あの後、結局サンダウンが戻ってくる事はなかった。拗ねたおっさんは、年甲斐もなく拗ねたま
 ま何処かに行ってしまったのだ。

  別にマッドとしては、サンダウンが何処に行こうが知った事ではない。サンダウンが荒野のど真
 ん中で野宿しようが、うらぶれた酒場で飲んだくれていようが――何処かで誰かと抱き合っていよ
 うが――気にする事はない。
  賞金稼ぎマッド・ドッグとして必要な事柄は、サンダウン・キッドの居場所であって、そこでサ
 ンダウンが何をして何を考えていようが、どうだって良いのだ。

  だが、いくらそうは言ってみても、いきなり怒りをぶつけられ、そのまま何処かに行ってしまっ
 て帰って来ないとなると、流石のマッドも苛立つというものだ。
  拗ねて何処かに行ってしまったなど、ティーンのガキくらいしかしないような事をしでかすよう
 な男の事など放っておけば良いのだが、如何せん考えずにはいられないのは、マッドにぶつけられ
 た怒りが、あまりにも理不尽なものだったからだ。でなければ、あんなおっさんの事、考えたりし
 ない。

  そんなに大切な物だったのかよ。

  乱暴に切り刻んだ白菜を瓶の中で酢漬けにしながら、マッドは苛立ちを込めて口の中で呟く。
  だったら、自分でちゃんと管理すれば良いだけの話だ。マッドがかつて、ベッドのサイドボード
 に古くなって必要ないけれど捨てられなかったものを入れていたように。
  荒野に来る前からマッドの持ち物だったそれらは、荒野では何の役にも立たない物で、けれど捨
 てるに捨てられず、だからと言って思い出に浸る気にもなれず、だらだらとサイドボードの引き出
 しに入れて、鍵を掛けていた。
  だが、それらはいつの間にか、マッドが覚悟を決めて捨ててしまおうと引き出しを開ける前に、
 何者かの手によってごっそりと捨てられてしまっていた。他の引き出しには一切手を付けずに、そ
 の引き出しの中身だけがなくなっていたのを見て、マッドは目眩を起こしそうになった。

  西部一の賞金稼ぎマッド・ドッグの持ち物を勝手に捨てるなんて真似が出来る人間は、生憎とこ
 の世に一人しかいなかった。その男が、何を思ってマッドの昔の私物だけを捨てたのか――そもそ
 もその引き出しの中にある事を知っていた事が驚きだ――マッドには分からない。
  鍵を抉じ開けてまで、マッドを縛る物を捨て去りたかったのか。
  空っぽになった引き出しを見て、そう思って慌てて打ち消して、けれども心の底には消えようの
 ない呆れが残っていた。

  俺は、そんな、管理されてる物まで捨てたりしねぇよ。

  自分がマッドの物を捨てた事を棚に上げて怒り狂う、此処にはいない男に、マッドは心の中だけ
 で告げる。きちんと管理されているもの――整備された銃やホルスターを捨てないように、あのハ
 ンカチが、ちゃんと折りたたまれたものだったなら、マッドも捨てたりはしなかっただろう。
  もし、そういった管理が面倒だと思うのなら――何せ酒瓶をソファの下に溜め込んでおくような
 男だ――マッドに一言言っておけば良い。大切な物だから捨てないで欲しい、と。一言でもそう言
 ってくれていたのなら、あの薄汚れた布切れを完璧とまでは行かなくともシミ抜きして、アイロン
 もかけて、ハンカチと呼べる代物にまでもっていっただろう。

  それとも、マッドにそう告げる事さえ憚られるようなものだったのだろうか。
  マッドは、自分がサンダウンに『女か家族に貰ったものか』と怒鳴った時、サンダウンがはっき
 りと豹変した事を思い出す。眼に見えて怒りを露わにした男のそれは、誰かから貰った事に対する
 ばつの悪さではなく、もしかしたらマッドがそこに触れてしまった事に対する怒りだったのではな
 いだろうか。
  そう思いついて、マッドは不機嫌になる。
  サンダウンはマッドが大切にしまっておいた物を勝手に捨てた。捨てる時にそれらを見ているだ
 ろうから――何せ写真まであったのだから――それがマッドの何に関する物なのか知っているはず
 だ。
  けれど、マッドが同じように、サンダウンの大切な物を捨てたら怒り狂った。

  なんて、自分勝手な、と思う。
  自分は何をしても良くて、マッドは駄目なのか。自分はマッドを好き勝手に扱う癖に、マッドが
 サンダウンをないがしろにしたら、それはもう許せない事なのか。傲慢にも、程がある。
  大体、ハンカチ一枚を大事に持ち続けて想うような相手がいるのなら、そこに行けばいいのだ。
  マッドが家事をしている間、ゴロゴロとして誰かを想っているのなら、そちらのもとへ行って愛
 なり恋なりなんでも囁いてやればいい。マッドだって、自分の事をハンカチ一枚以下にしか思って
 くれていないおっさんになど、構いたくない。

  白菜を漬けた瓶の蓋を、力任せにぎゅうっと締め、マッドは溜め息を吐く。そして、掃除をした
 ばかりで綺麗になっているが、しかしマッドだけが使っていた時よりも遥かに物が多くなった部屋
 を見回して、もう一度大きく溜め息を吐いた。
  あれほど物を捨てたのに、サンダウンが持ち込んだ物はソファを筆頭に意外と多く、サンダウン
 の居心地が良いようにと作りかえられている。
  こんな所に手を掛ける暇があるのなら、そのハンカチをくれた相手とやらに、手間暇を掛けたほ
 うが絶対に良いのに。
  何せ、此処にいるのはサンダウンの首を狙っている賞金稼ぎマッド・ドッグであり、マッドは寝
 首を掻く様な真似も家の中でドンパチするような真似もしないが、それでもいつかはサンダウンを
 撃ち取るかもしれないのだ。そんな人間がいる場所に、色んな物を置いて居心地良くしたところで、
 何にもならないだろうに。

  それともまさか、マッドをいつかこの小屋から追い出すつもりなのだろうか。
  サンダウンの好みに作りかえられていく部屋の中には、今はまだマッドの物も置かれているが、
 いつか、それも追い出されてしまうのかもしれない。
  どれだけマッドが吠えたところで、今のマッドはサンダウンには敵わない。もしもサンダウンが
 本気になってマッドを殺そうとしたら、一溜まりもないだろう。

  そう、自分達は、所詮は賞金首と賞金稼ぎなのだ。
  この関係が始まってから、何度となく言い聞かせてきた言葉が、ゆっくりとマッドの中で実を結
 び始める。
  そう考えれば、サンダウンの豹変ぶりも分かると言うものだ。自分よりも弱者であるマッドが、
 勝手な事をしたのだ。弱肉強食の考えが強い西部では、強者の意見は絶対的な力がある。それを無
 視して勝手な事をしたマッドに怒り狂うというのが、一番しっくりとくる考えだ。
  ただ、普段のサンダウンがそんな事を気にするだろうかという、少し腑に落ちない点があるだけ
 で。
  それと、夜毎繰り返される、睦言が。

  宵闇の中で囁かれる低音を、思わず耳の中で思い出しそうになって、マッドは慌てて首を振る。
 いや違う。あれこそ世迷い事だ。行為そのものは、強者が弱者を搾取する際の常套手段で、そこに
 落とされる言葉は、ただの世迷い事だ。それか、ただの気紛れか。
  それとも、あれか。あれでマッドが本気にしたら面白いとか思っていたのか。

 「本気にするわけが、ないだろうが。」

  むくれた声で、マッドは一人呟く。静まり返った部屋に響いて消えたそれを追い掛けながら、更
 に言い募る。
  ただの処理に、何を勘違いすると思っているのか。まして、たった一枚の布切れ以下だという事
 が分かった今となっては。他に誰か想う相手がいるというのなら。

 「ふん、出ていって、せいせいする。」