ちり、と指先が焦げ付くような痛みを覚えた。
  火花が指に停まったような感覚、とでも言えば良いのだろうか。ちりちりと、火花が灯ったその
 場所から、更なる炎が今にも飛び散りそうな、そんな気分だった。
  ちりちりと燻るように痛みを訴える指先は、きっと火にくべられた鉄のように真っ赤になってい
 るだろう。
  見ずとも分かるし、そうだったら愉快なのに、とも思った。
  何かの拍子に、火の粉を散らすように、赤くなっていたなら。
  尤も、実際に痛みを覚える指は冷たい銃の引き金に掛かっていたから、確かに何かの拍子に、炎
 が突き上げる事はあるだろう。
  そして、目の前にぽっかりと開いた黒い穴からも。




  ガンメタルグレイ





  額に口付られた冷たさに、マッドは笑い出したくなった。いや、実際に喉の奥では笑い声を噛み
 殺している。
  目の前で煌めくのは真鍮の口。
  今少しでも、マッドが何か下手に動けば、そこからは容赦なく火に爛れた鉛玉が放たれるだろう。
 マッドは、それを誘発してみたい気分もあるし、一方で自分の手の中で暴れる時を待っている黒い
 顎を引く瞬間も待っている。
  白銀の光と、黒光りと、果たしてどちらが炎を吐き出すのが速いだろうか。
  今までの事を考えれば、真鍮の顎が喉を震わせるのが先だろう。これまでだって、ずっとそうだ
 った。マッドがそれを嫌がっても、真鍮の顎はマッドの手を掠め去って牽制するのだ。マッドをそ
 の炎で貫きもしない。マッドの手の中にある黒い顎は、その度に沈黙して牙を抜かれてしまう。
  だが、今は。
  マッドは目の前に広がる真鍮の縁と、その中にある黒い深淵を覗いている。
  これまで、こんな間近でその深淵を覗き込む事はなかった。いつだって、遠くから炎を噴き上げ
 て、その炎はマッドの手に火傷を残すだけだった。しかし今は、マッドの視線の少し上、ちょうど、
 マッドの額に冷たい口付けを落とそうとしている。
  そして、その口付けから放たれるのは、触れれば火脹れでも起こしそうなほど焼け付いた鉛玉だ
 ろう。
  その炎は、どれほど熱いだろうか。
  泣き叫ぶほどだろうか、それとも言葉を失うほど?
  それとも、もはや熱さを感じないほど、一瞬にしてこの命を貫いていくのだろうか。最後の一瞬
 に瞬く暇も与えぬほど。
  その瞬間を、マッドは目の前の真鍮の光を見る度に、背中を粟立たせながら想像するのだ。甘美
 な夢に誘われるかの如く。
  死が甘い匂いを放つ事は、マッドも良く知っている。死の匂いに対して、マッドはそれを好んで
 鼻腔の傍に持ってこようとは思わない。ただ、真鍮の煌めきだけは別だ。無骨で、きっと味気ない
 に違いない金属の肌は、まるで艶めいていて、マッドに痛みの悦びを囁いている。
  その一方で、やられっぱなしが好きではないマッドが疼いているのも、また事実。
  マッドの手の中でいつも口輪をかけさせられてしまう黒い顎が、暴れ狂いたいと叫んでいるのだ。
 牙を見せて、熱い呼気を吐き出して、気炎を飛び散らせたい。
  炎をその胸目掛けて撃ち降ろすのは、きっと、例えようもないほどの快感だろう。
  その時、果たして悲鳴を上げるだろうか、それとも、何一つとして声を上げない?
  迸る血の色は、何処まで大地を濡らすだろうか。この足元にまで忍び寄って来るか。そしてその
 眼に、何を映すのか。マッドを捉えて映してくれるだろうか。
  それとも、炎に貫かれるその瞬間、マッドにも炎の槍を差し込むだろうか。
  手の中にある真鍮の顎は、未だに死んでいないその証拠として。マッドの胸か、額目掛けて、口
 付けの代わりに、焼け焦げた鉛玉を送り込んでくれるか。
  その瞬間を想像して、マッドはそれが途方もなく喜ばしい思いつきのように思えた。
  目の前で瞬く銀の銃口は、いつでもマッドに口付けて、マッドをそのまま死の眠りの縁に連れ去
 る事が出来るだろう。何度も焦げ付きそうな口付けを全身に撃ち落す事だって出来るだろう。
  だが、悔しいがマッドには、そう何度もその機会は巡ってこない。マッドから口付けを仕掛けて
 も、全部軽く躱されてしまうのだ。だから、今の、互いに銃口を突き付けあっているという状況は
 マッドとして非常においしい状況だった。
  このままならば、マッドは額に焼き鏝のような口付けを受けるだろう。
  だが、その一方で自分も口付を仕掛ける事が出来るかもしれないのだ。黒い顎を開いて、牙を煌
 めかせて。
  酷く、愉快な気分になった。
  それは、とうとう顔に出ていたのかもしれない。真鍮の銃口の向こう側に見える男の顔が、はっ
 きりと顰められたのだ。
  ああ、引き金を引くのかな。
  そう思って、マッドも引き金に掛けた指に力を込めた。
  が、マッドの予想を裏切って、額には相変わらず冷たい口付けが落とされているままだった。だ
 が、男の顰め面は変わらない。青い眼を瞬かせ、マッドを厳しく見下ろしている。

 「………何を笑っている。」

  低い声も、酷く機嫌が悪そうだった。
  だが、マッドはその台詞に、やはり笑っていたか、と思った。どうやら本当に顔に出ていたらし
 い。けれども、それだけ愉快な思いつきだったのだ。
  しかし、そんな愉快な気持ちを持った罰と言わんばかりに、額にあった冷たい銃口は、機嫌を損
 ねたようにマッドから離れてしまった。愉快な事の後には、どうやらお仕置きが待っているようだ。
  立ち去ってしまった冷たい感触を名残惜しく思った状態で、マッドは身体を地面に投げ出された
 まま動かずにいた。それには勿論、先程まで銃を突き付けていた男が未だにマッドの身体の上から
 退こうとしない所為もあったが、マッドとしてはもうしばらく余韻に浸っていたかったのだ。
  が、うっとりとしたマッドの様子は、やはり男にとっては気に食わなかったらしい。いきなり無
 骨な手をマッド目掛けて伸ばしてくると、マッドの髪を掴んで引き摺り起こした。
  髪を引っ張られた事で感じた痛みは、生憎と死が齎すような甘い痛みではなく、何処までも浪漫
 の欠片もなかった。

 「何か、おかしな事を考えているな……?」
 「さあてね。」

  髪を掴まれたまま、それでもマッドは口元の笑みを消すのも癪なので、笑ったまま首を竦めてや
 った。
  すると、青い眼が冷やかに歪んだ。

   「銃を突き付けられて喜ぶなど、どんな変態だ。」
 「あんたこそ、男に追いかけられて喜んでんじゃねぇか。」

  賞金首であるが故に賞金稼ぎに追われ、しかも追ってくる賞金稼ぎを殺さないという事実を揶揄
 してみたが、それは丸ごと無視された。

   「……それとも、私を返り討ちにしようと?」

  言うなり、マッドの黒い顎を掴まれた。今の今までその喉笛に食らいつこうとしていた牙は、あ
 っという間に男の無骨な手によって、下に降ろされてしまう。マッドは、自分の愉快な思いつきが
 完全に潰えた事を、此処で悟った。
  せっかく、こちらから口付けてやれると思ったのに。
  酷く残念な気持ちになって、男の青い眼を見上げれば、男はふいに厳しい視線を緩めた。代わり
 に、呆れられたような溜め息を吐かれたが。

 「……やはり、ろくでもない事を考えていたんだろう。」
 「あんた、読心術でも覚えてんのか?」

  別にマッドはろくでもない事など考えていないが。
  しかし男は、どうだかな、と呟いている。そして、髪を掴んでいた手とは別の手を伸ばして、マ
 ッドの肩を支えると、ようやくマッドの髪を離した。が、後頭部を掴んでいる事に変わりはない。
 なんだか、今にも抱き締められそうな恰好だ。
  そう思った瞬間、すかさず、口の端に口付られた。
  思っていた以上に柔らかい感触に、マッドは、一瞬惚けた。が、すぐに睨みあげる。

 「ろくでもない事考えてんのは、あんたじゃねぇか。」
 「……お前がしてほしそうな顔をしていた。だから、お前がろくでもない事を考えていただけだ。」

  その言い分に、マッドは形の良い眉を顰めた。
  マッドは、口付けて欲しいだなんて、思っていない。
  強いて言うなら。
  マッドは、男の大きなかさついた手を振り払うや、かぷ、と男の髭に埋もれた唇に、唇で噛みつ
 いた。
  マッドは、口付けたいと思っていただけだ。