これで、逢っていないのは10日になる。
   あの喧嘩別れ――というか、サンダウンが一方的に怒り狂って別れた後、マッドはその姿を見
  つけられずにいた。いつもなら、10日もあればその足跡どころか姿形の一つや二つ見つけられる
  はずなのに、今回はその気配の一筋さえ見つからない。
   サンダウンが気に入っていた、あの喧嘩の舞台でもある塒にも何度か脚を向けたが、そこには
  ゴロゴロしている男の姿はなく、気配がどんどん薄れていくのを感じるだけだった。

   もしかして、避けられているのだろうか。

   一向に見つからないサンダウンに、マッドは薄々そんな事を感じ始めていた。
   サンダウンほどの賞金首ならば、並の賞金首が捕えられてしまうマッドの包囲網から逃れるの
  は容易いだろう。それでもこれまでマッドがサンダウンを見つける事が出来ていたのは、サンダ
  ウンが本気でマッドから逃げようとしていなかったからだろう。
   マッドの牙がその喉元に届くぎりぎりのところで、サンダウンはマッドから遊ぶように逃げて
  いたに違いない。
   そしてそれがなくなったのは、サンダウンが本気でマッドに逢いたくないからだ。

  「…………随分と、今更な話じゃねぇか。」

   これまで、マッドが望む望まぬに拘わらず、マッドがお気に入りの塒にやってきては、マッド
  を好きなだけ貪ってきたくせに。
   マッドがサンダウンの意に沿わない事をしたら、顔を合わせる事さえ嫌だというのか。

  「だったら、撃ち殺していきゃいいじゃねぇか。」

   野菜を買い込みながら、マッドはそう呟く。
   色とりどりの野菜が犇き合う露店が並ぶその通りは、いつもなら思案しながら、よりよい物を
  と選んでいくはずなのに、今日のマッドは必要最低限の物しか買っていかない。自分の腹さえ満
  たせば良いだけの買い物だ。そんなに考える必要もないし、それにそちらに心を向ける余裕もマ
  ッドの中にはない。

  「大切な物を捨てられて怒り狂って、顔を見たくないくらいだって言うんなら、怒りに任せて殺
   していきゃあ良かったんじゃねぇか。」

   それとも、殺す事さえ面倒臭いのか。
   それとも、あの塒をマッドの血で汚したくなかったのか。
   お気に入りだったもんな、とゴロゴロするサンダウンの姿を思い出し、マッドは呟く。もしか
  したら、いつかマッドが諦めて立ち寄らなくなって、そしてマッドの気配も消えた頃、戻ってく
  るのかもしれない。
   その時は、他の誰かを連れ込んでいるのだろうか。

  「は。なんつーふてぶてしいおっさんだ。」

   見てくれの悪いトマトを手の中に収める。普段なら選ばないであろう形のトマトは、それを見
  ても何の料理も想起させない。それはトマトの形だけの所為ではない。
   そんなトマトを買い取って、マッドは大人しく繋がれているディオのもとへと戻る。
   露店が並ぶ通りの入口で待っていたディオは、マッドの姿を見つけるとその胸元に鼻先を擦り
  つける。普段ならもっと派手に喜ぶ仕草を見せつけるはずの愛馬の、少し控えめな態度に、もし
  かしてこいつに心配されているんだろうか、とマッドは今の自分の顔色が不安になってきた。

   ぐちぐちとなんだかんだ言いつつサンダウンの事を考えているのは、マッドがサンダウンに対
  して引け眼があるからではない。ただ、これまでマッドに対して怒りを露わにしてこなかった男
  が見せた、初めての怒りに、マッドが戸惑っているだけだ。
   これまでのマッドとサンダウンの関係は、マッドがサンダウンを怒鳴り散らすようなものだっ
  た。
   それは、サンダウンがマッドを撃ち殺さない事や、サンダウンが何もせずにゴロゴロしている
  事など、時と状況は違えど、マッドがサンダウンの行為に怒る事ばかりで、その度にサンダウン
  は無表情でマッドを受け止めてきた。
   サンダウンがマッドの言う事を聞かない事は多々あっても、マッドのする事に文句を付ける事
  はなく、ましてや怒る事などなかった。顔を顰める事や、呆れたような眼差しや、憮然とした溜
  め息を吐かれる事はあっても、マッド自身が怒りの対象となる事など、今までなかったのだ。

   だから、初めて間近で見たサンダウンの――しかも紛れもなくマッドに向けられた怒りの刃に、
  マッドは戸惑っているのだ。
   それだけだ。
   けれども、それが、顔色に出ているのだろうか。
   心配そうなディオの眼差しは、彼がこれまでの愛馬達に比べて遥かに頭が良い事からも、そこ
  に宿る意志は明白だ。
   まるで子供が親の顔色を窺うようにマッドを見るディオの眼に、マッドは少しだけ笑みを浮か
  べて、大丈夫だ、とその黒い毛並みに覆われた首を軽く叩く。

   そう、これはただ戸惑っているだけだ。
   間近で初めて見る、そして自分に初めて向けられた、あの男の怒りに、柄にもなくうろたえて
  いるだけだ。
   職業柄、怒り狂われる事も憎まれる事にも慣れている。だから、しばらく経てば、すぐに何事
  もなかったように感じる事が出来るはずだ。
   あの男に避けられている事だって、普通に考えれば当然の事で、賞金首と賞金稼ぎの正しい在
  り方になっただけの事だ。今後サンダウンを見つける事が出来るかどうかは、マッドの賞金稼ぎ
  としての技量に掛かっている。あの男がこの荒野の何処かで自分を待っているなど、そんなふざ
  けた事をしなくなるだけの事。
   だから、怯える事など、何処にも存在しない。

   そう言い聞かせて、マッドは露店通りから離れようとディオを促す。
   だが、いつもはマッドの意志を汲んで、マッドが促すよりも早く動くはずのディオが、その場
  に脚が生えてしまったかのように動かない。
   怪訝に思って愛馬を振り返ると、ディオはふるふると首を振って、マッドが握る手綱を引いて
  その場から梃子でも動こうとしないという様子を見せている。

  「どうしたんだ?」

   いつにない愛馬の頑なな様子に、マッドは首を捻り、この先に馬が嫌いそうなものでもあるの
  かと視線を巡らせる。
   すると、ディオはそれを阻むように更に激しく首を振る。

  「おい、ディオ?!」

   暴れる、とまではいかないものの、随分と忙しないディオの動きに、マッドは少し慌てたよう
  に手綱に力を込めて押しとどめようとする。

  「どうしたってんだよ、一体?」

   むずがる子供のような仕草をするディオを宥めながら、マッドはディオの機嫌をいきなり悪く
  させた物を見極めようと周囲を見回す。
   そして、直後に凍りついて、、後悔した。

   通りの向こう側。人の波がどれだけ多くても、はっきりと分かる、気配。いや、むしろそれま
  で気付かなかった方がおかしい。
   荒野そのもののような砂色の髪と、擦り切れた帽子とポンチョ。
   見紛うはずもない。
   ずっと追い求めて、そしてここ数日間、見つける事が出来なかった相手。
   そしてその隣には、ごく親しげにその腕に手を乗せる女の姿がある。凍りついているにも拘わ
  らず見たところ娼婦ではなさそうだと思った自分の思考回路に、完全に他人を見る事に慣れた賞
  金稼ぎとしての職業病だと、マッド苦笑いした。

   それでも、酷く遠い世界の音の中で、ディオの悲しげな嘶きだけがはっきりと聞こえた。