骸鎧




 「その、少年というのは、その後どうなった?」

  話し終えた女に問えば、女はゆっくりと首を横に振った。

 「存じません。その後の伝承にも、彼については一切の記載がないのです。ただ、それでも彼の呪
  いは確かに続いており、今もなお、解けてはいないのです。」

  国王は何度か僧侶に解呪を依頼したが、いずれも失敗に終わったという。
  時間以外には誰も解呪する事が出来ないと言って。

 「あの国は、ずっと呪われているのです。そして、そこに人がいる限り、恨みが消える事もない。
  この度、我が王国は滅び去りました。やっと、やっとあの土地には時間による癒しが働くように
  なったのです。」

  これから、長い長い月日をかけて、呪いは薄れていくだろう。
  しかし、それに一体どれほどの時間がかかるのか、それは誰にも分からない。ただ望むべきは、
 その期間誰にも彼の地が荒らされない事だけだった。

 「これにて、わたくしの語りは終わりにございます。風も止んだようですので、わたくしは先に
  進みます。」

     言うなり、女は白いドレスの裾を翻し、止める間もない素早さで優雅に一礼すると、音もなく扉
 を開いて去って行った。




  女が出ていった扉を、ぼんやりと眺める。
  先程の話が、語りであったのか騙りであったのか、それは判断できない。だが、話し終えた女は
 満足そうだった。ならば、それで良いのだろうという気もしてくる。
  きっと、女は腹に溜め込んでいたものを吐き出して、そして満足して飛び立っていったのだろう。
 何処に飛び立っていったのかは分からないが、だが、間違いなく遠くに向かったに違いなかった。
  こうして、闇に紛れる事も出来ない自分とは、違って。
  その事実に気が付いて、笑うべきかどうすべきか悩んでいると、不意にランプに灯る炎が揺れた。
 はっとして顔を上げると、旅立っていった女がいたところに、女とまるで同じような格好で、炎に
 手を翳している男がいた。
  唐突に男が現れた事にも驚いたが、それ以上に驚いたのは男の顔が土気色をして、病人を通り越
 して死人の顔に見えたからだ。
  叫ぶ事は辛うじて止められたが、それでも驚愕は相手にも伝わったようだ。男は土気色の顔を伏
 せて、申し訳ない、と喉に痰が絡んだような掠れた声で言った。

   「長く旅を続けてきたのだが、此処に来て息が上がってしまった。申し訳ないが、しばし休ませて
  貰えないだろうか。」

  断る謂れは何処にもなかった。
  そもそもこの小屋は自分のものではないし、それ以上にこの男を外に放り出そうものなら、次に
 扉を開けて外を眺めた時、男の死体が転がっていそうであった。
  構わないと頷くと、男は安堵したと言うよりも承知したと言わんばかりに口元を引き締めて頷い
 た。その様子に、もしかしたら兵士か何かだったのかもしれないと思った。

 「左様。昔の事だが、私はある国の騎士だった。」

  口にした疑問に、男はもう一度頷く。

   「小さい国で、田舎特有の偏見じみたところもあった。だが、今思えば、そう悪い国でもなかった
  ようにも感じる。」
 「今思えば。」

  まるで、かつてはそうではなかったと言わんばかりの台詞に聞き返せば、男は少しばつが悪そう
 な顔をした。何か言うべきではない事を、他人には聞かせるべきではない事を言ってしまった、そ
 んな表情だった。
  だが、すぐに諦めたかのように溜め息を吐いた。

 「そう。あの国に住んでいた当時は、あの余所者に排他的なところが、どうしても許せなかった。」

  今思えば、それは無知からくるものなのだろうと思う。
  男も、国の者達も、皆、無知であったのだ。男は騎士という職業柄、どうしても他国の者と関わ
 る事がある。故に、余所者に対しても多少なりとも知識があった。だが、そうではない国民にとっ
 て余所者は奇怪な存在にしか見えなかっただろう。

 「そんな国民を私は非難するばかりで、彼らに知識を与えようともしなかった。それどころか、己
  の責任を放棄して逃げ出してしまったのだ。」 

  彼らを異常であると決め込んで。

 「ある時、私は彼らの異常性に耐えられなくなったのだ。」

    男が国に嫌気がさしたのは、寒い冬の事だった。
  その冬、男の国には、王妃が迎え入れられようとしていた。
  久しぶりの国を挙げての行事に、皆が浮き足立ち、娯楽の少ない国民達もお祭りか何かのように
 感じていたらしく、妙に楽しげであった。
  しかし一方で、何処か排他的である彼らは、他国から迎え入れられる王妃を、何か珍しい動物か
 何かのようにも見ていた。

 「よりにもよって国王の妃殿下に対して、不遜すぎる見方ではあった。だが、他国の者と交わる事
  のなかった彼らにとっては、仕方のない事だった。それに、国民がそのように見ていたとしても
  王妃殿下に彼らが直接お目通りできるはずもない。だから、我等も国民の無知に目を瞑る事にし
  たのだ。」

     王妃は、大勢の付き人を連れて、やってきた。
  可憐で聡明な、女性であった。
  彼女は付き人達をこの上なく可愛がっていた。その中でも、特に可愛がられていた者が二人いた。
 まだ若い騎士と、若い侍女だった。

 「この二人は、我らの眼から見ても仲睦まじく、恋人といった関係にあるように見えた。」

  むろん、それは王妃も知っている事であり、むしろ彼女はそれを微笑ましく見ていたようだった。
 二人がひっそりと村のほうへ遊びに行くことも、まるで母親が見守るように笑って見ていた。

   「ところで、我が国には恥ずべき風習が幾つか残っていた。他国の者を、まるで珍しい動物のよう
  に見るのは、無知故に仕方がないものではある。だが、それ以外に、脈々と続いてきた忌まわし
  い風習があった。」

  その一つが、初夜権であった。

 「ご存じか?」
 「確か、その村の有力者が、若い娘の処女を奪う権利があるだとか。」

  小さく答えれば、男はこの上なく忌々しそうな表情で、頷いた。

 「そう。長い月日の間、消える所は消えた。だが、続いている村は続いていた。」
 「まさか。」

    虫唾が走るような予感がして、呟けば、男がますます表情を険しくさせた。そのまさかだ、と。

 「侍女はまだ何も知らぬ少女だった。まして、村人達にとっては珍しい動物のようなもの。それに、
  侍女は愛らしかった。」

  村人達は小道を行く若騎士と侍女を襲い、二人を村長の家に連れていき、そのまま侍女の処女を
 奪ったのだ。恋人である騎士の目の前で。
  月のない、闇夜の出来事であった。
  むろん、この出来事は国王の耳にも王妃の耳にも届いた。知らせを受けた王妃は半狂乱となり、
 この出来事に関わった村人――いや、この出来事に関わる関わらないに限らず、そんな忌まわしい
 風習を残している村そのものを焼き払えと叫んだ。
  しかし、罪に問われた村人達は、きょとんとしていた。
  彼らは、何が罪であるのか分からなかったのだ。
  己らが何も知らぬ娘を犯した事、彼女らを珍しい動物としてしか見てない事、それらが悪い事だ
 なんて、微塵も思っていなかったのだ。犯した罪の重さなど、まるで知らないのだ。
  罰したところで、誰にも報われない。
  更に報われない事に、犯された侍女は、恋人の前で犯され、処女を奪われるというあまりの辱め
 に耐えられず、自死してしまったのだ。銀のナイフで首を捌いて。

 「当時、自殺は大罪だった。」

  許されぬ事だった。葬式も上げる事が許されぬほどに、巨悪であったのだ。そしてそれが、村人
 達の罪のなさに拍車をかける事となった。
  あの娘は大罪を犯すような娘であったのだ。
  所詮は余所者、我らになんら罪科があろうか。

 「彼らは、己らの罪を理解できぬばかりか、娘の罪をまるで鬼の首でも取ったかのように噂し合い、
  貶めた。」

     娘は、二重の意味で穢されたのだ。

 「堪らぬのは、娘の恋人であった騎士のほうだ。皆がこれはこの国の風習なのだ諦めてくれと言わ
  れても、諦められるわけがない。諦める事が出来るなど、人間ではない。そしてそれは王妃も同
  じであった。」

  当時既に懐妊していた王妃は、膨らんだ腹を突き出して国王を詰った。
  何故あのような輩を許しておくのです。貴方はわたくしが同じような眼にあっても、そうやって
 のらりくらりと逃げるおつもりなのですか。
  国王とて、そのような忌まわしい風習を放置しておく事は本意ではなかった。だが、根付いた風
 習というものは簡単には消し去れない。とにかく、身重の妻を宥めるしか出来なかった。

 「そうしているうちに、王妃殿下のほうが痺れを切らし。」

  いや、嫌気がさしたのか。
  或る夜、若い騎士を連れて、出奔した。
  むろん、色恋沙汰ではない。
  王妃は恋人を失った若い騎士を憐れみ、若い騎士はかような狂った国に恩人である王妃を置いて
 おけないと思い。
  彼らは未明のうちに、城を出て、山を越えて国を出ようとしたのだ。

 「むろん、大騒ぎになりました。ですが、まさか一国の王妃が若い騎士と共に逃げ出したなど、如
  何なる理由があれ醜聞にしかならない。」
  
  そこで、彼らが魔の山に向かったのを良い事に、王妃は魔王に攫われたのだとして、事態を収拾
 しようとした。

 「昔から魔の山と呼ばれ、地元民でも立ち入らぬような山があった。そこは確かに、奇妙な生物が
  棲んでいたから、その言い訳は良く効いた。」

  王はすぐに王妃を救出するために、国一番の剣士を山に送り込んだ。

 「それが、私だ。」

  もはや、ほとほと嫌気が指していたが、国王直々の命令とあっては仕方がない。男は剣を手に山
 を登った。
  未明の夜は不気味であったが、しかし如何なる獣にも合わなかった。それがますますもって不気
 味だった。
  しかし山をどれだけ探しても、王妃と騎士の姿は何処にも見当たらない。
  王妃は身重だ。そうそう素早く動けるはずもない。
  奇妙に思いつつも遂には頂上に辿り着いた。

 「山の頂上には、」

  男は、少し言葉を区切ってから話し続けた。

 「話には聞いていたが、確かに奇妙な形に彫り込まれた岩が一つ、佇立していた。」

  人の形にも見えなくはない岩。
  その岩の前に、二つの影が倒れ伏していた。
  駆け寄ってみれば、それは王妃と騎士だった。王妃は頭を打たれて気を失っているだけだったが、
 騎士は原型を留めぬほどに殴られた跡があった。
  そして、その状態でなお、生きていた。
  甲冑の隙間から、ぽたりぽたりと血を流して。

  ――おのれ。

  獣のように呻いた。

 「騎士をそんな目に合わせたのは、侍女を犯した村人達だった。彼らは罪の意識はなかったが、し
  かし騎士が己らを憎んでいる事には気が付いており、報復を恐れていた。」

  そして身重の王妃を連れているのを見て後を追い、そして襲撃したのだ。

  ――許さぬ。己が罪も理解できず、しかし己の身だけは守ろうとする浅ましき輩どもめ。

  文字通り、血を吐くような声だった。人間が出せうる限りの、最も低い恨みの言葉だった。
  決して、逃がさぬ。
  滅びろ。
  そう、虚空に向かって騎士は告げて、果てた。

 「その時、騎士の甲冑に、何かの光が当たって、赤く煌めいた。当時は闇夜。何も照らすものはな
  いと言うのに。」

  訝しんだ男が視線を巡らせれば、視界の遥か頭上で、人型の岩の、ちょうど目に当たる部分が、
 煌々と輝いていたのだ。澄んだ星とは全く違う、死んだ魚のような眼の光だった。

 「私は、もう、耐えられなかった。気を失った王妃殿下を抱え上げると、騎士の遺体もそのままに、
  山を駆け下りた。」

  駆け下りる際、騎士の声が背中を追いかけているような気がしてならなかった。だから、振り返
 りもせずに駆け下りた。
  あまりにも無我夢中で駆け下りたものだから、城についてからようやく、枝や岩にぶつかって出
 来た痣があちこちにある事に気が付いたほどだ。 

 「王妃殿下を城に連れ戻し、そして夜が明けてから、また騒ぎが起きた。」

  村人の惨殺死体が発見されたのだ。
  
 「そう。侍女を犯した者達の死体だった。」

  村人の身体の周りの土は、様々な足跡で踏みにじられ、相当激しい抵抗や、村人が逃げようとす
 る痕跡が残っていた。一人の村人など、最初に襲われてから、どうやら何度も逃げ出して、あちこ
 ちで捕まりかけた挙句、村を一周して最初に襲われた場所に戻り、殺されていた。
  そして、村人達を殺した足跡は、その後、真っ直ぐに魔の山に戻っていったのだ。

 「むろん、村人を殺したのは、あの若い騎士だという声が上がった。だが、彼はもう死んでいた。
  しかし、私にはそれを否定する事は出来なかった。」

  何故なら、村人を切り捨てた剣の太刀筋は、確かに、あの騎士の剣のものであった。
  余所者である彼の剣は、男の持つこの国の剣よりも、刃が波打っている。

 「王はもう一度、私に山に登り、騎士の遺体を持ってくるようにと命じた。だが、私にはそれは出
  来なかった。」

  あの哀れな騎士を、もう一度引きずり立てて、人々の前に持っていき、そしてどうなると言うの
 か。死んだ侍女のように、二度にも渡って苦を与えようと言うのか。

 「私は騎士の職を辞した。」

  それから半年後、王妃は王女を生み落し、彼女もまた死を迎えたのだ。
  彼女は今際の最期まで、この国を許さなかった出ろう。
  そして、死した若い騎士もまた、魔の山で、この国を呪い続けているのだ。村人が一度己の領域
 に入り込めば、直ぐにでも切り落とそうと。

 「今でも、魔の山からは、騎士の甲冑の鳴る音が、聞こえてくるそうだ。」

  かちゃり、かちゃり、と。