ほんの少し冷え始めた朝の空気に、マッドは白い手を伸ばして毛布を引き寄せる。
  冷たい空気とはかくも毛布を恋しくさせるものかと思いつつ、寝返りを打って引き寄せた毛布を
 身体に巻きつけると、冷えた布地を自身の体温で温めるかのようにじっと身体を固くした。
  やがて、じんわりと温かくなってきた柔らかい感触に、マッドは夢現の中で機嫌を良くして硬く
 していた筋肉を解いた。
  そして頭まですっぽりと覆い隠そうと、もぞもぞと動いていると、不意に邪魔が入った。
  まるで折角温もった毛布をマッドから引き剥がそうとするかのように、かさついて硬いばかりの
 大きな手があちこちで動いている。
  それに抗議の声――尤もそれは唸り声にしか聞こえなかったわけだが――を上げて身を捩ると、
 しかしマッドの意に反して更に不遜に大胆に動き始める。
  遂には腹を立ててマッドはまどろんでいた瞼を開き、そこにいるであろう人物を睨み上げた。




  楓蔦黄





  太陽が目覚めてもまだ身を起こさないなんて怠惰の極みだと、マッドは思う。
  けれどそれでも、冷たい空気に曝された肌は温もりを求めて毛布に擦り寄ってしまう。
  昨夜は寒さを忘れてしまうほど激しい熱の渦に呑み込まれていたが、それが終わった後――眠り
 に落ちて時間が経った今ではその熱の残滓は何処にもなく、マッドは手っ取り早く毛布に包まる事
 を求めた。

  しかしそんなマッドの何が不愉快に映ったのだろうか。
  昨夜、マッドの身体に呑み込めないほどの快感と熱を与え――挙句、腹が立つくらいに鬱血の跡
 を残していった男は、朝っぱらからマッドが包まる毛布をひっぱり、マッドの肌を夜露の冷たい元
 に曝そうとしている。
  それに苛立って、マッドは明け方の掠れた声で唸るように警告した。

 「おい、ダーリン。なあ、キッド。てめぇは人の睡眠の邪魔をするのがそんなに楽しいか。」

  果たしてそこには、サンダウンがいて、今しもマッドの身体から毛布を引っぺがそうとしている
 最中だった。
  しかし寝ぼけ眼のマッドの睨みは、常日頃の半分の効果もなく、サンダウンは一向に引き下がろ
 うとしない。それどころか、なんだか嬉々としてマッドから毛布を剥ぎ取ろうとしている。

 「キッド、てめぇは俺の言った事が聞こえなかったのか。」
 「聞いている。」

  マッドの低い声も意に介さず、サンダウンはお前こそと、まるでマッドに責任があるような口ぶ
 りで話し始める。

 「私が傍にいるのに腕から抜け出して毛布に懐くのは一体どういう了見だ。」

  突然吐き捨てられたその台詞に、マッドは呆気にとられ、ややした後目眩を感じた。

  渋い面をしたサンダウンは、実は結構嫉妬深い。
  どういう仕業か知らないがこうして夜を共にする間柄になってから、マッドがサンダウンの嫉妬
 により酷い眼に会うのは一度や二度ではない。
  一緒にいる賞金稼ぎ仲間から追いかけている賞金首まで、果ては愛馬にまで嫉妬した男は、新境
 地に達したのか 毛布にまで嫉妬するようになったらしい。
  けれどマッドとしては――賞金稼ぎマッド・ドッグとしては、まさか長年追い続けている賞金首
 サンダウン・キッドがそんな嫉妬深いおっさんである事に微かな、いや多大なショックがあり、最
 近少し本気で追いかけるのを止めようかなと思い始めている。
  ――そんな事を吐露した瞬間、変に疑い深いサンダウンに縛り上げられて何処かに監禁されそう
 なので、決して口にはしないが。

 「なあ、キッド。俺は今本気であんたが俺の知っているサンダウン・キッドなのか試したいんだけ
  ど良いか?」
 「もう一度抱けと?」
 「あんた、本気でいっぺんあの世に行った方がいいんじゃねぇのか。多分、そのほうが世の為人の
  為。」
 「先程ダーリンと言ったお前がそれを願うのか。」
 「あんた俺にダーリンって呼ばれて嬉しいんか。」

  アホらしい会話が面倒臭くなって、マッドはもう一度眠ろうともぞっと身を丸くする。
  身を丸くした拍子に同時に毛布を巻き込む事に成功したマッドは、なんだか傷ついた表情のサン
 ダウンを放置して背を向ける。
  しかしサンダウンはこんな事でへこたれるほど人生経験が浅いわけでもなかった。

 「あん、もう、止めろってば。」

  とりあえず露わにする事に成功した肩に顔を寄せるサンダウンの手は、やはり不埒に動いてマッ
 ドを毛布の中から引きずり出そうとしている。
  ぴしゃりとその手を叩くと、逆に手を掴まれて口元へ引き寄せられる。軽く手の甲に口付けられ
 て、きょとんとしている間に今度は額に。

 「俺は眠いんだよ。」

  本気で眠そうな声を出すと、サンダウンも本気の声音で囁いてきた。

 「私は寒いんだ。」

  この間抜けな状況には相応しくない真摯な声に虚を突かれたマッドは、思わず毛布の中から眼だ
 けをサンダウンに向ける。
  そこにあった、あまりにも真剣で同時に悲痛な眼線に、マッドはそうだったと思い出す。
  この男が、その内部に何かどうしようもない不安定なものを抱え込んでいる事は、時折訪れる激
 しい抱擁で気付いていた。
  そうせねば命にかかわるのだと言わんばかりにマッドを抱き締める腕が、怯えたように震えてい
 る事などいちいち指摘するのも億劫だ。
  命綱に縋るようにマッドを抱き締めて、我を保とうとする姿に、結局いつも流されてしまう。

  そしてそれは今朝もそうだった。
  毛布の端から眼を覗かせて、のそのそと手を伸ばす。

 「まどろっこしい事ばっかしてないで、最初っから素直にそう言えよ、馬鹿。」

  自分の甘さを苦々しく思いながらも、奇妙に引き攣れたように震える腕に触れると、途端に視界
 が暗転し、毛布の温もりとは全く異なる葉巻臭い熱に覆われた。
  穏やかな毛布の温もりに別れを告げたマッドは、荒々しく唇を奪われて、そのままサンダウンの
 檻に囲まれる。
  その状態を想像し、ほんの少し腹を立てたがそれは一瞬の事。
  降りかかる熱が荒っぽかったのはその時だけで、後はマッドの身体を労わるように全身を撫でて
 いく。マッドを放すまいと力を込めながらも優しい手つきは、ほんのりとマッドに触れては熱を与
 えていく。
  その心地良い感触にマッドは直ぐに自分が眠かった事を思い出し、自分を抱え込む熱に身を委ね
 た。

  眠りに落ちる瞬間、サンダウンが何事か真剣に囁いた。
  マッドはそれに感覚だけで理解をして小さく頷いた。

  それに、サンダウンが小さく笑ったような気がした。