朝の光が眩しい中、サンダウンはベッドの上で丸まっているマッドを見下ろしていた。
   静かに黒い睫毛で縁取られた瞼を閉じるマッドは、深い眠りにあるのか、当分の間眼を覚まし
  そうにない。
   それもそのはず、マッドが気を失うように眠りに落ちたのはつい先ほどで、それまでの間、マ
  ッドの身体と意識はサンダウンによって与えられる熱と快楽の渦に巻き込まれていたのだから。
   精根尽き果てて眠るマッドの身体を清拭し、ベッドのシーツを取り換えて新しい清潔な毛布で
  包んでから、サンダウンは寝室に満ちたマッドの気配を感じて、ようやく安堵の溜め息を吐いた。
   尤も、先程、汚れたシーツと毛布を風呂場に持ち込む時に通り抜けた、台所やその他の部屋は、
  マッドの気配がなくて、面白くない気分ではある。

   確かに、もとを正せば、サンダウン自らが撒いた種ではある。
   高々布切れ一枚で、よくもまああそこまで怒れるものだと我ながら呆れるが、それもこれも、
  マッドが絡んでいるからだ。マッド以外の人間から与えられたものならば、別に失くしても何と
  も思わない。けれどもあれは、マッドがサンダウンに与えた最初の物で。
   マッドは、忘れてしまっているようだったけれど、サンダウンにとって、あれは怪我一つ手当
  てする事さえ億劫になっていた、些か自暴自棄だった時に、思いもかけず与えられた温もりだっ
  た。放っておけば化膿でもしそうな腕の傷に柳眉を顰めて、こんな傷放っておくなんて馬鹿じゃ
  ないのかと言って、じゅくじゅくとした傷口に躊躇いもせずに白い布を押し当てた。
   その瞬間が、どれほど愛おしいのかなど、マッドには分からないだろう。そうする事を当然だ
  と考えている事はマッドの美徳なのだろうし、またサンダウンも、マッドに対しては世界がそう
  であれと願っている。

   だが、だからといって、サンダウンにとって愛おしいものをマッドがあっさりと捨て去った事
  に、怒りを感じないわけがない。
   サンダウンには、マッドしかいないのに。
   マッドには、サンダウン以外の存在もある事は承知しているが、それでもマッドの中で、サン
  ダウンはそれほどの価値しかないのかと、見当違いに怒り狂った。しかもその上、マッドが、女
  から貰った物だろうという台詞を吐き捨て、今までずっと閨の中で必死に囁いてきた言葉を全否
  定されたような気がした。

   お前しか、いないのに。  

   サンダウンはマッドを信じているが、マッドはそうではないのだ、と。背筋が凍りついた。
   冷静に考えれば、あれはマッドの嫉妬だったのであって、それに気付いていれば、マッドを掻
  き抱いて耳元で睦言を囁いたのだろうが、如何せんそれに気付く余裕もないほど怒り狂ってしま
  った。
   惜しい事をした。
   珍しくマッドが、だらしないとかそういう事以外で怒って――嫉妬までしていたのに。
   そうだ嫉妬をしていたのだ。基本的に、サンダウンの過去になど興味がなく、サンダウンが誰
  と昔暮らしていたのかについても鼻先で笑うだけの男が、嫉妬していたのだ。
   その事実に、サンダウンは頬が緩みそうになった。
   そういえばマッドは、サンダウンが女と一緒に歩いていた事についても腹を立てていた。自分
  などではなく、その女の腕の中に行ってこい、と怒鳴って。

   馬鹿だ、と思う。
   あれは本当に、昔の――保安官時代の知り合いの妻でしかないのに。あの夫婦とは親しい付き
  合いをしていて、確かに夫人とだけで逢う事も多かったが、けれども彼らは有名なおしどり夫婦
  だったから、サンダウンがその隙間に入る余地などない。
   マッドと喧嘩別れした後、しばらく匿って貰っていたが、その間ずっと仲睦まじい夫婦仲を見
  せつけられた。手作りの料理や、夫婦の会話や、時折起こる喧嘩を見ているうちに、マッドが恋
  しくなったというのに。
   誰か他の相手の腕の中に戻るなんて、出来るはずがない。

   だから、マッドに逢いたくなって――逢えずとも気配だけは色濃く残っている塒に、戻ってき
  た。マッドとサンダウン以外の気配を消す為に、マッドを縛る彼の過去の遺物を捨て去って、よ
  うやく作り上げた、二人だけの場所。
   けれど、久しぶりに訪れたそこは静まり返って、廃墟のようだった。マッドの気配だけが根こ
  そぎ消え失せた部屋の中で、呆然として立ち尽くした、慌てて、僅かな残滓だけでも探そうとし
  てみたものの、葉巻一本見当たらず、西部一の賞金稼ぎはまるで見事に己の気配を拭い去ってい
  た。
   マッドが此処を訪れた事など、一度もないと言うように。
   マッドの残り香のない、サンダウンの気配だけがするその塒は、ただただ冷たいだけで、世界
  から追い落とされた心地がした。

   もともと、保安官を止めた時に、自分以外の何もかもを失くしたサンダウンには、何一つとし
  て残っていない。サンダウン自身は空っぽだ。
   そこに改めて熱を注ぎ込んだのはマッドだった。
   けれども彼は、サンダウンを置き去りにして、飛び立ってしまう。マッドがいなければ、あっ
  と言う間に乾いてしまうサンダウンの手には、何も残らない。

   だから、荒野を捜しまわった。
   見つけた時は心底安堵したが、けれども娼婦の膝の上に顔を埋めて、仲間達に守られる姿に、
  本気で焦りも感じた。
   賞金首だとかそういう事など棚に上げて、とにかく、マッドを自分の手元に引き寄せねばなら
  ないと感じ、賞金稼ぎ達の集まるその只中に入って、酔って無防備に眠っているマッドを連れ去
  った。
   思い変えせば頭痛しか湧き起こらない自分の行動に、しかしその時他に手があったのかと言え
  ば何もない。一刻も早く、マッドの気配を感じなければ、あのまま壊れてしまったであろう自分
  が容易に想像できる。

   一度手に入れた、極上の魂は、他の誰かでは代わりが務まらない。

   それを、もう少し、理解してくれたなら。

   サンダウン、は眠るマッドの頬をかさついた指先でなぞる。少しだけ身を捩ったマッドに、小
  さく笑い、その身体を包むようにしてサンダウンもベッドに横になる。
   塒の中は、まだマッドの気配が薄い。だから、こうして少しでも近くにいなければ、マッドを
  見失ってしまいそうだ。
   マッドが眼を覚ましたら、彼が何処かにやってしまった彼自身の持ち物を取りに行こう。そし
  て、もう一度この中をマッドで満たすのだ。
   そんな事を考えながら、サンダウンは腕の中にマッドを抱きこんで、ゆっくりと惰眠を貪った。




   数時間後、『いつまで寝てやがるんだ、てめぇは!』というマッドの怒声と共に、サンダウン
   
  はベッドから蹴り落とされる。