指先から根元まで舌を這わされて、マッドは少し身震いをした。
   皮一枚が裂けて薄く赤い線が走る白い手の甲は、今は強い酩酊感を思わせる匂いの液体がかけ
  られ、血がその中に滲んでいる。
   だが、マッドの爪先から硬く浮いた骨の上、そして手首へと舌を這わす男は、酒の中に滲む血
  の赤など気にしていないようだった。
   いや、むしろ、好んでさえいるようだ。
   先程の決闘の際に、自分で傷をつけたマッドの手に、サンダウンはゆったりと安いアルコール
  臭が強いだけの酒を垂らしては、マッドの血をそれに混ぜる。そうする事で、何処にでも売って
  いる安酒が、命の水にでも変化するのだと言わんばかりに。
   そうやって、自分の血を舐めとっていくサンダウンを、マッドは特に抵抗するわけでもなく、
  したいようにさせていた。
   サンダウンが自分の身体を舐めまわすのは、別に今に始まった事ではなく、ただ酒を垂らすと
  いういつもと違う趣向が加わっただけの事。だから、サンダウンがマッドの指先を咥えながら、
  そのかさついた手を器用に伸ばして、マッドの首をかっちりと防御しているタイを外す時も、微
  塵も抵抗しなかった。
   サンダウンが、首筋に吸い付いてきた時になって、ようやくマッドは小さく声を零す。それは
  何かを絶え入るような、甘い空気を孕んでいたが。

  「………てめぇも好き者だよな。いくら溜まってるからって、男にこんな事しなくてもいいだろ
   うが。」

   サンダウンが賞金首で人目を避けねばならない事や、西部においては未だ女の数が少ない事を
  鑑みても、サンダウンなら傍に侍りたがる女がいてもおかしくないと思うのだが。
   しかし実際のところ、サンダウンが触れたがるのは自分の賞金を狙う賞金稼ぎ唯一人だ。武骨
  な指先でマッドの白い身体にアルコールを広げ、それを舐めとっていく。首筋から鎖骨へ、そし
  て肩口へ、ぐるりと回って項へ、下にさがって肩甲骨へ。
   マッドの背後に回ったサンダウンは、マッドの項に顔を埋めると、小さく呟く。

  「お前こそ…………。」

   矜持の人一倍高いマッドが、こうして男にいいようにされている。マッドの事だから、こんな
  ふうに触れられるくらいならば死を選ぶかとも思ったのだが、しかし何処か他人に対して甘い彼
  は、サンダウンが触れる事をこうして許している。
   サンダウンはマッドの背を伝い落ちるアルコールを舐めとりながら、甘い男だな、と思う。本
  当はもっと冷然としている男なのに。他人の弱みを放っておけないのは、生来の性分の所為か。
  だから、何も持たないサンダウンに、こうして身体を投げ出すのか。
   思いながら少し不愉快だと胸の内で呟く。
   もし、サンダウン以外の人間がサンダウンのような弱みを見せたら、同じ事をマッドはするの
  だろうか。
   サンダウンがどれだけ、こういう事をするのはマッドだけだと言っても、マッドは果たしてど
  うなのか。サンダウンも、自分がマッドの中では多少は特別な位置にいる事は自覚していても、
  それは確固たる自信には繋がらない。
   腕の中で蕩ける身体が、実は他の人間にも与えられていると言われても、それはおかしな話で
  はないのだ。

  「キッド?」

   サンダウンの意識の変調に気付かぬマッドではない。それほど浅い関係でもない。サンダウン
  の気配が変わった事くらい見抜ける。何よりも、先程まで嬉々としてマッドの身体を舐めまわし
  ていた舌が、唇が、その動きを止めている。

  「もういいのかよ?」
  「…………いいや。」

   良くはない。
   今、手を解けば、何処か他人の所へ行ってしまうなら、尚更。今宵はじっくりと、マッドに触
  れて何処にも行かないようにしておきたい。
   そんなサンダウンの心中を読み取ったわけでもないだろうが、マッドがやれやれと溜め息を吐
  いた。

  「あんた、そういう辛気臭い顔して今日一日俺を抱くつもりか。」

   せっかくの今日に俺がいるってのに。
   そう吐き捨てると、マッドはサンダウンの腕の中で身体を捩り、アルコールに濡れた唇でサン
  ダウンに口付ける。そこから広がるのは、葉巻とアルコールの苦い味ばかりだ。
   顔を顰めたサンダウンに薄く笑い、マッドはもう一度口付ける。

  「酒と煙草しか楽しみのねぇおっさんに、この俺が彩りを添えてやってんのに、どうしてあんた
   はそういう顔しかできねぇのかね。」
  「………もとからこういう顔だ。」
  「この俺がいても?」
  「…………………。」

   沈黙したサンダウンに、マッドは膨れる。身体を舐めまわしていた時の甘い空気は何処へやら、
  サンダウンからはいつもの排他的な空気が零れ始めている。自分がこの世から弾かれてしまった
  と考えているそれは、しかしそれは実は、サンダウンの勝手な思いこみにすぎないというのに。
  その所為で変に自信をなくし、そしてマッドがいつ失われるかとびくびくしているのだ。
   一言も言葉を発しなくなってしまったサンダウンに、マッドは焦れて、その頬を両手で挟みこ
  む。

  「おい、おっさん!この俺を一体誰だと思ってやがるんだ。俺はマッド・ドッグ様だぞ。本当な
   ら今日は女達に囲まれて柔らかいベッドで寝るところなんだよ。それをわざわざ蹴ってまであ
   んたを追いかけてきたってのに、なんであんたはそう絶望寸前みたいな顔しかできねぇんだ。」

   そうだ今日は本当ならばその全身に愛を受けるはずだった。けれどもこうして、乾いた砂しか
  ない荒野のど真ん中で、男の舌を受け止めている。その理由も分からないのかこの男は。

  「ああ、鬱陶しい!」

   マッドはアルコールの滴る身体をサンダウンに投げ出し、怒鳴った。

  「あんたは黙って好きなだけ、この俺に溺れてりゃ良いんだよ!」