ぽたりぽたりと、地面に降り積もる水滴の音のような音を立てて、一つ一つと足音が増えていく。
 まるで、水滴が水面に落ちた時、そのまま輪が広がっていくように、足音も周囲に広がっている。
  取り囲まれている。
  サンダウンは、すっかり短くなった葉巻をくゆらせながら、うっそりとそう思った。
  五千ドルという法外な金額をその首にかけられているサンダウンにしてみれば、荒野のど真ん中、
 しかも真夜中に、周囲を取り囲まれるというのは、別に異常な事態ではない。確かに、そんなに毎
 日ある出来事でもないが。
  ぽつりぽつりと、雨だれのように近づく足音を聞きながら、サンダウンはその数を半ば上の空で
 数える。
  一つ、二つ、三つ……。
  十を数えたところで、それ以上は数えたところで無駄だと思い止める。十人以上ならば、何人増
 えたところで、どうやって凌ぐかという方法に変わりはなくなるからだ。

 

 
   Side.S





  雨だれのような、砂を食む幾つもの足音を聞き流し、サンダウンは短い葉巻を捨ててしまうのも
 勿体ないので未だにくゆらせていた。
  サンダウンは、銃の腕は西部随一と言われている。
  しかし、だから迫りくる、おそらく賞金稼ぎの足取りに対して、こうも悠然としているわけでは
 ない。
  サンダウンは確かに、銃の腕だけは秀でている。
  だが、それだけだ。サンダウンは五千ドルの賞金首で、その賞金が高額であるが故に、同じ賞金
 首からも命を狙われる日々である。サンダウンには仲間は決しておらず、一人で荒野を行くべき存
 在なのだ。
  故に、どれだけ大勢の輩に追撃されたとしても、それは一人で火の粉を払わなくてはならない。
  そして、孤高であるサンダウンにとっての一番の敵は、間違いなく数だった。
  一人であるが故に、大多数でかかられると、対応できなくなるからだ。むろん、そうなる前に払
 い落とすのだが。
  しかし。
  サンダウンは、未だに葉巻をくゆらせている。
  サンダウンの中には、いつも何処かで冷え切った氷よりも尚冷たい骨のようなものが引っ掛かっ
 ている。それはサンダウンも十分に承知しており、それが一体いつから突き刺さったのかも知って
 いる。
  それはちょうど、保安官を止めた頃、人々の賞賛が罵声に変わった時、行き渡る草原が乾いた砂
 に変貌した時に、サンダウンの心臓の裏側に釘のように打ち付けられた。溶ける事なく、延々と広
 がり続ける凍えは、いつでも隙をみてサンダウンを飲み込もうとしている。
  そして、それが腹の底に広がっている今、サンダウンはそこまで本気で、雨垂れのように広がる
 賞金稼ぎの群れを追い払おうという気にはならない。いっその事、常に何処に、死に場所を求めて
 いるサンダウンの人生を、此処で終わらせてしまおうかという気分にもなる。
  しかし、ハイエナのように群がる賞金稼ぎ共が、サンダウンの心臓を撃ち抜いて、四肢を引き裂
 いたとしても、腹の中に残る絶望までしっかりと飲み下せるのかと思うと、きっと無理だろうと思
 う。逆に、賞金稼ぎを頭の先から爪先まで、まるごと飲み込んでしまうに違いない。
  サンダウンの絶望は、それほどまでに底がない。サンダウンの身体が散り散りになったとしても、
 そこだけが井戸のようにぱっくりと口を開き、倦まず弛まず人々を飲み込んで、けれども延々と満
 たされないのだ。
  その時、サンダウンは死ぬ事も生きる事も出来ないままに、突き進むしかない。
  ぼんやりと雨垂れに聞こえる足音を聞きながら、しかしそれはサンダウンにとっての死神ではな
 いのだ、と諦める。
  どうせ、絶望を食い潰せるような輩ではないのだから、ならば相手をせぬままに、撃ち抜かれて
 も問題ないだろうと思う。
    むろん、それが非常に危険な考えであるとは分かっているのだが。
  ちりちりと、短くなるたびに点滅する葉巻の先にある光を見ながら、しかし、葉巻の慣れ親しん
 だ味でさえ現実に留まらせるには十分ではない。
  生きるのに、飽いた、とでも言えば良いのか。
  絶望を止める歯止めはなく、単調に荒野を行く日々にも飽きがきた。こうやって生命を脅かされ
 る一線にあっても、たじろぎもないのは、自信があるからというよりも、飽きがきたほうが理由と
 しては強い。
  尤も、生命を脅かされて、その通りに撃ち抜かれても、結局終わらないだろうと思うのは、皮肉
 以外の何物でもないのだが。
  もしも、あの程度の輩に撃ち抜かれて、自分の絶望の輪が終わると言うのなら、それこそ、この
 瞬間を試してみるべきだった。
  だからこそ、こうして取り囲まれているこの瞬間、腰に帯びた銃に手を伸ばしもせず、ただただ
 短くなった葉巻の先を見つめているのだ。
  ぽたりぽたりと、雨だれに似ている足音が、乾いた砂に染み渡る事が出来るのかと、嘲笑いなが
 ら。
  が、そんなサンダウンの鬱々とした気分の妄想を、馬鹿じゃないのかと言わんばかりに横っ面を
 引っ叩くように、近づいていた賞金稼ぎ達の足音がサンダウンを目前にして立ち止まったのだ。突
 然の音の停止に、サンダウンがおや、とポンチョに埋もれかけていた顔を上げると、何やら足音が
 立ち止まった辺りで言い争うような声がした。
  仲間割れか、と咄嗟に思う。こういった烏合の衆は、すぐに賞金の取り分で揉め、それが引き金
 で目的を果たさぬまま仲間内で流血沙汰を引き起こすのだ。
  今回も、そういった事だろうと鼻で笑ったのだが。
  次に起こるであろう銃撃は一向に、サンダウンの耳には届いてこなかった。代わりに聞こえるの
 は、遠ざかっていく雨だれの音だ。
  時折悪態のようなものも聞こえたが、それはすぐに噤んでしまう。
  やがて、雨だれの音が完全に遠ざかって消え去った後、こうこうと風の鳴く音だけが乾いた砂の
 上に響き渡った。
  そして、その砂の上を、さくさくと踏みしめる人の足音が。
  ぎょっとしていると、足音はすぐ傍まで近づいていた。先程までは闇に閉ざされていて見えなか
 ったと思っていたのに、いつの間にか足音の主は、闇を飛び越えてサンダウンの目の前に迫ってい
 た。
  黒い服に身を包んだ男は、髪の毛も眼の色も真っ黒で、いっそ、闇を飛び越してきたのではなく
 闇の中から抜け出てきたようだった。
  黒い眼をぎらぎらと光らせて、口元に笑みを湛えながらも明らかに怒りの色を噴出している男に、
 サンダウンは恐怖こそ覚えなかったが、微かに狼狽えた。しかしサンダウンの躊躇いを無視して、
 男はあっさりと最後の一歩まで距離を詰めてしまう。

 「なんだ、その顔は。性質の悪い賞金稼ぎ共に囲まれてたのを助けてやったてのに。それとも、あ
  んたは群れてくる連中がお好みだってのか?」

  わざと何もせずに近づけたのか、と暗に問われてサンダウンは返す言葉もない。あったとしても
 口を開くつもりはないし、仮に吐き出したとしても、それは完全に萎びた意味のない言葉でしかな
 く、目の前の男は一蹴してしまうだろう。
  現に、答えないサンダウンを置き去りに、男は畳み掛けるように口を開いている。
 
   「で、逃げ足の速いあんたが、なんだってあんな連中をあんなに近くまで呼び込んだんだ?あいつ
  らの中に心を委ねた知り合いでもいたってのか?腕の中で眠りたくなるような恋人がよ。」
 「……だから、そんなに不機嫌なのか?」

  口にしてから、まるで恋人の嫉妬をからかうような言葉だと思った。
    それに対して、男は趣味の悪い冗句だとでも思ったのか、はっと嘲るように嗤った。

 「ああそうさ。てめぇが俺以外の奴に殺されようとするなんざ、おもしろくねぇの何物でもねぇな。
  人の牙の隙間を散々擦り抜けといて、黙って見てりゃ他人の牙には普通に噛み砕かれるなんざ、
  馬鹿にしてねぇか?」
 「あの連中に、私を噛み砕けるとでも?」
 「だったら今すぐ俺の前に首を差し出してみろよ。望み通り、骨ごと噛み砕いてやるぜ。」
  
     男の言葉に、この男は宣言通りそうするだろうな、と思った。だから、首を差し出すなんて馬鹿
 な真似はしないのだ。
  他の連中ではサンダウンの延々と続く絶望に終止符を打てないだろうが、この男は容赦なく叩き
 潰して、決して綺麗な終止符など打ってくれないだろう。男の打つ終止符は、爆撃のように真っ赤
 に飛び散っている。絶望など、跡形も残らない。
  そしていつか、サンダウンはそんなふうにして、死ぬのだろう。 

 「それともまさか、あんた俺があいつらを止めるだろうとか思ってたんじゃねぇだろうな。」 

  頷けば、きっと男の表情はますます怒り狂うだろう。上気して、眼を爛々と輝かせて。
  飽いたこの世界で、この男だけが飽きがない。
  だからこそ、サンダウンの心臓を最期に引き裂くのは、この男だと確信できるのだ。鬱々とした
 気配を捻り潰したように。