日が昇って、日が沈む。
  荒野の一日は動乱に満ちているが、その砂模様は変わっていても全体を見れば変わり映えがしな
 い。
  一は全、全は一。
  そう言ったのは誰だったのか思い出せないが、一日の終わりに荒野を眺めれば、変化があるよう
 でなさそうな砂の色は、その言葉を何故か思い出させる。
  日々弛まず変化するのは人々で、けれども全体を通して見れば変化はなく、そしてでも長い眼で
 見れば変わっている。
  だから、全体を通して見て描かれた構図を見て、最初との変化を比べて、こう思うのだろう。
  どうしてこうなった、と。




  Honey





  マッドにしてみれば、その変化は唐突だった。
  自分が追いかけている賞金首サンダウン・キッドが、自分の塒に転がりこんで、堂々とリフォー
 ムをを企ててゴロゴロしているのは、嵐のように短期間で行われたもので、マッドは酷く抵抗して
 いたものだ。
  しかし怒鳴っても蹴り飛ばしても動こうとしない図太いおっさんは、いつの間にやらマッドの塒
 の一部と化し、マッドに食事を強請り、マッドを腕に掻き抱き、夜になれば好き勝手に蹂躙した。
  一気に齎されたそれは、しかし嵐のように収まる気配はなく、サンダウンはマッドが塒にやって
 くると繰り返し一連のそれらを行った。
  二人分に増えた食器も歯ブラシも、勝手にシングルからダブルに変わったベッドも、留まるとこ
 ろを見せず、そしてサンダウンは当然の顔でマッドを貪っていくのだ。
 
  おかしいだろう、とマッドは交易所で蜂蜜の瓶を抱えたまま思った。
  交易所で、珍しい北部の森で取れた蜂蜜を見て、パンケーキに合うかもしれないと思った。自分
 は甘いものはそれほど好きではないが、意外に甘いものが好きなあの男なら喜ぶかもしれない。牛
 乳と卵とバターと。それらも一緒に買えば、きっと無表情で、しかししっかりとフォークを握って、
 クッションのようなパンケーキを頬張るだろう。
  だから、艶々と琥珀色に光る液体で満たされた、透明なガラス瓶に手を伸ばした。
  そのひんやりとした身体を掌に収めて、我に帰った。
  なんで俺はあのおっさんの好みに合わせた買い物をしているんだ、と。
  そうだ、サンダウンの為に何かを買ってやる必要など、微塵もありはしない。サンダウンは塒に
 いても掃除をするわけでもなければ、帰りの遅いマッドの代わりに食事の準備をするわけでもない。
 勝手に風呂に入って、ごろごろとして、下手をすればマッドが厳重に管理している酒を勝手に飲ん
 でいる事だってあるのだ。そんなごく潰しの為に、なんで蜂蜜を買ってやらねばならないのか。

  じゃなくて。

  サンダウンがごく潰しとかそんなんじゃなくて、それ以前に、自分とサンダウンの関係は、賞金
 稼ぎと賞金首のはずだ。馴れ合う事は言語道断で、絡みつく時は銃声の轟くその一瞬。もしもそれ
 以外で関わり合うのならば、それは搾取する時だ。返り討ちにした相手を組み敷いて、凌辱するな
 ど珍しい話ではない。
  だから、今のマッドはサンダウンに搾取され、凌辱されている状態だ。悔しい事に自分よりも強
 い賞金首に塒を奪われ、そこで食事の準備をする事を強要され、夜になれば床の相手をさせられて
 いるのだ。
  自分から塒に誘った事や、珍しいレシピを眺めつつ料理している事や、稀に自分からベッドに誘
 う事がある事だとか、それらには眼を瞑っておく。
  サンダウンの腕の中にいると落ち着くなど、紛れもなく気の迷いだ。
  蜂蜜の隣にある異国の文献――『ダメな亭主の扱い方』に思わず手が伸びそうになったのも、疲
 れている所為だ。立ち読みしたい衝動に駆られているのも、きっと最近寝不足な所為に違いない。

  何せ、ここ数日、マッドは塒に帰らずに野宿ばかりをしている。塒にいるとばっちり灯りが点い
 ていて、サンダウンが中にいる事を知らしめるのだ。だからそこを素通りし、気の張り詰めた野宿
 をしている。だから、ずっと寝不足だ。
  もちろん、町に立ち寄ってホテルに泊まるのもいいけれど、そろそろ塒の掃除をしたい時期でも
 ある。なのにサンダウンがいる。正直なところ、サンダウンには逢いたくない。好きとか嫌いとか
 以前に、自分達は賞金首と賞金稼ぎなのだ。これ以上一緒にいるのはおかしい気がする。決闘なら
 ともかく、一緒に食事をしたり、夜を共にしたりするのは、完全に一線を越えてしまっている。
  それを是正する為にも、マッドは当分の間距離を置こうと決めたのだ。

  けれども塒の中が気になる。サンダウンに掃除を期待するなど無理な話だ。寧ろ、酒が全て飲ま
 れてしまっている事への心配が強い。部屋の中が酒瓶だらけになっているような気がして怖い。思
 わず、もう一度『ダメな亭主の扱い方』に手が伸びそうになって、慌てて、俺は賞金稼ぎ俺は賞金
 稼ぎ、と聖書の中の魔よけの一文でも読むように繰り返す。そして、どうして俺がこんな目に、と
 少し涙眼になった。

  もっと、ちゃんとした賞金首と賞金稼ぎの関係を築けていたら良かったのに。なんでこんな、夫
 婦茶碗みたいな関係になってしまったのか。
  もはや、思い当たる節が多すぎて、何処で間違えたのかも分からない関係に、蜂蜜の瓶を抱えて、
 マッドは肩を落とした。




  5000ドルの賞金首サンダウン・キッドは、此処のところ機嫌が悪かった。
  その機嫌の悪さたるや、いつもなら適当に振り切る賞金稼ぎどもを、悪鬼の如き勢いで一掃して
 しまえるほどだった。その為、普段なら数人の賞金稼ぎが付いて回るはずの逃避行には、この世の
 全てが恐れをなしたのか誰一人としてついて回る者がいなかった。
  そんな平和な状態は、しかしサンダウンの機嫌の悪さを悪化させるばかりだった。
  その理由は、実に単純な話である。

  マッドがいない。

  いつもならば数日と置かず現れる、自分を執拗に追いかける賞金稼ぎが、ここ数週間とんと姿を
 見せない。
  マッドがお気に入りだという――そしてサンダウンがリフォームをした――塒にも何度も立ち寄
 ってみたが、一向に姿を現さない。念の為にマッドの気配がないかと、ソファやベッドの匂いを嗅
 いでみたものの、マッドの残り香は何処にもなかった。まるでマッドの気配が根こそぎ消えてしま
 ったようだ。
  しかし確かにマッドは此処にいたのだと、事の終わりにマッドを包み込んだ毛布に包まって、サ
 ンダウンはいじける。いい歳をこいて、いじけた。

  そして考える。自分はマッドに何かしただろうかと。
  そして思う。いいや何もしていないと。

  マッドが寒そうな時はずっと抱き締めてやったし、喉が渇いていそうな時は口移しで水を飲ませ
 てやった。夜の営みについては言わずもがなだ。サンダウンには、他のどの女に対する時よりも、
 マッドを優しく抱いているという、無意味な上に不必要な自信がある。
  だからサンダウンには、マッドが自分自身に不服を抱くという考えは、微塵も思いつかない。 
  ひたすらに図太く賞金首として荒野を生き残るおっさんは、やはり何処までも図太かった。

  しかしそれでも、マッドが見事にサンダウンを探しに来ないとなると、やはり如何に図太いおっ
 さんと雖も不安に思うらしい。
  だからサンダウンは立ち寄った町の、のみの市で見つけた本を小一時間ほど立ち読みしていた。
  『妻が夫に求める事』という、マッドが見れば癇癪を起しそうな題名の本は、詳細は述べないが
 『妻が夫に愛想を尽かすのは夜の営みに満足していないからである』という主旨だった。
  だが、残念ながら――何が残念なのかは敢えて追求しないが――夜の営み云々については先程も
 述べた通り絶大な自信を無駄に持っている男である。対して感慨も得られずに、ぱらぱらと本を捲
 るだけだった――だったらそんな本読むなという突っ込みは、マッドがいない以上得る事はできな
 い。

  そんな気のなさそうに本を捲っていたサンダウンだったが、ふとあるページで眼が止まった。紙
 を捲る手を止め、その一文に眼が釘付けになる。
  そこには、オブラートに包んだ言い方をすれば、こう書かれていたのだ。
  『もしかしたら夜の営みがマンネリ化しているのではありませんか?』と。
  サンダウンは、ふむ、と思案を巡らせる。
  それは正しく、間違った情報を得たという状況の、見事すぎる見本だった。




  その日の夕暮。
  マッドは、自分のお気に入りでサンダウンが入り浸っている塒の様子をそっと窺っていた。塒の
 掃除をしていない事に耐え切れなくなったマッドが、蜂蜜を抱えて遂に塒にやってきたのだ。
  遠目に見る限り灯りの点いていない塒には、人の気配は感じられない。恐る恐る近づき、中を窺
 っても暗いばかりで誰の姿も目に入らない。念の為に厩を覗くが、そこにも馬どころか誰一人とし
 ていなかった。
  その事にほっと安堵して、マッドは空の厩にディオを繋ぐと、飼葉桶の中をいっぱいにしてから
 薄暗い塒の中に入った。

  光のない塒の中は、予想に反して酒を浴びたような匂いも生ごみの匂いもしなかった。僅かに埃
 っぽいだけで、腐臭めいたものは感じられない。
  その事に安堵しつつ、それならサンダウンも長らく此処に来なかったのかと思う。マッドがいな
 い事で、餌が手に入らないから別の場所に移動したのかもしれない。それを喜ぶべきなのか、マッ
 ドはしばし混乱した。
  だが、その混乱がマッドにとっては命取りだった。

  にゅっと闇の中から伸びてきた腕から、紫煙の香りが漂ってきたのだ。
  常人に比べれば遥かに早く反応したとしても、それは相手が常人だったならば問題なかっただろ
 うが、しかし腕の持ち主はマッドよりも遥かに速い反射能力を持っている。
  だから、マッドはその腕に捉えられるのはもはや必然だった。腕の中から、ごとりと蜂蜜が転が
 り落ちる。

 「っ、てめぇ、キッド!」

  薫る香りと、今までどうやって隠してきたんだと思うくらい存在感を主張する気配に、マッドは
 相手が誰なのかすぐに分かった。自分が此処にはいないと安堵していた相手だ。
  そしてその男は、マッドの声など意にも介さず、マッドの身体を腕の中に引き寄せて全身を撫で
 まわす。そうなってからマッドはようやく己の危機に気が付いた。
  自分達は何週間も逢っていない。その間、マッドはともかく、サンダウンの欲は積もっている事
 だろう。以前も間を空けて逢った時、一晩中マッドは泣き叫んだ覚えがある。全身を隈なく舐めら
 れて、羞恥の極みを感じた事もある。

 「馬鹿、止めろ!止めろってば!」
 「何故?」

  マッドのベルトの隙間からシャツを引き摺り出して、その裾から手を差し込んで胸元を撫でまわ
 し始めたおっさんは、まるで止められる理由が分からないと言わんばかりの声でそう言った。そし
 て廊下であるにも拘わらずマッドを押し倒すと、マッドのシャツを毟り取った。弾けるボタンに、
 マッドは怒り狂う。

 「おい!このシャツ高かったんだぞ!」
 「それがどうした。」
 「いっ!」

  鎖骨に噛みつかれて息を呑んだマッドに、サンダウンは冷ややかな笑いを孕んだ声で囁く。

 「賞金首が、自分よりも弱い賞金稼ぎを犯して、何がおかしいんだ?」
 「………っ?!」

  囁かれた台詞に、マッドは思わず息を飲んだ。
  それは確かにその通りで、寸分の狂いもない荒野の掟だ。自分も昼間、そう言い聞かせ続けてい
 た。しかしそれを直にサンダウンから聞かされると、どうしようもなく心の芯が冷えるような気が
 した。
  つまり、自分は、そういう目でしか見られていないという事か。
  ああ、なんだかんだと思いながら、この男に作るパンケーキの為に蜂蜜を買った自分が馬鹿らし
 い。
  次いで込み上げてくるのは自嘲だ。そして眼には何も浮かばない。

 「マッド?」

  表情を失くして抵抗を収めたマッドを、サンダウンは怪訝そうに見て、マッドの顔を覗き込んで
 虚を突かれたような表情をした。
  そして何かうろたえたように視線を彷徨わせ、しかしすぐさま恐ろしい勢いでマッドを抱き締め
 る。

 「マッド、すまない。そういうつもりで言ったわけじゃ、ない。」

  先程までの冷酷な声とは打って変わって、何処か取り乱したような声で、サンダウンはマッドの
 乾いた眦に軽く口付ける。

 「お前が………私を避けているようだったから、少し、腹が立っただけだ。お前を傷つけたかった
  わけじゃない。」

  まさか『マンネリ化を打開する為に鬼畜じみた事をした』とは流石に言えない。
  そんなサンダウンの心の声に、幸か不幸か気付かないマッドは、じろりとサンダウンを睨むと、
 きゅっと口を尖らせる。

 「なんだよ、それ。俺は、賞金首と賞金稼ぎがこんな事してるのはおかしいから、それを直そうと
  してるのに、なんで、あんたは。」
 「直す必要はない。お前が望むなら、決闘くらい何度でもしよう。何処までも追い詰められても許
  そう。だから、お前も私の我儘を少しは聞いてくれ………。」
 「………ってか俺よりもあんたの方が我儘の数は多い……って、あんた何処触ってんだ!」

  いやらしく乳首やら太腿を触り始めたサンダウンに、マッドは怒鳴り声を上げる。が、先程まで
 のうろたえっぷりは何処へやら、サンダウンはマッドの身体を好きなように触り始める。

 「嫌じゃないだろう………?お前の身体は素直だからな。」
 「このエロ親父!」
 「すぐに良くしてやる…………。」

  この後。
  転がる蜂蜜の瓶に気付いたサンダウンが、マッドに何をしたかは想像に難くない。