その話の発端は、はて一体なんだったのか。
 二人して首を傾げても、どちらから話を振ったのか分からない。
 賞金首が、お前だろうと呟けば、賞金稼ぎは、覚えてねぇ、と嘯く。しかし賞金首のほうからそん
な話題を振るわけもないだろうと思うので、賞金稼ぎは首を傾げながらも、俺のほうからかねぇ、と
言うと、賞金首が無言で頷いた。

「ああ、でも、あんたの初恋の話なあ……。」

 賞金稼ぎが呟きと一緒に笑いを零す。それを聞いた賞金首は苦々しげに、忘れろ、と呻いた。




first Love story





 とにかく、二人とも酔っていた。とくにマッドのほうは、サンダウンの前に現れた時に既に出来上
がっていた。
 特段、酒に弱いわけでもないのだが、だからといって微塵も酔わないわけがない。ザルだろうがワ
クだろうが、酔う時は酔うのだ。
 といっても、サンダウンの前に現れたマッドは、ほろ酔い気分で、泥酔というわけではなかった。
 されど、酔いは酔い。
 マッドもその事は自覚していたのか、サンダウンの前にふらりと現れながらも、いつものように銃
を抜こうとはしなかった。ただ、ふらりふらりと揺れるように近づいて、サンダウンの目の前を陣取
ったのだ。
 場所は荒野のど真ん中。
 昼はじりじりと日差しが照り付けても、夜ともなればその恩恵は消え失せ、凍えるほどの風が吹き
荒れる。そこで酒に酔ってうろつくなど、自殺行為に等しいのだが、マッドほどもなれば酔いも味方
のうちなのか、マッドは酔ったまま荒野をふらついていた。
 愛馬を背後に従え、疲れれば愛馬にひっついて寝れば良いと高を括って、さく、さく、と緩やかな
緩急をつけて砂の上に足跡をつけている最中に、遠目にちかりちかりと瞬く光を見つけた。
 それを目指して歩いた果てに、サンダウンを見つけたわけだ。
 サンダウンを見つけてしまえば、マッドがそこから離れる理由もない。サンダウンにしてみれば非
常に迷惑なマッドの考えにより、マッドはサンダウンが野営する焚火の前を占領したのである。
 如何に賞金稼ぎマッド・ドッグとはいえ、今現在はただの酔っ払いである。サンダウンの腕を以て
すれば、撃ち抜く事は朝飯前だっただろうが、サンダウンは野営の前で更にアルコール摂取をし始め
た賞金稼ぎを、特に咎めはしなかった。
 マッドの我儘な振る舞いなど、今更である。
 サンダウンはマッドの動きをちらりと見ただけで、マッドが吠えもせず酒を煽っているのを確認す
ると、自分も杯を煽った。
 いちいち追い払うのだけ無駄である事を、サンダウンは良く知っている。そして良く知っているだ
けの月日を重ねてしまっている。
 その事実に肩を落とすのも、今更だ。
 とにかく、マッドが銃を抜き払うのでなければ、サンダウンにはマッドを追い払う理由もない。時
折、マッドの酒を掠め取りながら、サンダウンは自分も酔いに酔いを重ねる。
 かくして酔っ払い二人が荒野のど真ん中で出来上がった頃、どちらが口火を切ったのか、誰も知る
由もない。
 ただ、覚えているのは、初めて恋した相手、だった。
 大方マッドがふざけて口にしたのだろう、と言うのがサンダウンの見解だ。マッドもそこは認めた。
しかし話に乗ったのは紛れもなくサンダウンだ。何せ、その場にはマッド以外にはサンダウンしかい
なかった。
 マッドが上手い具合にサンダウンを乗せた、という事も考えたが、それに乗せられたのはサンダウ
ンだ。
 どうにも、サンダウンは、何処か、特定の誰かに乗せられやすいところがある。
 確か、一番最初に惹かれた相手が、そういう『特定の誰か』に当たっていた気がする。

「美人だったのか。」
「……いや別に。」

 端正なマッドの顔を見ながら、サンダウンは答えた。マッドのように人を乗せるのが上手い人間だ
ったが、マッドほど秀麗ではなかった。北部の田舎の女で、ただ面倒見は良かった。
 子供の頃から無口だったサンダウンを、随分と気にかけてもくれた。サンダウンが一人で森に入っ
て、必ず獲物を仕留めてくるのを随分と誉め立てた。
 誰にも、負けないだろう、と。

「南北戦争が起きた時、志願してみてはどうか、と。」
「で、あんたは乗せられた、と。」

 グリーンのボトルを傾け、中に残る酒を透かしながら、マッドが言う。グリーンのボトルの向こう
側で、マッドの眼が星のように瞬いたのが見えた。
 マッドの声に、サンダウンは答えなかった。
 事実だったからだ。
 代わりに、サンダウンもボトルを傾けた。
 今にして思えば、あの言葉は誰かを徴兵から守る為のものだったのかもしれない。彼女に誰か相手
がいたかどうかは知らないが、少なくとも大切な人間に戦争に行けと容易くは言わないだろう。
 北部のあの森に戻らなかったサンダウンを、彼女は思う出す事はあるだろうか。もしかしたら、死
に追いやったかもしれない相手を。思い出したくはないかもしれないが。
 ただ、少なくとも、あの頃サンダウンを気にかけていた事は本心だっただろう。サンダウンは、そ
う思っている。

「あれだな。あんたは何も言わないし表情も変わらないから、誰もあんたが夢中になっているって思
わないんだろうよ。あんたが調子こうている事をもっと前面に押し出せば、その女も何か思っただろ
うに。」

 緑色の硝子の向こう側で、マッドが言った。

「あんたが表情一つ変えないから、その女は安心したのさ。何をしたって許されると。」

 きっと、その女は何も思い出さない。マッドは残酷に、けれども同時にサンダウンが気兼ねする必
要はない、と告げる。酔っ払いが、分かって言っているのかは、分からないが。
 お前は、とサンダウンも緑の硝子越しに問う。女にちやほやされてばかりいる賞金稼ぎに、お前こ
そどうなのか、と。まさか自分だけに話させるつもりなのか、と。
 些か詰る気配になったのは、サンダウンも酔っていた所為だ。
 すると、マッドが酔いの中から困惑と、微かに何か酷く冷たいものを呑み込んだような色を浮かべ
た。
 琴線だったようだ。
 けれども、確かこの話は、マッドが最初に吐いたはず。
 だからだろうか、マッドもその色を消さないまま、告げた。

「鏡さ。」
「……何?」
「ナルキッソスって言ってさ。鏡に映った自分に恋をする話があるだろう。」
「知らん。」
「あるんだよ。俺の場合、それと同じだ。」

 アルコールの溜め息が零れた。

「母方の従姉妹でな。ガキの頃、気が合ってよく遊んだ。」
 
 むしろ、気が合いすぎておかしいくらいだった。考えている事が余りにも一致しすぎて。思えば、
怖いくらいだったが。

「二人して、荒野で暮らしたい、銃を持って馬に乗ってあちこち走りたいって言ったもんさ。」

 きらびやかな社交界も、広大すぎるプランテーションも興味がなかった。むしろ何があるか分から
ない、もしかしたら何もないかもしれない埃だらけの荒野の話ばかりした。自分達の世界は、どうし
てだろうか、何か一つ誤れば、薄暗い霧の中に呑み込まれそうだと、互いで呟き合っていた。
 
「そうして、俺は、一人で荒野に来た。」
「………相手は?」

 聞くべきではなかったかもしれないが、聞かなければ逆におかしかった。だから、サンダウンは、
聞こえるかどうかの声で問うた。闇の中で、その声は大きく響いた。

「死んだ。」

 マッドの声は、酔いが果てるほどに素っ気なかった。
 マッドの、合わせ鏡のような存在は、

「南北戦争の終わりに死んだ。戦争の所為じゃねぇ。乗ってた船が、沈没したのさ。」

 死体は見つからなかった。もしかしたら、生きているのかもしれない。けれども、あの時確かに、
マッドの合わせ鏡は粉々に砕け散ったのだ。
 ちゃぷ、と緑色の中で、酒が揺蕩う。
 マッドの眼が、もう一度瞬いた。その中に、マッドによく似た別の誰かがいたような気がした。け
れどもそれは、マッドの瞬きが終わる瞬間に、宙にかき消えた。