マッドは黒光りして、今にも咆哮を上げて暴れ出しそうな愛銃を片手に舌打ちした。尤も舌打ち
 したところで、背中にある冷たい壁が何か心強いものに変貌するわけでもなければ、迫りくる足音
 の数が減るわけでもない。
  別に、こうなる事が分かっていなかったわけではなかったが、思った以上に早い連中の追跡に、
 しかもこちらには援軍と呼べるものがない事を考えれば、舌打ちの一つもしたくなるというものだ
 った。
  せめて葉巻の一本でもあれば、現状の打破は出来ないとはいえ、多少、心に余裕も出来ただろう
 が、生憎と先程、一番早い追跡者と派手にやらかした際に、全部泥の中に落としてしまった。
  マッドの舌打ちは、追われているという現状よりも、むしろ葉巻を全部駄目にしてしまった事に
 対して重きを置いているのかもしれない。




  Side.M





  何度も言うようだが、マッドはこうなる事くらいは予想していた。
  短気だ、癇癪持ちだ、すぐに噛みつく犬だ、などと言われるマッドだが、実際のところはそこま
 で短気なわけでも怒りっぽいわけでもない。本当に気が短いのなら、こんな一瞬で生死の分かれ目
 が現れるような荒野では、生きていけないだろうし、殊更賞金稼ぎという職業についていれば、短
 気なだけの人間など敵を作りやすいだけで、真っ先に撃ち殺されているだろう。まして、賞金稼ぎ
 の王になど、登り詰められるわけがない。
  そして、賞金稼ぎの王が座る玉座が、血濡れで、何よりも敵が多い事が分からぬほど、マッドは
 愚かではなかった。玉座に座って喜ぶような思慮浅い人間ではない。
  だから、自分がこうして追われている事も、全て納得済みだった。
  マッドは賞金稼ぎの王だ。
  別に大統領のように賞金稼ぎ共を管理し、統制を保たせているわけではないが、女王のように君
 臨はしている。
  彼ら全てに跪く事を強要はしないが、普通の賞金稼ぎのように、力ずくで言う事を聞かせる事は
 ある。それに、マッドが望む望まぬに拘わらず、マッドのやり方に肯定的な連中――賞金稼ぎや娼
 婦、時には保安課や判事といった有力者まで――が多ければ多いほど、そうでない連中は肩身の狭
 い思いをしている事は間違いがない。例え、それを振り払って肩を怒らせて歩いても、そこに突き
 刺さる視線は冷たいはずだ。
  それを疎んじて、マッドに喧嘩を売って来た輩はこれまでにもいた。
  賞金首を撃ち取られて逆恨みした賞金首の近しい者。或いは賞金首と癒着して賞金首を撃ち取ら
 れると困る有力者。もしくは賞金稼ぎの王位を奪おうとする賞金稼ぎ。または、マッドのやり方が
 気に入らないという賞金稼ぎ。
  考え始めるときりがない。
  賞金首よりも、賞金稼ぎや一般市民のほうから狙われる可能性が高いというのもあれな話だが、
 しかし、事実は事実だ。
  現に、今現在マッドを追撃しようとしている連中も、賞金稼ぎ達だった。
  勿論、彼らはマッドが共に狩りをしようと誘う、所謂賞金稼ぎ仲間ではない。マッドのやり方を
 理解し、納得している連中などではなく、理解も出来ずに頭ごなしに否定してかかるだけの輩だ。
 そういう連中に絡まれる事は、往々にしてあったから、マッドは別に彼らが今夜狙ってくる事につ
 いては特に感慨を持たなかった。
  しいて感慨を持つとするならば、追跡者達の個人個人どうしは普段から仲が悪くて共に行動する
 ような連中には見えなかった事くらいか。
  とにかく暴れる事が好きで、賞金首を撃ち落とすのもその首に掛かっている金と、それ以上に撃
 ち抜く事で憂さ晴らしをしたいのだというならず者と紙一重の連中と、賞金首と雖も全ては法に従
 って裁かれるべきだといういっそ狂信的とも言える考えを持つ無血主義者達と。
  とてもではないが互いに相容れない連中だと思っていたのだが、マッドの行動についての意見は
 一致したらしい。 
  気まぐれで、自分の裁量で賞金首の末路を決め、しかしその一方で無暗矢鱈と銃を抜きたがる賞
 金稼ぎを地に落とす。
  そんなマッドは、無血を貫く賞金稼ぎからも、血を好む賞金稼ぎからも、苦々しい存在でしかな
 いだろう。
  とどのつまり、彼らは自分達のやりたいように出来ない事が悔しいだけなのだろうが。それだけ
 の力がないのだと言ってみたところで、彼らは納得しないだろうが。気に入らないというのなら、
 マッドを押しのけるだけの力がなければいけない。それが出来ないのなら、やはり力がないという
 事だろう。力がない者がやりたいようにやったところで、結局は何一つとして仕上げる事はできな
 いだろうに。
  それが分かったから、こうして群れているわけか。
  マッドはギラギラと黒光りして、いつでも咢を開く事が出来るバントラインのリボルバーを確認
 しながら思う。
  群れねば何も出来ないと悟ったから、相容れない相手とも手を組んだという事か。

 「その後、潰し合うのは眼に見えてんだろうにな。」 

  砂を被ってざらりとした肌の壁に凭れて、唇以外はひくりとも動かさないまま、そう呟いた。遠
 くで聞こえる足音には、マッドの声は届いていないだろう。
  賞金首を捕える為に、仲の悪い賞金稼ぎどうしが手を組んだとは、全く意味合いが違う。賞金首
 目当てで手を組んだのなら、後は毒づいて舌打ちして分かれて終わりだろう。後は、せいぜいが賞
 金の取り分で揉めるくらいだろうか。
  だが、王位を巡る争いで、王を殺す為に王位を狙う者同士が手を組んだなら、王が死んだ後は泥
 沼の後継者争いだろう。血で血を洗うような争い事によって、西部の荒野が大きく荒れる事は眼に
 見えている。 
  それを、ならず者賞金稼ぎはともかく、無血主義賞金稼ぎが何も思わずに実行しようとしている
 のはもはや笑い話でしかないのだが。
 
 「ま、俺には関係ねぇ事か。」

  マッドはぽつりと呟くなり、銃を手にしていた手をぺたりと壁に真っ直ぐに這わせると、何の躊
 躇いもなく引き金を引いた。壁に沿って失踪した鉛玉は、壁が途切れた先辺りで、肉の塊にぶつか
 ったらしい。
  ぎゃっという叫び声と、その後一拍置いてから何かが倒れる音が聞こえてきた。
  その音にマッドは首を竦めてみせ、ひらりと身を翻す。
  銃声も悲鳴も、周りに聞こえていた事だろう。腐っても、賞金稼ぎを名乗る連中だ。そんな事に
 気づかないほど馬鹿ではない。まあ、銃声と悲鳴から、マッドの位置を割り出せるかどうかはとも
 かくとして。
  だが、相手が賞金稼ぎとして三流だろうが、このまま壁に張り付いていても良い事はないだろう。
 しかし同時に、マッドは追跡者達から逃げ切ろうとも考えていなかった。このまま逃げ切ってみせ
 たところで、どうせまたしつこく追いかけてくる事は眼に見えていたからだ。 
  マッドは既に、バントラインが一回で吐き出せる弾の数の人間を撃ち落している。二回目もまた、
 過たず同じ数の人間を撃ち落すだろう。そんな事は、六人の死体の数と、これまでのマッドの名声
 からも分かっているはず。
  ならば、六人の死体を見た時点で、引き下がっているべきだ。
  それをしないのは、つまり、連中はマッドを諦める気がないという事だ。
  葉巻が吸いたい。
  連中の思考を読み取りながら、マッドは思った。考え事をするには、葉巻の煙が一番の相棒だっ
 た。しかし全てが泥の中に失われた今、それは望めない。そう思って、もう一度舌打ちした。やは
 りマッドの中では、追われているという事実よりも、葉巻が失われてしまった事実の方が大きい。
  ここで全員撃ち取らなければ。
  マッドは葉巻の紫煙と共に吐き出したい思考を、仕方なく一人で飲み下す。
  全員撃ち取らなくては、きっと、何処かでマッド以外の誰かが犠牲になる。マッドと勘違いして
 か、マッドを脅す為の手段として。それはマッドにとっても胸糞の悪い話でしかない。
  むろん、マッドの中には、この場で大人しく撃ち取られるという選択肢はない。つまり、此処で
 全員撃ち取ってしまうという選択肢しかないのだ。
  難しくはないだろう。
  何せ、一人一人の銃の腕は、マッドの半分よりを尚下回る。気配の消し方、歩く速度、気配の探
 り方。どれをとってもマッドには負ける謂れがない。
  ただ、何せ人数が多い。六人撃ち取っても、一体何処からそれほど掻き集めたのかと呆れるほど、
 群れている。そして群れている人間が一番よく取る手段――囲い込みを行おうとしているのだろう。
 四方八方から気配が聞こえてくる。
  そのうちの何処か一か所を突破する事。それは決して難しくはないだろう。だが、突破しようと
 している最中に、数に物を言わせて畳み掛けてこられると、少々まずい。
  せめて、一瞬でも全く関係のない方向に全員の気を向けられたら良いのだが。
  生憎と、それが出来そうなものは今のところ手元にはない。てっとり早く作れる火炎瓶も、今は
 流石に材料もなく、作れそうになかった。 
  それらがなくとも何とかなりそうな気もするが、最後の確約として、それが欲しいところではあ
 る。今の段階で、運を天に任せるのも、決して悪くはないのかもしれないが。
  せめて葉巻一本あれば、その匂いと炎で、連中の気を逸らせる事が出来るかもしれないのに。
  此処で再び、葉巻を失った事が悔やまれてきて、マッドは再度舌打ちした。
  しかし、じっとしているわけにもいかないと頭を切り替える速さは、通常通り。もう一度バント
 ラインの重みで中に籠っている弾を確認し、群がる追撃者の一角を探る。
  と。
  何やら、不穏な空気が漂ってきた。 
  恐らく、一般人には分からないだろう空気の変調。緊張していた空気が、よりいっそう研ぎ澄ま
 された、更に静寂に満ちたものに塗り替えられる。
  それとは対照的に、マッドの神経は脊髄反射のように、先程までは苛立っていたのが嘘のように
 鋭く高揚していく。
    だからといって、我を忘れる事はなかったが。高揚する神経と一緒に、何故、どうして、という
 疑問が突き上げる。
  が、気配はするがすぐ傍にはいない男に、それを問いただす事は出来なかった。代わりに、恐ろ
 しいほど正鵠な銃声が、男が何をしたのかを告げていた。途端に、マッドが探っていた連中の一角
 から悲鳴が上がったのだから、何を成されたのはか明白だった。
  ほとんど一発に聞こえた銃声は、きっと冷酷に命を刈り取って行ったに違いない。マッドを追撃
 している輩を。何故、そんな事をしたのかは分からないが。
  偶々此処に来てしまって、それで巻き込まれた為に火の粉を振り払っただけなのか。
  それとも、連中の一人が男に気づいて、無謀にも喧嘩を売ったのか。
  或いは、マッドが此処にいる事を知って、そんな行動に出たのか。
  願わくば、最後の選択肢だけは、外れていてほしかった。
  その願いを込めて、マッドは背後に迫っていた追撃者の二人を、振り向きざまに撃ち落す。その
 時には、遠くに聞こえた銃声が、すぐ傍まで迫っていた。
  まるで、共闘しているかのように。
  腹が立つほど近くにいる男に、マッドは葉巻があろうがなかろうが、盛大に舌打ちした。

 「俺になんか用か、キッド?」
 「……用は特にない。」
 「は、じゃあ何しにこんなとこに来やがった?」
 「特に意味はない。」

  背後に立っているであろう男は、普段通りの飄々とした声でマッドに答える。

 「……安心しろ。お前に逢いに来たわけではない。」

  言外に、自惚れるな、と言っているようだった。
  その言葉に、マッドは、く、と笑う。背中を見せているから男にそれは見えないだろうが、気配
 で笑った事は分かっただろう。

 「なら、貸し借りはなしって事で良いな?てめぇは何が起こってんのか、分からなかったんだろ?」
 「ああ……向こうが勝手に銃を向けてきた。だから撃ち落した。それだけだ。」

  男の語った言葉は酷く簡潔だった。
  マッドに自惚れも気負いも感じさせない言葉だ。

 「……それとも、何か返すつもりか?」
 「なんか欲しいのか?この俺からなんか、たかろうってか?」

  返事はなく、少し首を竦めたような気配がしただけだった。
  が、直後に恐ろしいほど気配がすぐ傍に――首のすぐ後ろに、吐息がかかった。
  しかしそれは本当に一瞬の事、ぎょっとして振り返った時には、男の擦り切れた茶色のポンチョ
 の裾が、闇に溶け込むところで。
  項に、柔らかい何かが押し当てられたのは、夢かと思うほど。