最後にしゃらん、と音を立てて、二人は身体の動きを止めた。
  男も女も、あれほど激しく動いたにも関わらず、息の一つも乱れていない。
  二人は優雅に一礼すると、王侯貴族からの賛辞の拍手や声に一切の未練も残さずに、さっさと退
 場してしまった。
  その後を追うようにそれでも鳴り響く歓声の中に、彼らの代わりに舞台に立ったのは、まだ若い
 青年だった。
  しかし、その青年の顔に、皆が息を飲み、一瞬にしてその場が静まり返る。
  リュート片手に現れた青年は、灰銀の髪を緩く肩に垂らし、夢見るような眼で王と王妃を眺めて
 いた。その表情は何処か茫洋としていたが、しかしそんな表情でさえ一つの装飾だと言ってしまえ
 るほど、青年の顔は人間離れして――美しかった。
  無骨なハッシュには、それ以上の形容は出来ない。
  ただ、ひたすらに美しかったのだ。
  こんな顔をした男がいるとは、今の今まで想像できなかったほどだ。
  美しいと言えば、先程まで踊っていたブライニクルと、その親族と思しき女も美しい。しかし、
 彼らの美しさが人智で補える美しさであるとするならば、青年の美しさは紛れもなく神の域にある。
  その顔に見入っているのは、何もハッシュだけではない。周囲の王侯貴族、むろん王妃も、彼の
 顔を食い入るように見つめている。
  そんな視線に青年ははにかむ様に微笑んで、ゆっくりとその神経質そうな細い指をリュートに押
 し当てた。
  そして、その状態で彼は囁くように、しかしよく通る声で告げた。

 「私はこの度の一座の中で歌唄いを任されているトルヴァと申す者。僭越ではございますが、私が
  この夜の最後を締めくくらせて頂きます。」

  ぽろん、と弦をつま弾く音。

 「これより唄いますは、我が一座の『夢見』が占いし未来。それはこれからのいずれかの時代に起
  こるべき出来事。遠いか近いか、それは我らには分かりかねますが、一つ、寄る辺なき旅芸人の
  戯言としてお聞き願えればと存じます。」

  そう言って、滑らかに動く指。
  その瞬間、いや、それよりも前に、微かにだがブライニクルと、彼と舞を興じた女が、顔を顰め
 たような気がした。
  しかしハッシュ以外は誰も気づいていないようだから、ハッシュの思い違いかもしれない。
  ハッシュの思い違いであるという考えの背中を押すように、青年は彼の美貌と同じく世にも麗し
 い声で鳴き始めた。
  彼が歌うのは、この世の何処にあるとも分からぬ国の滅亡だ。
  友に、恋人に裏切られた男が、魔王と化して彼を育んだ王国を破滅に追いやる歌。それは、王と
 王妃がいる前で歌うには、あまりにも不吉な歌だったが、しかし青年の声により、ひどく甘く切な
 い慟哭に聞こえてくる。
  それこそ、聴く者の涙を誘うような。
  事実、王妃などは目頭を押さえている。
  が、一方で、気の所為かと思っていたのだが、やはりブライニクルの表情が微かに険しいものと
 なっている。
  一体何故。
  よもや、王妃の気に入りの視線が自分から外れたからというわけではないだろうが。
 ハッシュが怪訝に思っているうちに、青年の声はやがて途切れ、辺りには小さな啜り泣き声のみが
 響くだけとなった。
  しばし誰も声を上げる事が出来ぬ中、ハンカチで目尻を拭っていた王妃が歌い終わった青年に声
 をかけた。

 「見事でした、トルヴァとやら。このような歌を聞いたのは本当に初めてです。貴方のような詩人
  に逢えた事も。」
 「お褒めに預かり、光栄です。」

  歓声に対して何処か頓着していなかった他の芸人達とは対照的に、恭しく一礼をするトルヴァ。
 それを見て、王妃は涙を浮かべていた表情を一転させて笑みを浮かべる。

 「また、貴方の歌声を聴きたいものだわ。今宵はこれで我慢するとして、また近々わたくしの元に
  いらっしゃい。」
 「御意に。」

  恭しく頭を下げた青年に、王妃は満足そうに頷き、それはそうと、と問いかける。

 「貴方、先程の歌は占った未来と言ったわね?という事は、この一座には占い師もいるのかしら?」
 「はい。『夢見』と申しまして、見た夢がそのまま未来になるという者がいます。」

  あちらに、と青年が繊細な手先を向けると、そこには目を大きく見開いた少女が立ち竦んでいた。
 他の者達と同じく、豪奢な衣服を身に纏っているが、しかし痩せた顔にはあまりにも似合っていな
 い。まして、トルヴァの言うような特殊な能力があるとはとてもではないが思えなかった。 
  しかし、ハッシュやルクレチアのその他の者よりもずっと旅芸人を知っている王妃は、そんな少
 女の出で立ちを見ても疑いを抱かなかったのか、そちらに扇を向け、命じた。

 「なるほど。では『夢見』とやら。一つ占いをして貰いましょうか。わたくしの未来が、今後どの
  ようなものであるのか。」

  孔雀の羽の扇で差された少女は、眼をますます大きくして、うろたえたように王妃を見つめた。 
 その口からは、ひゅうひゅうと、奇妙な息遣いさえ聞こえる。
  そのまま卒倒してしまうのではないかと思われた瞬間、そこに割り込んだのは、先程まで顔を顰
 めていたブライニクルだった。

 「お待ちを、王妃殿下。この者は確かに『夢見』。しかし、自らの口で占いの結果を相手に伝える
  と、その占いは破られてしまうのです。故に、私の口からお答えさせて頂きたいと存じます。」

  そう言うと、ブライニクルは今にも倒れそうな少女の元に歩み寄る。すると、少女はブライニク
 ルの耳元にそっと唇を近づけ、何事かを形作った。
  それを聞き届けたらしい彼は、再び王妃に向き直り、跪く。

 「王妃殿下。我が『夢見』は決して万能ではございませぬ。言うなれば、細かくは分かりませぬ。
  それでも占いを口にしても宜しいか。」

  ブライニクルの言に、王妃は勿体ぶった素振りで頷く。
  それを見届けた彼は、頭を垂れたまま、『夢見』によって垣間見えた未来を口にした。

 「王妃殿下におかれましては、おそらく、次の春が芽吹く頃、御子をお授かりになるでしょう。」