昔から、この色が嫌だった。
  鏡の中に映る自分の髪は、何処にでもあるありふれた黒で、同じく瞳も黒い。長じるまでに、自
 分と同じ髪と眼の色をした人間に、一体どれだけ出会ったことか。
  そう、とりたて珍しくもない色は目立ちもしないが、別に劣等感を抱く必要もないし、そこまで
 自分を卑下する気もない。
  実力だけで今現在の地位を手に入れたマッドにとっては、生まれ持った色など些細な事。
  しかし、それでもやはり、自分の持つ色は好きになれない。




  Felix qui potuit rerum cognoscere causas.





 「これは、お前よりもあの子に似合う。」

  そう告げて、伯父や伯母達は、手の中にあった金に青の縁飾りの付いた懐中時計を取り上げ、金
 の髪を戴く従兄弟にそれをあげてしまった。
  親戚が一堂に集まる新年のお祝いの席で、本当ならば一番ピアノを上手く弾けた子供に与えられ
 るはずだったそれは、黒髪には似合わないという些細な事だけで、つっかえつっかえに、かっこう
 鳥を弾いた金髪の少年に与えられた。
  金髪の従兄弟は無邪気にそれを喜び、青い瞳を輝かせて蓋を開いたり閉じたりしている。
  その様子を微笑ましげに見つめる大人達は、口々に少年の金の髪と青い眼を褒め称えた。

  本当に綺麗な巻き毛だこと!
  見て、あの眼はサファイアのようだわ!
  まるで天使ね!

  黒や茶の髪が多い中で、金のその髪は良く目立つ。
  ほんのりと淡い輝きを持つ少年は、大人から見れば愛らしかったのだろうし、大人達の反応を見
 て子供達もその少年が特別なのだと思い始める。
  最も美しくピアノを弾き上げた黒髪の少年への賛美を削って、金髪の少年への賛美を送る。
  その様子を俯いて見ていた黒髪の少年に、やっと気が付いたかのように金髪の少年の兄に当たる
 少年が、口を開いた。

 「おや、お前は何も貰えなかったんだね。けれども別に構わないだろう?だってお前はピアノが上
  手く弾けるんだから。」
 「そうそう、黒髪の君には、同じ黒の仲間であるピアノの傍が良く似合う。それに、ほら、お前は
  肌も白いから、ちょうどピアノと同じじゃないか。」

  金髪の兄の言葉に乗じて、別の少年がそう口ずさむ。
  それは酷く意地悪な言葉だったが、少年達は黒髪の少年が嫌いなわけではなかった。むしろその
 逆だった。
  子供達で遊んでいるとどうしても年功序列になって、一番年上が兄や姉の役割でリーダーを気取
 るようになるが、黒髪の少年がいる時は別で、彼がいつも王様だった。
  そんな彼が輪の中から弾き飛ばされたのを見て、いつもとは違う反応が見てみたくなったのだ。
  だから、その髪と肌をからかったのだが。
  黒髪の少年は、ふい、とそっぽを向くと、人の輪に背を向けた。
  どれだけ彼らに悪意がなかろうと――好意を持っていようとも――いつも最終的に賛美を受ける
 のは金髪の少年なのだ。黒髪の少年が王様ならば、金髪の少年は王子様という幾分甘やかされた扱
 いで、黒髪の少年が実績を求められるのに対し、金髪の少年は何も求められないのに与えられる。
  理不尽なそれに、彼が慣れてしまったのは、同時に彼がこんなちやほやとした場所から逃げ出そ
 うと決意した瞬間でもある。

  ひたすら実力だけで認められる世界で生きようと、彼は貴族達の集まる社交場から飛び出して、
 乾いた砂の舞う荒野へと一人やってきた。そこで狂気の名を冠して、賞金稼ぎとして名を売って、
 ようやく西部一の座に躍り出た。そこでは黒髪だの金髪だので差は出てこない。銃の腕だけが全
 てだ。
  しかし、確かに天使を想わせる髪や眼の色を褒め称える傾向はなく、寧ろそんな淡い色合いは
 貧弱だとさえ言われる西部では、今度は肌の色が囁かれるようになった。

 「お前が賞金稼ぎ?」
 「ははっ、どうせその身体で垂らし込んだんじゃねぇのか?」
 「ああ、男好きそうな身体をしてやがる。」

  マッドが歯牙にもかけない男達は、自分達の存在を認めて貰おうと言うかのように、わざと聞こ
 えるようにそう言う。
  それは幼い頃、自分の黒い髪を揶揄した少年達を同じ。ただし、彼らが今度指差すのは、髪と眼
 の色ではない。

  音楽家である母親から譲り受けたのは黒の髪と眼だけではなく、彼女の持つ白い肌と線の細い指
 もだった。銃を撃つには特化していないだろうと思わせる指は、西部一の賞金稼ぎになった今でも、
 見た目で人を判断する愚者達には格好の餌食になる。
  荒ぶる西部の男からはかけ離れた容貌に、脚を開く事を要望する金持ちやならず者も少なくない。
 まして、西部は女の絶対数が少ない。男達に路地裏に引きずり込まれそうになったり、金をちらつ
 かせて迫られた事は一度や二度ではない。
  もしもマッドが、男達がその身体からの想像するように儚い弱々しい存在だったなら、あっと言
 う間に踏み躙られていただろう。ただ生憎と、マッドはその名を冠する通り、ならず者達でさえ身
 震いするほどの苛烈さを持っていた。
  しかし、男達の欲望を払い飛ばすだけの力を持っていても、欲に塗れた視線に曝される度に、苛
 立ちが募っていく。

  別に、好き好んでこんな色合いをしているわけではない。
  貴族達にとっては褒め称える対象にはならない黒の髪も眼も、西部の男達にとっては半人前で寧
 ろ欲望の対象となってしまう白い肌と細い指も、己の意志で選んだわけではないのだ。
  それらの色がなくとも、マッドは西部一の賞金稼ぎに昇りつめただろうし、それだけの実力もあ
 る。けれども、世界はそだけでは足りないと言うように、マッドの身体を指差して嘲笑うのだ。

  この身体を厭うつもりはない。
  しかし理不尽だとも思う。

  貴族達には見向きもされなかった黒い髪と眼。
  荒くれ者達が薄ら笑いを浮かべて見やる肌と指。
  優美な世界からも荒ぶる世界からも、何処か弾かれてしまった身体。

  それはただ単に、マッドの力が突出してしまっているからこそ、皆そこを突くしかないだけなの
 だが、当の本人であるマッドには分からない。
  だから、眼の前にいる男が、自分の持っていない物全てを持っている事に、苦いものが湧き上が
 らずにはいられない。

  賞金首サンダウン・キッドを前にして、マッドは苛々としていた。
  今にも荒野に紛れてしまいそうな男は、確かに現時点ではマッドのほうが遥かに恵まれているだ
 ろう。
  しかし。
  砂と同じ色に近い金の髪と、荒野特有ののややきつめの空と同じ色をした青い眼は、貴族が好む
 色合いだ。かさついた武骨な指先は西部の男特有のもので、マッドが自分の指と比べればどうして
 もその差が際立ってしまう。
  それでもせめて銃の腕で勝っているのなら良いのだが、今しがた、マッドは自分の銃をサンダウ
 ンに弾き飛ばされたばかりだった。
  どうして、こうも違うのか。
  自分の黒い髪を弄りながら、マッドは思う。
  サンダウンならば、きっと貴族達の中にいても髪と眼の事で揶揄されたりはしないだろうし、こ
 の西部でも身体の事でとやかく言われる事はなかったに違いない。挙句、銃の腕は超一流ときたも
 のだ。
  サンダウンが苦労しなかったとは思わないが――賞金首になっている時点で既に人生を間違えて
 いる――しかしマッドのように自分ではどうしようもない事で周りから何かを言われる事はなかっ
 たに違いない。
  自分が容姿を差し引いても十二分に人目を惹く存在である事になど全く気付かないマッドは、腹
 立ち紛れに白い掌に爪を立てた。ぷつり、と切れた皮膚から、血が膨らんでいく。
  それを白に映えて綺麗だなどとマッドは思わない。

  黒い髪を鴉の濡れ羽のようで艶めいているだとか黒い瞳を夜空を丸ごと引き摺り降ろしたようだ
 とか、そんなふうに自分を崇め奉るような言葉を、金の髪と青い眼を持つサンダウンが喉の奥で絡
 ませている事などマッドは微塵も想像しないし、ましてサンダウンがそんな自分を欲しがっている
 事など、考えた事さえないのだ。