ルクレチアから帰ってきて数日後、サンダウンは一件の小屋に辿り着いていた。そこにはサンダ
 ウンを執拗に追いかける賞金稼ぎがいるはずであり、そしてその賞金稼ぎはここ数週間サンダウン
 が姿を見せなかった事に、少なからずとも動揺しているはずだった。
  もしかしたら、あらぬ疑いを掛けられているかもしれない。
  そんな事をちらりと考え、存外に可愛らしい嫉妬をする事のある男の態度を想像しては、微苦笑
 する。
  そういう事を鑑みれば、帰ってきてすぐにでも逢いに行くべきだったのだろうが、流石に何週間
 も留守にしておいて手ぶらで行くのはまずい。そう思って、酒を買ってきたのだが、酒を買う街に
 行くまでにかなり時間が掛かった。
  こんな事なら、酒なんか買わなければ良かったかもしれない。もしかしたら物で誤魔化そうとし
 ていると思われるかもしれない。嫉妬をするのは可愛いが、行き過ぎると本当に怒らせてしまう。
 なかなか手間のかかる賞金稼ぎに、サンダウンはもう一度苦笑を零した。



 
  Hello, dear.






  信じてはくれないかもしれないが、と前置きした上で、サンダウンはこれまでの事をマッドに放
 した。
  魔王と呼ばれる存在に突然見知らぬ世界に連れていかれた事。そこで、自分と同じく別世界から
 連れて来られた若者達に出会った事。そして憎しみに捕らわれた魔王を斃し、こうして帰ってきた
 事。
  訥々とサンダウンだけが語れば、それはものの五分で終わってしまっただろうが、幸いにしてお
 喋りでありながらも聞き上手でもあるマッドが、そこは上手い具合に話を引き出してくれた。
  連れ去られた場所がどのような場所だったのか、気候やそこに植わってある木々の様子、山側な
 のか海側なのか。そこで出会った人間はどんなだったのか、男か女か、喋り方や物越し、服装はど
 んなだったのか。
  それは、サンダウンが嘘を吐いていないのかを見極める為に聞いたのかもしれないが、しかしそ
 の質問のおかげで大分話がしやすくなった。
  何度も何度もグラスを空にして、その度に酒を注いだ。そして粗方放し終えた時は、十数本の酒
 瓶が転がっており、時刻も深夜を過ぎていた。随分と話し込んでしまったなと思っていると、マッ
 ドが異様に静かな事に気が付く。いや、話をしている間も、確かに質問や相槌を打っていたが、普
 段よりも妙に抑えた口調だった。
  賑やかしい男の奇妙な静けさに、どうしたのかと思って顔を覗きこめば、そこにある黒い眼も少
 し沈みがちな光を灯している。

 「マッド…………?」
 「別に、あんたの話を疑ってるわけじゃねぇよ。」

  疑問を込めて名を呼ぶと、マッドは呟くような声でそう言った。

 「どう考えても信じられねぇような話だ。嘘吐くんなら、もっと上手い嘘があるからな………。」

  しかし、そのわりには随分と表情が浮かない。  

 「どうした………?」
 「どうもしねぇよ。」
 「そう、か。」

  ふい、と顔を背けてしまったマッドに、納得する事は出来なかったが、それ以上は聞く事はせず
 に、代わりにテーブルの上に投げ出された細い指に自分の武骨な手を重ねる。

 「……なんだよ。」
 「お前が、どうもしない、と言うのなら、私はそれで構わない。だが、お前が信じていないとなれ
  ば話は別だ。」
 「信じるって言ってんだろ。」
 「……………。」
 「ただ、あんた、帰ってきたくなかったんじゃねぇの?」

  微かな冷笑に混じって零れた言葉に、サンダウンは眼を瞠る。

 「………何を、言っている?」
 「話してる間、随分と楽しそうだったぜ?そっちの世界は、此処よりも楽しかったんじゃねぇのか?」
 「馬鹿な事を言うな。」
 「馬鹿な事かねぇ?だって、そっちの世界にはあんたを追いかける賞金稼ぎはいなかったんだろ?
  それに、あんたと一緒になって戦ってくれる連中もいて、そいつらとずっと一緒にいたかったん
  じゃねぇの?」

  そう言って、マッドの手はサンダウンの手の中からするりと逃げ出す。その様子にサンダウンは
 眉根を寄せた。

 「………私は、此処に帰ってきたかった。」
 「は、そうかよ。」

  ほとんど信じていない口調に、サンダウンは更に眉間の皺を深くする。逃げ出したマッドの手が、
 手に留まらず身体も持ち上がって、椅子から立ち上がり何処かに行こうとするのを、サンダウンは
 慌てて引き止める。

 「…………まだ、話は終わってない。」
 「もう、話す事なんかねぇよ。」

  少し疲れたような色を浮かべるマッドの表情に、何がそんなに辛いのだろうと思い、その原因が
 自分の不在にあるのだろうとサンダウンは小さく溜め息を吐く。確かに自分の何か一点でも、こう
 してこの男の中に蟠りが――賞金首として以外の蟠りが残るのなら、それはサンダウンにとって願
 ってもない事だが、しかし此処まで頑なになって欲しいわけではない。

 「何故、信じない?今までも、ずっと此処に帰ってきただろう?」

  どれだけ遠く離れても、どれほど命の遣り取りをしていても、此処に帰ってこればそんな事はど
 うでも良くなる。此処では賞金首だとか賞金稼ぎだとか、そういう社会的な立場は不必要だ。二人
 で、寄り添う二頭の馬のようにじっとしていれば良いだけだ。そんな事が許される、この場所にず
 っと、帰ってきたかった。
  だが、マッドは相変わらず浮かない表情をしている。

 「此処で俺といるよりも、そっちの世界でそいつらと一緒にいるほうが、あんたは自由だ。」
 「………何が自由かは、私が決める事だ。」

  賞金首に成り下がった事も、マッドに追いかけられる事も、全部サンダウンが望んで決めた事な
 のに、それが不自由であるはずがない。

 「俺といたら、あんたはいつか捕まるんだぜ。」
 「ああ、その通りだ。」

  それは賞金首と賞金稼ぎである以上、きっと避けられない星回りだろう。だが、それも、サンダ
 ウンが望んで決めた事だ。サンダウンはマッド以外には捕えられない。

 「私を捕まえる事が出来るのは、お前だけだ…………。」

  そう告げて、サンダウンは引き止めたマッドの腕に力を込め、自分の方へと引き寄せる。何の苦
 もなく胸に倒れ込む身体を受け止めて、短い黒髪に指を差し込んでゆっくりと撫で上げる。久しぶ
 りに抱き締める事の叶った身体は、想像以上に温かくてサンダウンは溜め息を吐く。
  そして、沈黙を保っているマッドの耳元で囁く。

 「お前は………どうなんだ?」

  サンダウンは、マッド以外に捕らわれるつもりはない。
  では、マッドは?

 「………あんたを捕まえるのは、この俺だよ、馬鹿。」

  胸にぐりぐりと顔を押し付けるマッドから、くぐもった声が返ってくる。その声に薄く微笑んで、
 サンダウンは彼の白い額に軽く口付けた。

 「Mad………I'm home.」
 「Hello, dear……Kid.」