眠い、とマッドは言った。
 ここは荒野のど真ん中である。空っ風が砂とタンプル・ウィードだけを運ぶ荒野で、サンダウン・
キッドは、賞金稼ぎマッド・ドッグと相対していた。
 執拗に己を追いかけるマッドに、サンダウンはもはや諦めの境地を越えて慣れ親しんだ感覚を覚え
つつあるのだが、そこはそれ。賞金首である以上、賞金稼ぎの動向に対して慣れを感じるのは如何な
ものかという思いから、とりあえずはしかめっ面――といっても他人から見れば普段の無表情と大し
て変わりない――を浮かべたのだった。
 しかし、そんなサンダウンのしかめっ面を無下にするかの如く、マッドの出会い頭早々の言葉は、
普段のサンダウンを前にした彼の言動からは考えもつかないものだった。
 目をとろりとさせて今にも閉じてしまいそうな瞼は、どう見ても決闘をする様相ではない。
 何も言わずに黙って、ただただしかめっ面を崩さずにして見ていれば、もう一度、眠い、と言葉が
零れた。それはこちらに聞かせようという何かしらではなく、正に喉から溢れ出て、零れ落ちたとい
った態であった。
 その後開いた口からは、ふわあ、と欠伸が出たのだから、彼が誰にとでもなく言った言葉は、やは
り眠気の切れ端が辛うじて、そして奇跡的に意味を成しただけのものだったのだろう。
 うっつらうっつらと首を傾げる姿は、放っておけば荒野のど真ん中であろうとも、眠りこけてしま
いそうである。尤も、そうなったところで自分にはまるで関係のない話だ。賞金稼ぎの一人が荒野の
只中で前後不覚に眠りを貪った果てが、如何なる末路であろうとも、自分には関係のない事だ。
 仮にそれが、長年の腐れ縁相手であろうとも。
 しかし、見つけてしまったのだ。
 賞金稼ぎの白い顔の中、うっすらと浮かぶ青い隈を。
 黒い眼差しにいつもの精細がないのは、眠気で瞼が落ちかかっているせいだけではあるまい。端正
な顔立ちに陰を差している隈に気づくと、もう、いけなかった。

「眠いのか。」
「ああ。」

 サンダウンも知らず知らずのうちに声に出してしまった問いかけに、マッドが、こっくりと頷く。
 まるで子供のような動作だが、マッドはれっきとした成人済みの男である。ふわあ、ともう一度、
欠伸が出る。
 マッドの背後では、彼の愛馬もつられたかのように大欠伸をしていた。
 隈のできた目をこするマッドは、その手を腰に帯びた銃に伸ばすこともしない。ただただ、睡魔と
一緒に現実世界をさまよっているだけのようだ。

「……だったら寝れば良いだろう。」
「昼間っから寝るなんて、俺はそんな怠惰じゃねぇぞ。」

 そして欠伸。
 言い分は非常に勤勉なものであったが、しかしその果てが欠伸とあっては何一つとして意味を成し
ていない。目の下に隈まで作って起きておく必要など何処にあるというのだろうか。
 そもそも、どうして昼間に欠伸を連発するようになったのか。サンダウンは、どうせ夜遅くまで遊
びほうけていたか、それとも仕事――この場合の仕事は間違いなく賞金首殺しだろうが――を夜に行
ったのか。
 その両方がマッドには有り得そうなことだった。以前、どういうわけだか二人で夜通し町の中を歩
き回るといった状況に陥った時、夜明けのマッドは徹夜明けである事など、全く分からない態で、欠
伸の一つもこぼさなかったのだが。
 だとすれば、マッドのこの眠気は、連日彼が徹夜であった、という事が原因だろうか。
 
「町にでも行って、寝ろ。」
「んにゃー。」

 もう返事をするのも面倒なのか、マッドが妙な声を上げる。その声は、犬というよりもどちらかと
いえば猫だ。しかも、意味するところが分からない。
 夜遅くまで遊んでいるからだ、とぼそりと呟く。すると、眠い眠いと目を擦っていたマッドは、意
外にもサンダウンの言葉を聞き止めたらしく、

「遊んでなんかねぇやい。」

 ぞんざいに反論する。

「遊んでなんかねぇ。確かに夜のてっぺんは超えた後に寝てるけど、それだってせいぜい一時か二時
くらいだし。それに最近は忙しくって遊んでる暇だってねぇよ。大体昼間こんな状態だってのが、ま
ずいことくらい、おれさまだってふぁかってふああああ。」

 最後は、欠伸が入り混じっていて言葉になっていなかった。
 もしも欠伸で吐き出された息が目に見えたのなら、マッドの周りには幾つもの塊が、ふよふよと漂
っていたことだろう。
 むにゃむにゃと呟きながら、もう一度目を擦るマッドは、その後も立て続けに三回欠伸をする。背
後の黒い馬も欠伸をしている。
 賞金首と賞金稼ぎが、こうやって向かい合って、賞金稼ぎが欠伸をしているだけ、というのも妙な
状態だな、とサンダウンが思い始めたあたりで、ようやく欠伸が落ち着いたマッドが、しかし凄く眠
そうに呟く。

「最近、どうも夜、眠れてねぇみたいだ。眠っても眠りが浅いし。」

 変な夢もよく見る、とぼやく。

「あんたがポンチョを広げて空を飛んでたり、あんたがヒゲと胸毛と腹毛をもしゃもしゃに生やして
毛玉になってタンプル・ウィードと一緒に転がってたり、逆に全部丸刈りにされて風邪ひいてたり…
……。」
「………待て。」
「ひどい時は、あんたが毛玉から人間になるまでの経過とかあった。あんた、毛玉からポンチョと帽
子が生えてきて、その後人間になるんだな。」

 待てと言うに。
 聞きたくもないマッドの夢の内容――しかも全てサンダウンが微妙な立場――を、サンダウンはげ
っそりとして途中で止めさせる。
 もぎゅ、とマッドの口を手で塞ぐと、サンダウンの手を飲み込まんばかりにマッドの口が開く。
 ふわあ。
 欠伸である。

「ヒゲがさあ、どんどん伸びるんだよな。こう、うねうねと。」
「もういいから寝ろ。」

 眠いと思う時にきちんと寝ないから、眠くもない時に寝て変な夢を見るのだ。サンダウンのヒゲと
かの。

「番をしてやるから、寝ろ。」
「ヒゲがーヒゲがー。」

 何やらもにょもにょと、ヒゲヒゲと言っていたが、やがてマッドはことりと足から崩れ落ちた。そ
の身体を支え、耳元にすんすんと寝息を聞きながら、サンダウンはマッドの眠気が自分に移ったのか、
欠伸を一つした。