その夜、彼らは王宮に招かれた。
  旅芸人という、あらゆる国を行き来し、もしかしたら何処かの国の間諜ではないかと疑われても
 おかしくない、そうでなくともある種の迫害を受ける彼らが、このように王宮の絨毯を踏む事は、
 恐らく他国では有り得ない事だろう。
  旅芸人を城内に入れ、しかも王侯貴族の並ぶ前で芸を見せるなど、それこそその最中にナイフを
 持った芸人の一人が王に襲い掛かってもおかしくはない。
  だから、基本的には旅芸人が王に芸を見せる事はあっても、その場合は王から引き離された場所
 で芸を行うか、或いは徹底的に身体チェックをされ、刃物は全て没収するのが普通だ。
  しかし、ルクレチアという国家は異質で、そもそも争い事に巻き込まれるような火種がない故に、
 他国の間諜も暗殺者も気にする必要がなく、それ故平気で王の前に旅芸人を呼ぶのだ。
  そこには、彼らの芸を見たいと駄々を捏ねた王妃の意向も存分に反映されているのだろうが。
  しかし、とハッシュは眉根を寄せて、しゃらしゃらと歩くブライニクルの様子を眺める。
  夜の帳と共に、背後に一座を従えて現れた彼は、普段見る茶色の外套は何処に仕舞い込んだのか、
 黒地に赤と金で刺繍された南方の民族が着るような衣服に身を包んでおり、そして首や腕には金と
 宝石を散りばめた装飾でふんだんに飾りこんでいる。そして白い顔には眦に赤い紅を一つ差し込ん
 で、黒い髪の先端には玉が幾つも連なり、それがしゃらしゃらと音を立てている。
  彼の背後にいる者達も、着ている服の色合いや装飾こそ違いはあれども、皆一様に、野営近くで
 見かける姿とは異なり、煌びやかな服装をしている。見ているだけで、貴金属を並べた夜店を思い
 浮かべそうだ。
  だが、その中でブライニクルは明らかに他の者達とは違う点があるのだ。
  彼の腰で、一つは物々しく、もう一つは軽やかに煌めいている。
  その、二振りの剣。
  黒光りする刃と白銀の刃は、両方とも見事な細工の施された鞘に収まっており、それだけでも十
 分な価値があるのだが、その剣を抜き放ちこそしなかったものの柄に手をかけたハッシュは、それ
 らが鞘走らせた瞬間に、人の胴と首を切り離せる逸物であると分かっている。
  それを帯刀したまま、王と王妃と、諸子百家のいる前に現れるとは。 
  しかもその状態で堂々と現れたという事は、誰一人としてそれを咎めなかったのだ。
  良いのか、とハッシュは思うものの、そこには王妃の意向と、それを咎めて王妃の叱責――ひい
 ては王妃の父親の不興を買う事を恐れる臣下の思惑が見え隠れする。
  だが、何かあった時に咎められるのは、自分達騎士だろう。
  何事もないとは思うのだが。
  しかし微かな不安を拭いきれないハッシュに、ブライニクルがちらりと視線を投げて寄越した。
 その視線には微かな笑みが含まれているようで、ハッシュは何か気忙しいような気分になる。
  それを感じ取ったのか、ブライニクルは今度こそ口元に笑みを浮かべ、するりとハッシュから視
 線を逸らす。しゃらしゃらと衣擦れと装飾の擦れ合う涼やかな音を立てて、赤い絨毯の上を物怖じ
 一つ見せずに渡り、そして一段高い所にある玉座に座る、王と王妃の前で跪いた。
  恭しく跪いた男に、王妃は愉快気な声を華やかに上げる。

 「ようやく来たのね。わたくし待ち侘びて待ち侘びて、くたくたになっていたのよ。」

  孔雀の羽でしつらえた扇で口元を隠しながら、恨み言のように言う王妃に対し、ブライニクルは
 まるで全ての非は自分にあるのだと言わんばかりの仰々しい声で答えた。

 「この度は、我々の願いを聞き入れてくださり、両陛下には感謝の極みに存じます。卑しき我らへ
  の恩恵に対し、誠に僭越ではございますが、我らの一芸を以て代えさせて頂きたいと存じます。」

  荒い言葉遣いは完全に鳴りを潜め、そこには艶やかな衣服に身を包んだ異国の使者がいるだけだ
 った。
  その言葉には王も王妃も満足したのか、臣下達も粗を探す隙も見つからなかったのか、玉座の前
 は静まり返った。その静けさを割ったのは、やはり王妃だった。
  王妃はお気に入りになったばかりの、壮年とはいえ見た目麗しい男に、扇の先を向ける。

 「宜しくってよ。赦して差し上げましょう。その代わりに、その言葉が嘘偽りにならぬよう、わた
  くしを楽しませて頂戴。」
 「御意に。」

  もう一度深々とブライニクルは頭を下げ、涼やかな音を立てて獣のようにしなやかに立ち上がっ
 た。
  それを皮切りに、華やかな衣装を纏った芸人達も、ひらひらと裾を翻して立ち上がる。
  そうして始まった彼らの催し事は、ルクレチアには長らく存在し得なかった、いやそもそも起こ
 った事さえなかった出来事だった。
  煌びやかで華やか。
  そんなものは、王妃が嫁いできた時にさえ、ほとんどなかったものだ。
  ルクレチアには、朴訥としたものしか存在せず、娯楽などもほとんどないのだから。
  だから、腕から指の先まで不可思議な、しかし妖艶な文様を描いた手がひらひらと踊り、妖しい
 炎を何処からともなく取り出していく様も、肌に宝石を散りばめた男女が絡み合いながら有り得ぬ
 動きで飛んだり跳ねたりする様も、その場にいる誰一人として声を出す事が出来ず、ふしだらだと
 かそんな抗議の声さえ上げられぬほどだ。
  ただ、かつてこうした芸事を目にした事のある王妃だけが、愉快そうに口元を扇で隠しながらも
 笑っていた。
  その王妃の前で、見知らぬ動物が駆け回り、人間の子供の遣いのような事をしたり、燃え盛る炎
 の中を飛び越えて行ったりするたびに、彼女の機嫌は上向いていくようだった。
  色とりどりの、そして豪奢な彼らの服装などは、最初から彼女好みだったのだろう。
  また、奇形も中にはいてその者達は王妃の笑いを誘い、その他の者達は逞しいか、或いはどちら
 かと言えば美しい部類に入る人間だったから、それも王女のお気に召したらしい。
  やがて、彼らの火花のような煌めきが一旦落ち着くや、その中央にしゃらんしゃらんと音を立て
 ながらほっそりとした身体が進み出てくる。
  黒い髪を緩やかに波打たせ、顔の半分をヴェールで覆い隠した、体つきから察するに女だ。
  ヴェールの隙間から覗く黒い目つきに、ハッシュはその目元がブライニクルに似ている事に気が
 付いた。
  彼の親族なのだろうか。 
  そう思っていると、唐突に彼女の周りを取り囲んでいた煌びやかな楽隊が甲高い音を立てた。そ
 の音と共に、彼女は赤いヴェールをたなびかせてくるりと回転し始めた。
  回転と同時に、金色の染料で施した文様が浮いている長い脚を蹴るように閃かせる。
  大胆にも太腿まで切れ込みの入った彼女の服の裾は、蹴りと共に捲れ上がり、白い脚も太腿の付
 け根まで露わになる。
  教会の司教が見れば、悪魔のなせる業だと怒り狂いそうな踊り。
  挑発的に目元だけを見せて踊り狂う彼女に、すっと一閃が投じられた。
  先程まで黙って見ていた長のブライニクルが、腰に帯びていた二振りの剣を抜き放ったのだ。
  ハッシュがぎくりとする間もない。
  彼は白銀と黒光りの二つの刃を持って、不徳な踊りを繰り広げる女に切りかかったのだ。白銀の
 刃が切っ先から根本まで光を通し、それが女の首元を貫く。
  が、その前に女はひらりと舞うように避け、代わりにヴェールで残りの黒金の剣を撫でていく。
  すると、黒金の剣が冷やかに動いて伸ばされた白銀と重なり合い、女を刃の間に閉じ込める。
  と、その一拍後には二人は弾かれたように離れている。
  赤いヴェールが血のようにたなびきながら刃から離れていくのを見て、ようやくハッシュはこれ
 も踊りの一部なのだと理解した。
  一歩間違えば、大参事が起こりそうな舞踏だが、踊る二人の息は信じられぬほど合っている。そ
 れは、彼らの血が近しいものだからかもしれない。
  この踊りが何という名であるのか、それはこの城に住まう者達には分からない。
  大司教が見れば女の形をした悪魔を追撃する騎士の語りに見えたかもしれないし、王妃の眼には
 踊り狂う恋人に見えたかもしれない。
  だが、結局のところ出自はまるで分らないのだ。
  踊りも、聞こえる音楽も。
  彼らはそれほどまでに遠いところからやって来た。