように握り締められて艶めいた皺を作る。

 苦しそうな、しかし情事の最中を想像させる動きは、計画的と言っても良いくらいに整然としている。

 
 そんなふうに見えるのはマッドだけの責任ではなく、むしろその熱を欲しがっているサンダウンの見間違いである可能性が多大にあ
 るのだが、サンダウンにしてみれば世界から弾かれた自分に、その世界を従えて手を伸ばすマッドの所為だという事になる。

 しかし、それ故にサンダウンは、マッドに触れる事が如何に罪深いかも知っている。

 世界から締めだされた自分が、世界を背負い、世界中の熱を集めたのと同じくらい沸き立った熱を内包しているマッドを欲しがるの
 は、至極当然であると同時に、大それた願いを抱いていると言われても仕方ない。。

 マッドが追いかけ、気配だけでその熱を集束させるだけでも、本来ならば十分すぎる。

 けれど、満たされた瞬間にさらに器を広げてしまうのが人間だ。



 熱をもっと引き出すた為に引き裂いてやりたい。

 二度と飛び立てないように縛り上げたい。

 誰にも声が聞こえないように閉じ込めてしまいたい。

 何処にも動けないようにその眼を固定したい。

 飛び火のように点々と爆ぜるのではなくて此処で溶ける様が見たい。

 
 
 そんな事を考えているだけでも、十分に自分は罪人だ。

 幸いなのは、それが狂気でない事だ。

 この男を欲しがるのは罪だが、決して人として間違った望みではない。 

 サンダウンは辛うじての救いに安堵しながら、苦しげなマッドの首元を縛っているタイを解き、ジャケットを脱がせてやろうと腰と
 肩に手を差し延べる。

 その瞬間、弛緩していたマッドの身体が大きく跳ねた。


「あ…………!」


 同時に上がった声は、常よりも高い。

 僅かに驚いて手を止めたサンダウンを、マッドの手が引き離すように押しやり、自分は再びシーツへと沈み込む。

 その身体は、ひくひくと震えている。

 思わず伸ばそうとした手は、触るなという言葉で阻まれて宙を掻いた。

 代わりに掴んだのは、マッドが飲まされた薬が何なのかという事実。



「出て、いけ………。」


 引き摺り出された熱が、快感に置き換わりはじめたのだろう。

 息を吐く速度が先程よりも速い。

 それでも、マッドは眼を冷然とさせてサンダウンに命じる。

 だが、それを聞いてやる事は出来ない。

 出ていけと言う言葉は、見るなという意味で吐き出されたものだろう。

 それはマッドの矜持なのだろうし、サンダウンもそれを汲み取ってやる事はできる。

 しかし、それを汲み取ってやれない者達にマッドを蹂躙される事だけは、断じて許せない。

 此処に残る事がどれだけマッドを傷つける事になったとしても。


「やめ………っ、う、く………。」


 ジャケットを脱がしている最中、マッドは小さく声を零し続けた。

 もはや、衣擦れどころか纏っている服にさえ感じてしまうらしい。

 少しでも楽に、とシャツを脱がしてベルトに手を掛けた時には、マッドの身体から震えが途絶える事はなくなっていた。


「あぅ………っ!」


 下着を引き摺り降ろしてやると、再び身体が大きく跳ねた。

 相当、強い薬を叩きこまれたのだろう。

 既にしっとりと濡れ始めた身体に、マッドの眼にあった冷然とした色が危険なくらい点滅している。

 見るな、触るな、出ていけ。

 うわ言のように、それでもサンダウンに向かって繰り返すマッドに、サンダウンとしても出来ればそうしてやりたい。

 今のマッドの状況は、サンダウンにとっては拷問以外の何物でもないのだ。

 それは、喘ぐマッドの姿が煽情的で眼に毒という理由以上に、何よりも欲しい身体が薬によって犯されている様を、

 黙って見ている事しか出来ないというもどかしさのほうが強い。

 まるで、最愛の人が嬲られている様子を牢獄から見ているようだ。

 こんなふうに、その眼から冷徹さが陶酔に置き換わる様など見たくはなかったのに。



 無理やり快感を感じさせられている身体を丸めてシーツに縋りつき、声を噛み殺しているが、しかし広がる陶酔に洩れる声が大きく
 なり始めている。

 それに伴ってざわつく気配達。

 サンダウンはその気配に、これ以上マッドが声を上げないようにその身体を引き起こし、後ろから抱き抱えると口に指を咥えさせた。
 
 声でさえ、聞かせたくない。

 サンダウンの行動に暴れるマッドの吐息は、意識が焼き切れそうなくらい、熱い。

 だが、それと同時に本気の噛みつきの痛みに、眉を顰めた。

 

 辛いのだろう。
 
 それを、このまま、熱が引くまで待つつもりなのだ。

 いつ、熱が引くかも分からないのに。
 
 楽にして欲しいと一言でも言ったなら、直ぐにでも抱いてやれるが、マッドが許さないならばサンダウンには手出しをする術はない。
 
 心底欲しくて堪らない上に、薬で犯される身体を自分で塗り替えてやりたいが。

 

「く………っ、あ!」



 サンダウンの手と触れ合う身体が、何かの拍子に小さく仰け反り、その瞬間サンダウンの指に噛みついていた口が開く。

 マッドの中から冷徹さが失われる一瞬。

 上がった声からは、もう、口を閉ざす意志が失われ始めている。

 小さな波になるざわめく気配に、サンダウンは殺気を一つ投げ込んでから、本格的に声を上げ始めたマッドの唇を自分のそれで塞ぐ。

 マッドの眼が大きく見開かれ、沈み込んでいた冷然とした色が微かに浮上するが、それはすぐさま消えてしまう。

 その様子に、自分が罪を犯した事を自覚したが、もう遅い。

 マッドが窒息しないように角度を時折変えながら、周囲で立ち昇っている気配に殺気を飛ばしながら一つずつ潰す事で、これ以上の
 罪を重ねないように気を逸らす。

 
「ん………。」


 小さく身じろぎしたマッドからは、ほとんど陶酔の色が滴り落ちていた。
 
 こちらがどうにかなってしまいそうなくらい、身体は甘ったるい線を見せる。

 その身体が不意にサンダウンから唇を離し、陶然とした声を小さく上げた。


「キッド…………。」


 ここまで艶っぽく名前を呼ばれたのは初めてだ。

 吐息がかかるくらい間近で囁いたマッドの眼の縁から、強い快感と蓄積された息苦しさの為の滴が一つ、音もなく転がり落ちた。

 それにさえ感じて、息を零して、マッドは瞳に薄い膜を張る。

 けぶる眼は熱に溺れて、焦点が定まらない。

 そんな眼差しで、マッドはサンダウンの罪を煽る。



「キッド………………。はや、く………。」



 何を。
  


 サンダウンが閉じ込められている牢獄に、するりと入ってきて囁く言葉への問いへの答えは、擦り寄る身体だった。





 夢見心地で、マッドの腕が、サンダウンの首に回った。