所詮、人は自分の欲望の為に、他者を踏み台にするのだ。

  悲しい色をした世界に住まう、若き魔王は、そう告げた。
  彼の身に起きた事は、亡者達の口走る隅から聞き取る事ができた。そしてそこには確かに同情の
 余地がある事も理解した。
  類稀な天才剣士であり、勇者と奉られた青年は、けれども人々にそれ以外の面での評価をして貰
 う事がなかったのだ。一度背負った期待は、末永く纏わりつく。街ゆく人々は彼を天才と称し、親
 友でさえその天才に翻弄され、彼を憎んだ。そして愛する者も、結局は彼が天才であるからこそ、
 彼を選んだのだ。
  そして彼らの期待が失望にすり替わった瞬間、世界は墜落したのだ。
  それは、きっと青年がその国を逃げ出したとしても、変わらなかっただろう。何故ならば、過去
 は常に付き纏い、青年が天才であり勇者であり魔王である事を、必ず人は嗅ぎつけ、再び期待し、
 そして勝手に落胆するのだ。




 Moment





  人間というのは、どう足掻いても他人の過去に興味を持つらしい。
  確かに、過去というのはその人を構成する上で重要な部分であり、。過去を知るというのは、そ
 の人の事を知るという事だ。その人に近くあろうと思えば思うほど、知りたくなるものだ。
  何が好きなのか、何処に住んでいるのか、家族は何人いるのか。
  そんな些細な事から始まって、そこから中に入り込む隙間を探している。そして、何か一本、心
 の琴線とも呼べる過去を引き摺りだそうとするのだ。

  薄暗がりの中でぼんやりとしながら、サンダウンは思い出していた。かつて、自分に関わろうと
 してきた人々の事を。
  保安官として治安を守る任についていた時から、その銃の腕が血を呼び込むと分かってその任を
 返上し、そして荒野を放浪するようになった。その一連の流れの間にも、好むと好まざるに拘わら
 ず、大勢の人間がサンダウンの道に交わった。
  保安官だった時は、その名声に惹かれてやって来る名士達が大勢いたし、仕方なく得意でもない
 社交界に足を踏み入れねばならなかった事もある。その度に、自分を選挙の道具としてしか見ない
 権力者や、無駄に色香を放つ女に、昔の事を聞かれた。

  私はヴァージニア出身なのだが、君の出身は何処かね?
  戦争では、どこに従軍したのかな?私はメキシコ近くまで行った事があってね……。
  保安官はあちこちに赴任せねばならないらしいな。今まで何処に行った事があるんだ?
  あら、北部のどのあたりに住んでらしたの?北部には従兄弟が暮らしているのよ。
  保安官さんなら、さぞかし色んな犯罪者を見て来られたのでしょうね?今まで逮捕された犯罪者
 の中で、一番心に残っているのは、どんな罪を犯したのかしら?

  延々と繰り返される言葉に、いつもうんざりしていた。彼らがそれを聞くのは、本心から知りた
 いという以上に、サンダウンの栄誉を掠め取る思いのほうが強い。
  だから、サンダウンの銃の腕を聞きつけて、ならず者が引っ切り無しに町に訪れるようになった
 時、真っ先に掌を返したのも彼らだった。血を呼び込む保安官は、如何に過去に名声があっても、
 ただの疫病神にしか見えなかったのだろう。
  そんな彼らの考えが、町の一般市民にまで広がるのに、それほど時間は掛からなかった。
  だから、サンダウンが保安官の任を返上した時、確かに今まで守ってきた者達への諦めもあった
 が、それ以上に、これ以上自分に付き纏う名声や栄誉に振り回されなくてすむと安堵した。眼の前
 は血の河で先行きも不透明だったが、しかし煩わしい人との関わり合いを持たずにすむ事に、酷く
 晴れやかな気分になったものだ。

  けれど、その澄み切った気分は、人と関わるたびに脆く崩れ去る。
  自らの首に賞金を掛けた時、これで関わる人間は賞金稼ぎだけで、人と関わる時は彼らを薙ぎ倒
 す時だけだと決めた。
  それなのに、一体何処から聞き付けたのか、自分を保安官だった時の事を知る人間が、ちらほら
 と現れては、頼み事をしていくのだ。或いは、ぽとぽととサンダウンが零す言葉の節々から、何か
 を感じ取った者が、遂には結論に辿り着く。

  貴方が、あの名保安官?!本当に?!
  すごいわ、どうして今までずっと黙っていたの?
  西部の英雄と呼ばれた男が、眼の前にいるなんて! 

  彼らは一様に、サンダウンの過去に目を輝かせ、そして一つの英雄像を作り上げようとするのだ。
  サンダウンはそんな望み、一言も口にしていないのに。
  人々の中に、サンダウンの虚像が一つ出来上がるたび、サンダウンは忌々しい気持ちになる。こ
 こまで自分を縛り上げる過去とやらを、踏み躙りたくなる。そして、自分の過去を勝手に引っ張り
 出してきた人々に、どうしてそっとしておいてくれないのかと怒鳴りたくなる。

  確かに人を守って生きてきた、あの瞬間はサンダウンにとっても誇りだ。けれどもその誇りは、
 他ならぬサンダウン自身によって――人を守るはずだった銃の腕で――地に堕ちた。如何に人を守
 る事を誇りに思っても、その末路を思い出せば、引っかき傷を作るだけだ。
  よりにもよって自分自身が撒餌となった瞬間の、あのやるせなさを、どうしてそんな歓喜の声で

 呼び覚まそうとするのか。その歓喜の後に待っているのは、どうせ不信と落胆しかないのに。

  だから、とサンダウンは思う。
  自分は逃げ続けるのだ、と。
  あの青年のように、その手で信じたもの全てを壊さないように。彼は一度の裏切りで全てを壊し
 てしまったが、けれども壊さずに逃げて別の場所でやり直しても、きっと最後は何処かで同じ結末
 を迎えただろう。
  彼のかつての名声を聞き付けた人々は、また勝手に期待をし、そして落胆するだけだ。それが何
 度も繰り返されたなら、いつかは破綻する。
  そうならないように、サンダウンは逃げ続ける。期待をされないように、落胆もされないように。
 ただ、自分の首を狙う賞金稼ぎだけが、その賞金を期待していれば良いだけの事。

  でも、

 「お前は、私の事を、聞かないな………。」
 「ああ?」

  窓べりに腰掛けて朝焼けを見ている賞金稼ぎに、おもむろにそう問い掛けると、案の定、怪訝そ
 うな声が返ってきた。形の良い眉を顰めたマッドは、不審そうな眼差しでサンダウンを見る。その
 眼からは、また何か変な事言いだしたなこのおっさん、という声が聞こえてきそうだ。

 「いや………賞金稼ぎの中にも、偶に好みの女はどんなだと聞いてくる奴がいるからな。」
 「そりゃあ、あれだろ。その後に、その女を思い浮かべて死ねとか続くだろ。」
 「ああ…………。」
 「そういう事言う奴、確かにいるな。」 

  あんまりセンスねぇけどな、と葉巻を燻らせながら言うマッドに、しばらく間をおいた後、サン
 ダウンは再び尋ねる。

 「お前は、昔の事とか、聞かれないか?」
 「聞かれるぜ。」
 「お前は、聞かないのか?」
 「聞かねぇな。」
 「何故?」
 「あんた、今日はよく喋るじゃねぇか。」

  マッドは葉巻を口から離し、ふーっと煙を吐き出す。そして短く告げた。

 「昔の事なんか、聞く意味がねぇからな。」

  相手がもしも賞金首ならば、昔話によって憐憫の情を誘われたら困るから。女なら、女が話した
 くなるのを待つのが普通。女に限らず、男でも、過去にどんな事をして、それがどれだけ琴線にな
 っているのかなど、分からない。

 「まあ、時と場合によっちゃあ、勝手に調べるけどな。賞金稼ぎとして重要な情報収集として。」

  でも、とマッドは黒い眼をサンダウンに向ける。その眼は、どきりとするほど澄み渡っている。
 同時に、酷い憂いと覚悟がたわめられた色をしている。

 「この荒野に来る連中は、みんなこれまでの生活と決別した奴らばっかだろうが。だったら、そん
  な別れた過去の事をほじくり返して何になる。俺はそんな未練たらしいのはごめんだ。俺は、過
  去に縋りつく暇があったら、歴史の先端を走っていたい。」

  灰を落としながらそう言った賞金稼ぎに、サンダウンは先程の質問がこの男にとっては、愚問だ
 った事を思い出す。その日一瞬一瞬を爆ぜるように生きる男だ。確かにこの男にも、過去はある。
 サンダウンが知らぬ過去もあれば、サンダウンが知る、賞金稼ぎの王としての過去もある。
  けれど、それはこの男にとっては栄誉でも誇りでもないのだ。
  マッドは、自分の座る玉座の血色も知っていれば、そこに自分が座るのも所詮気まぐれでしかな
 いと知っているからだ。責任をとる覚悟はしていても、いつか交替が訪れる玉座に対して使命感は
 ない。
  マッドは、自分のしている事が、自分の為である事を、誰よりも心に穿っている。

 「マッド。」
 「なんだよ。」

  サンダウンに過去を求めない男の名前を、サンダウンは思わず呼んだ。すると、普通に返事が返っ
 てくる。

 「お前は………私に望む事はあるのか?」

  途端に、マッドの眉間に盛大に皺が寄る。
  が、見る間にそれは解け、いつもの皮肉げな笑みが口元に浮かんだ。そしてそ弧を描いた唇で、
 サンダウンが求める言葉を吐く。

 「俺がてめぇを仕留めるまで、勝手にくたばるんじゃねぇぞ。」