「それで、あんたのこれは、俺を見張ってるつもりかい?」

  テントの中に、天鵞絨を堆く積み上げたそこを寝床としたブライニクルは、その上にしどけなく
 寝そべり、細い指の間に煙管を挟み込んでいる。
  煙管から漂う白い煙からは、鼻に絡むような甘い匂いが漂い、それがテントの中を独特の匂いに
 していた。
  ウラヌスに再三言われたにも関わらず、不遜な態度を崩さないブライニクルの元を訪れたハッシュ
 は、何も言っていないにも拘わらず、ウラヌスの忠告を知っていたかのような声を上げた。

 「言っておくが、立ち聞きしたわけじゃあない。ちらっと見たあの神父様の顔を見れば、誰だって
  快く思われてない事は分かるってもんさ。」

  人の顔色から心を読み解く事に長けた旅芸人は、こうしてハッシュの思考をあっさりと読んで、
 ハッシュをうろたえさせるのだ。
  だが、と片頬を濃い茶色の天鵞絨に埋めた状態で、ブライニクルはハッシュを見つめる。

 「旅芸人を見張るなんて仕事に騎士団長殿が駆り出されるって事は、そんなにその神父様は俺達の
  事を危険視してるって事かね。でも、そのわりにはトルヴァを後宮から締め出そうともしないし、
  随分と間が抜けた話だ。」
 「王宮には私の部下達がいる。」

  見張っているという言葉を肯定するつもりはないし、ウラヌスを庇うつもりもないのだが、ハッ
 シュ
 はそう答えた。旅芸人達が全く安全という保障が出来ないのは事実であり、彼らに侮られるのは決
 して喜ばしい話ではない。
  侮られる事を計画とする事も出来なくはないだろうが、生憎とそれほどまでに知恵を働かせるほ
 ど狡賢い人間はルクレチアにはいない。
  ぎりぎりまで殺気を押し殺せたりする人間は、権力にしがみ付く大臣の仲にもいないだろう。
  むしろ彼らは、保身に回る姿をあけすけに見せている。
  ハッシュの言葉を聞いて、ブライニクルは器用に片眉だけを持ち上げると、口元に薄く笑みを刷
 いた。

 「それで、俺には騎士団長殿か。随分と大きく見られたもんだな。」

  口から白い煙を吹き出し、煙管を持った細い手をゆっくりと膝に置いた。しどけなく寝そべった
 身体の下側には、あの二振りの剣がひっそりと敷かれている。
  それに眼を向けているハッシュに、ブライニクルは、ふふんと小さく笑った。

 「だが、別に俺を見張りに来ただけってわけじゃあなさそうだな。この剣の事がそんなに気になる
  のか。物欲しげに見やがって。」
 「物欲しげなど……。」
 「別に謝る事はない。騎士に限らず、武人ってのは皆そういうもんさ。良い馬と良い剣。それを欲
  しがる。」

  ひらひらと手を振ってハッシュを黙らせると、ブライニクルは身体の下に敷いていた剣を鞘ごと
 引き抜いた。
  白銀と黒光りの剣は、照明を抑えられた天幕の中でも、不思議な事に十分に光を弾き返して輝い
 ているように見えた。やはり、何度見ても素晴らしい剣だ。
  逸物。
  まさにその言葉が良く似合う。
  何処かの貴族から下賜されたというその剣は、ハッシュを誘うように閃いているが、しかし同時
 に深い拒絶を放っている。まるで、それ自体に意思があるかのように。
  目の前に差し出されたそれらを前に、ハッシュが躊躇していると、ブライニクルは笑みを消さな
 いまま告げた。

 「この前に言った、エスメラルダの二の舞の話……覚えているか?」

  トルヴァの行く末を気遣うエスメラルダの話。
  それは、情の強いエスメラルダが、自分の二の舞をトルヴァに踏ませない為だと言う。
  ハッシュがブライニクルを見やれば、ブライニクルはやはり笑ったまま続ける。

 「この剣は、エスメラルダの代償だ。」

  言ってもどうせ大した結果にはなるまい、と言って、ブライニクルは淡々と、自らの妹に圧し掛
 かった災厄について語った。

 「トルヴァの状況を見て、普通に考えればエスメラルダに何があったのかは分かるだろ。そう。あ
  いつはトルヴァみたいに王族とまではいかないものの、とある諸侯と恋なんてものに落ちたのさ。
  王族ではないものの、前も言ったように大貴族だ。勿論、政治に一言でも口を出せば、そのまま
  政局が、一国のみならず三国の政局が引っくり返るような貴族様だった。」

  ハッシュには想像もつかないような貴族の話。
  ルクレチアにいる貴族と言えば自分の立ち位置を守るのに夢中なだけか、狩りに駆け回るだけか、
 それくらいの種類しかいない。間違っても、政局を覆すような貴族はいない。
  想像できずにいるハッシュに対して、ブライニクルは特に反応は求めていないのか、変わらぬ口
 調で続ける。

 「と言っても、先代の跡を継いだ長兄ではなく、次男坊だったけどな。けど、権力を持っている事
  に変わりはない。女だって選り取り見取りだ。何を思って旅芸人の女になんか手を出したのか、
  俺にはさっぱり分からねぇ。面白半分ってとこが正解だろうが……。」

  ちょっと魔力のある旅芸人の女というのが、面白かっただけだろう。
  顔も身体も、悪くはない。

 「お遊びさ。そんな事エスメラルダだって分かってただろうに、あいつはすこんと落とされた。結
  果は見ての通りさ。あいつは貴族様と添い遂げる事なんか出来やしなかったのさ。」

  だから、エスメラルダはトルヴァに言うのだ。
  王妃に近づいても、決してお前は幸せになれはしない、と。
  いつかは飽きて、捨てられるのが関の山だ、と。

 「ただ、そこの長兄――エスメラルダの相手をした男の兄貴さ。そいつはエスメラルダを憐れんだ。
  だから、自分達の家系に関わった証として、この剣を授けよう、と言った。この剣を持っていれば、
  ある程度の身の証は立てられるだろう。そう言って、俺達にこの剣を下した。」

  しゅるり、と音を立てて抜き放たれた二振りの刃。
  抜身のそれらは、いよいよ爛々と輝いている。それは闇夜に光る獣の眼のようだ。威嚇する剣を見
  て、ハッシュは問いかけた。

 「それほどに、値打ちものなのか?身の証となり得るほど?」
 「らしいぜ。俺も詳しくは知らん。打った鍛冶屋は別々のようだが。」

  黒光りする剣を閃かせて、

 「その貴族の名だか紋章だかから取って、『神の獅子』エリアルと。」

  そして白銀に輝く剣を突き付け、

 「恐らく、ガリアの言葉で『ブライオン』と。」
 
  そう、名付けられた。