カンカンと鐘を打ちつける音が聞こえる。それはルクレチアの城下町ファミリオ村に朝を告げる
 音であり、遠くで鶏の鳴く声も聞こえている。
  普段はそれでもまだ村人の大部分が眠りに落ちている時刻。
  しかし、今朝は少しばかり様子が違った。
  昨日から逗留している旅芸人達を一目見ようと、わらわらと子供達が群がっているのだ。
  昨日は旅芸人達は全員持ち物やら身分やらの確認で、城に拘留されており、ほとんど村の方には
 顔を出していない。それ故、村人のほとんどが、彼らの姿を見ていないのだ。
  だから、昨夜遅くになってようやく拘束を解かれた彼らを一目見ようと、特に好奇心の強い子供
 達は、旅芸人がテントを張る広場に集まっている。口々に彼らの姿や彼らが連れている動物を指差
 す子供達の眼差しに対して、旅芸人達は嫌悪も抱かねば、逆に好意も持たなかった。
  旅芸人達は、こういった視線に慣れている。
  旅芸人の中には、奇形の者も少なくない。常に何処かが強烈に一般人よりも未発達な彼らは、普
 通の職業には就く事は困難だった。如何に人一倍働けたとしても、その外見故に忌避される事がほ
 とんどだ。その為、彼らは普通は忌避される自分の身体を見世物とする事で、どうにか食い扶持を
 稼いでいるのだ。
  それが良い事なのか悪い事なのかと聞かれれば、間違いなく悪い事なのだろうが、だがそれを是
 正するにはこの社会全体を変えねばならず、しかし人々は本気でそれを変えようとはしないのだ。 
  だから、見た目麗しく着飾った旅芸人の中に紛れて、ひょこひょこと不恰好に動き回る奇形達が、
 見世物として働かされているという事実に対し、ハッシュは旅芸人の長であるブライニクルを咎め
 立てする事は出来なかった。
  一方、王と王妃に対し逗留を願い出たブライニクルはといえば、壮年とはいえ、明らかに見た目
 麗しい部類に属する。その秀麗な顔立ちと、何処か異国情緒溢れるその身形は、一目見るなり王妃
 カミーユのお気に入りになったらしい。すぐにでも彼らの芸を見たいと言う王妃に対し、しかしブ
 ライニクルはやんわりと断りを入れたのだ。
  何せ自分達は今日の今まで歩き詰めで、皆が皆疲れ切っている。そんな状態で王妃様の前で芸を
 見せたところで、王妃様を楽しませる事ができるかどうか分からない。せめて一週間の準備期間を
 いただけないか。
  微かな訛こそあるものの、旅芸人という偏見を覆すほどの恭しい口調でそう願い出たブライニク
 ルに、王妃は渋々ながらも了承した。
  ブライニクルの言い分は尤もであり、また彼の願いを聞き入れて貰えるほどにブライニクルは王
 妃のお気に入りになったのだ。
  そんな彼に、ハッシュは子供達で出来上がった人垣を掻き分けながら、近づいていく。
  彼のいるテントは他のテントよりも少しばかり豪華で、脇には雨よけのついた簡易的な厩があっ
 た。そこから茶色の馬が静かにハッシュを眺めている。
  良い馬だ、と思った。旅芸人が持っているにしては、良い馬過ぎる。
  ハッシュは、静かに自分を見据える茶色の眼を見て、自分達騎士団の馬と比較して、溜め息を吐
 いた。ルクレチアには何もないと言ったが、それは馬とて同じだ。良い馬が生まれる地ではない。
 王侯貴族やハッシュの乗る馬は流石に、近隣より良いものを取り寄せているが、その他の兵士の馬
 などは、その辺の農家で生まれた馬だ。
  旅芸人とは国から国を渡り歩く、所謂根無し草なのだが、それほど儲かるとでも言うのか。
  ハッシュは、未だにブライニクルから預かったままである二振りの剣を見つつ、そう思う。
  昨日、ブライニクルが玉座の前に拝した際に預かったままの剣を、ハッシュは返しにやって来た
 のだ。大事を考えて逗留中は預かっておくという選択肢もあるにはあったが、そんな事をしていれ
 ば旅芸人全員の荷物からナイフや剃刀、果ては鋏まで預からねばならず、そもそも彼らが何かをす
 るであろうという懸念を持っている者は自分を含めごく僅かしかいなかった為、結局それはしない
 事になったのだ。
  しかし、それにしても、とハッシュは手に持っている剣を眺めながら、やはりこの旅芸人達は、
 他の旅芸人達とは違い裕福にしているという感が否めない。
  ブライニクルから預かり受けた剣を見ても、そう思わざるを得ないのだ。二振りの剣は、一方は
 白銀に煌めき、もう一方は黒光りしている、何処か対照的な剣達だった。しかし両方とも鞘には見
 事な飾りが彫り込まれ、柄も戦士が触れたならすぐに分かるであろう持ちやすい細工がなされてい
 る。ずっしりとした感触こそあるものの、振れば酷く軽い。
  大した傑物だ、というのが本心だ。これを打った鍛冶屋は相当の腕の持ち主だろう。紛れもなく、
 一国の王に抱え込まれていてもおかしくないほど。そしてそんな傑物が、何故旅芸人の手元にある
 というのか。
  国から国を渡り歩く中、そんな剣に出会う事はあるだろう。だが、それを手にし、しかも二振り
 も自分の所有物としているのは、一体どんな仕業だというのか。
  むろん、それを知ったところでハッシュには何も出来ないだろう。
  この二振りの剣が、何処かの国から盗み出されたものであると分かったとしても、それをその国
 に返すだけの伝手はハッシュにはなく、またルクレチアという国自体が、他国の所有物に対してそ
 れほどの興味を持っていない。
  おそらく、盗まれた御物であると判明したとしても、それで旅芸人を処刑したとしても、剣は本
 来の持ち主の元に帰る事はなく、精々ルクレチアの倉庫に放り込まれるのが落ちだろう。

 「一体、いつまで俺のテントの前で立ち止まってるつもりだ?」

  鬱々と考えていたハッシュに対し、テントの中から軽やかな笑い含みの声が投げかけられた。
  玉座の前では控えめだったその口調は、今はくだけたものになっている。ブライニクルの黒い目
 がきらきらと輝いている様が分かるような声に、ハッシュは我に返り、テントの前を陣取っていた
 事に対してなんとなく居心地の悪い思いを感じた。

 「俺に用があるんだろう、騎士殿?昨日、預けた剣を返しに来たんじゃないのか?」

  ころころと笑う声が、正しくハッシュの要件を見抜く。
  その事に驚きつつも、よくよく考えればハッシュが彼の元を訪れる要件などそう多くはないと思
 い直し、促されるままテントの中に入った。
  テントの中は簡易的なベッドと、小さなテーブルがあり、その他は壁際に竈と思われるものや鍋
 や皿などの荷物が積み重ねられており、どことなく雑然とした雰囲気があった。
  言うなれば、異国の店を彷彿させるような雰囲気があるのだ。それは、ハッシュも見た事のない
 文様のある敷物や謎の瓶詰などがある所為かもしれないが。
  そんな雑然とした中、テントの主はしどけなくベッドに横たわっており、黒い目で緩やかにハッ
 シュを眺めた。
  異国の衣服に身を包んでいるブライニクルの姿は、ハッシュの眼から見ても、壮年であるという
 事実を差し引いても十分に魅惑的で、刺激を求めている王妃にとってはさぞかし良き遊び相手が見
 つかったと思えた事だろう。

 「安心して頂きたいね。俺は小さいとはいえ、一国の王妃に手を出す気はねぇぜ。」

  ハッシュの心をまたしても読んだかのように、ブライニクルは告げる。

 「まあ、王妃様のほうが俺らの若いもんを誑かすって言うんなら話は別だが。」
 「馬鹿な事を……!」

  不敬罪と言われてもおかしくない台詞を吐いたブライニクルに、ハッシュは咄嗟に怒鳴りつけそ
 うになり、慌てて声を押し殺す。
  周囲には旅芸人を一目見ようと集まった村人がいる。自分が声を出せば不要な視線を集めるだけ
 だ。
  しかしブライニクルはハッシュの声に怖気づいた様子はなく、それなら良い、と頷くと手を差し
 出した。

 「俺の剣を返しに来てくれたんだろう、騎士殿?」

  傷だらけの、しかし整った手を差し出されて、ハッシュは先程の不躾な台詞の事もあって、即座
 にその手に剣を置くのは躊躇われた。
  だが、ブライニクルはハッシュがそれを返さないとはまるで思っていないらしく、手を引っ込め
 る気配はない。
  それに何よりも、ハッシュの躊躇いを余所に、ハッシュの身体は勝手に動いて二振りの剣をブラ
 イニクルの手の上に置いてしまっていた。
  自分の手に収まった白銀と黒金の剣を握り、ブライニクルはそれを自分の腰の横に置く。そこに
 置かれて、二振りの剣はようやくしっくりと収まったように見えた。
  剣が旅芸人に似合うという状況に呆然としながら、ハッシュは辛うじて小さく声を出すことがで
 きた。

 「……良い剣だな。」
 「ああ。」

  ハッシュの言葉に、ブライニクルは寝そべったまま頷く。

 「両方とも、ある貴族殿がくれたものだ。俺達を憐れんで、この剣を俺に寄越した。その貴族は魔
  術の大家で、この剣にも呪術的なものがかけられてるって話だ。」

  ブライニクルの言葉に、先程ハッシュが否応なく剣を返したのは、その呪術の所為かもしれない
 と思った。
  ルクレチアには魔術に詳しい者はほとんどおらず、教会の司教がそれについての蔵書を持ってい
 る程度だ。司教ならば、この剣にかけられている呪術について何か分かるかもしれないが、しかし
 旅芸人の剣について調べるほど彼は暇ではないだろう。
  この国も、一応教会が根ざしているのだ。それ故、教皇庁から時折やってくる使者の対応や、季
 節ごとの教会の催事等は司教が一手に引き受けている。そろそろ生誕祭の準備もせねばらならない
 時期だ。こちらが手を貸す事はあっても、手を借りる事は難しいだろう。
  ハッシュはこれ以上物欲しげに剣を見ていても無意味だと悟り、ブライニクルからも視線を外す。
 その背に、ブライニクルの声が投げかけられた。

 「一週間後だ。一週間後、芸を御前にてお見せすると、陛下に伝えて頂けるかね、騎士殿。」