夜というものが空恐ろしいものだと感じるようになったのは、いつからだったか。
  子供の頃ならばいざ知らず、大人になってからもその暗闇に怯惰するようになったのは、保安官の任を自ら
 降りた時期だった。何もかもを捨てて、自分の首に懸けた五千ドルという賞金だけを背負って旅立ったその日、
 ぽっかりと荒野に広がった夜の闇が、どうしようもないほどの恐怖の対象となっていた。
  それは、手を伸ばしても底の見えない夜の深い闇が、自分の心臓の裏側に広がる絶望と同じ色をしていたか
 らだ。

  荒野に広がる闇が、今日もとてつもないくらい重く圧し掛かる夜、サンダウンはそれよりも濃い闇を抱えて
 途方に暮れたような気分になっていた。




  夜半の太陽





  もしかしたら、自分は不幸なのかもしれない。
  自分で選んだ道だと言い聞かせてきたが、客観的に考えてみれば、自分の生き方は悲惨以外の何者でもない。
 本来ならば賞賛されて然るべきの銃の腕は、この血腥い荒野では誘蛾灯のように無法者を引き寄せる。強さの
 意味を履き違えた男達は、サンダウンを地に落とさねば気が済まないと言うように、周囲に血が流れる事に眼
 を瞑って、銃を掲げる。
  己の所為で血が流れるのは、サンダウンにしてみれば不本意以外の何物でもない。そして血が流れるたびに、
 過去の賞賛が翻って呪詛に変わっていく様は、サンダウンでも耐え難い。自分への信が不信に変わっていく様
 に耐えられなくなり、サンダウンは保安官という立場から逃げ出した。
  そして、今はただ、追われるだけだ。そこには憎しみも不信もない。ひたすらに賞金に対する欲があるだけ
 だ。

  あのまま、不信に曝されたままいるよりも、遥かに楽な状態だと思う。確かに不幸かもしれないが、不幸に
 も段階的なものがあるのだとすれば、保安官を止める直前の状況に比べれば幾分かましだ。
  ただ、その代償として、神経の一番大事な部分が少しずつ欠けていくような気もするが。
  人々の凝ったような眼差しから解放されて安堵するも、それは同時に温もりも切って放したという事だ。荒
 野を彷徨うようになってからサンダウンが見聞きする温もりと言えば、撃ち殺した賞金稼ぎの血溜まりくらい
 のものだ。
  後は、

  サンダウンは、薄ぼんやりと縁を光らせている岩場に眼を凝らす。
  荒野には珍しく木々に囲まれたそこは、近くに小川が流れており、水音が微かに聞こえる。身を隠すには最
 適だと思って潜り込んだ木陰の隙間から、川岸に盛り上がった岩場が見えた。月の光を縁に塗したその岩場の
 上に、同じように月光を浴びた影がいた。
  身じろぎ一つせずに白い光を受け止める身体は、その毛先に光を集めて少し震えているようにも見える。そ
 して、ジャケットを脱いでシャツだけになった背中は、それでもその下にある身体の線がくっきりと分かり、
 芸術的でさえある陰影を描いている。
  それが誰か、など、わざわざ確認する必要もない。昼間に比べれば妙に落ち着いた気配を出しているが、そ
 れでも、その特異な空気は間違えようもない。そして向こうも、サンダウンが此処にいる事に気付いている。
 ただ、振り返りもせずに月を見上げて、まるでサンダウンの事などどうでも良いと言わんばかりの様子を見せ
 ているだけで。

  どうするべきか。
  一瞬、迷った。
  本来ならば、出ていくべきではない。何せ、あの月の先にいる青年は、優男に見えても西部一と謳われる賞
 金稼ぎである。サンダウンを執拗に追いかけ、その牙で喰らいつこうといつも隙を窺っている。今はまだ、サ
 ンダウンに分があるが、しかし気を抜いて良い相手ではない。
  だが、いつもならばサンダウンに気付けば、嬉々として向かってくる彼が、今夜はサンダウンがいても興味
 を示さない。人目を避けるサンダウンに、唯一にして無二の、血溜まり以外の熱を残すマッドが、今夜は月ば
 かりを見ている。それが、サンダウンの中で酷く気に入らない。

  それは、多分、今が夜だからだ。
  サンダウンの身体の奥深くで、静かに横たわってその時を待っている絶望に近い色をしている闇の帳が、あ
 ちこちに降ろされている。本当ならば塒に帰り、安心して身を丸める事ができるはずなのに、サンダウンには
 それが出来ない。あるのは、今にも自分を飲みこもうとしている闇ばかり。
  だから、サンダウンにとっては最後の熱の砦が、こちらを向かない事が不安で、腹立たしい。

  月など、いつでも見れるだろう。今でなくても良いはずだ。季節問わず、夜だけでなく、昼間でも現れるの
 だから。
  まるで、お前のように。

 「なんだよ。俺に見惚れてたのか?」

  突然、低く甘い滑らかな声が滑りだした。岩の上に座ったマッドが、首を捻って項を月色に染めながら、こ
 ちらを振り返っている。サンダウンを見る眼は、夜の帳と同じ色をしていた。
  その声と眼に誘われるようにして木陰から姿を現すと、マッドはまたサンダウンから視線を逸らし、月を見
 上げてしまう。そんなマッドの様子は、闇夜に惑う人々を隠れて嗤う新月のようだ。その暗がりから高みから
 引き摺り降ろしたい衝動を抑えつつ、サンダウンはマッドのいる岩場へと歩み寄る。

 「悪ぃけど、今夜は勝負はお預けだ。その気にならねぇ。」

  近づくサンダウンに何を思ったのか、そう告げるマッドは、しかしサンダウンの苛立ちを深めるばかりだ。
 いつもは鬱陶しいほど付き纏う癖に、今夜に限ってサンダウンを突き放す。その変貌と掴みどころのなさは、
 水に映る月のようだ。
  だが、突き放されてからやっとその姿に手を伸ばしている自分は、一体何様なのか。追いかけてくる事を当
 然だと思って、その癖、夜になれば突き放されたと怯える自分は。けれど、彼のように所構わず追いかける勇
 気はないのだ。

 「キッド?」

  自嘲めいた気分になったサンダウンの変調に気付いたのか、再びマッドが振り返った。今度は身体ごとサン
 ダウンに向き直っている。その表情は新月のような酷薄さはなく、気が付けばそこにある真昼の月のように凪
 いでいる。
  黒い眼も黒い髪もまるで夜空そのもの。その姿で真逆の光溢れる昼の只中に現れる様は、同じく夜の属性を
 持ちながらも、それでも太陽と同じ舞台に現れる勇気を持った月と同じだ。
  その眼差しに見つめられながら、思う。
  夜が空恐ろしいと思うようになったのは、保安官を止めた頃。けれども、怯惰しなくなったのは、この男に
 出会ってからだ。寄る辺のない夜と、同じ色を持つ彼だけが、サンダウンに熱を運ぶから。己の中で吹き荒れ
 る絶望は、その熱で御されていく。
  だから、夜は、もう、絶望の色を灯していない。




  けれども、きっと、実際はサンダウンの中で蟠る恐ろしさは変わっていないのだろう。
  色が、絶望から欲望に変わっただけで。
  マッドがその視線をサンダウンから逸らしたなら、サンダウンはその月を呑み込む為に、世界を夜ごと漂白
 してしまう。   
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
  
  
  TitleはB'zの『明日また日が昇るなら』から引用