翌日、眼が覚めるとやっぱりマッドが横にいた。
  そもそも、よくよく普通に考えてみれば、宛がわれたやたらと広い部屋に天蓋付きの――冷静に
 なればダブルにしか見えない――ベッドが、一つしかない事に突っ込むべきだった。しかし、マッ
 ドが甘えてそれを甘やかして、そのまま一つのベッドに納まる事に慣れたサンダウンは、今朝、暑
 かったのか寝ている間に上着を脱いでしまい、滑らかな肩を露わにしているマッドを見て、ようや
 くこの部屋のおかしさ――ダブルベットが一つしかない――に気が付いた。
  一方で、上着を脱ぎ捨てたものの途中で寒くなったのか、暖を求めるようにサンダウンにひっつ
 いて眠るマッドは、そんなおかしさについてなど微塵も考えるつもりはなさそうだった。
  しかし、一度おかしさに気が付いたサンダウンは、今現在の自分の状況――上半身だけとは言え
 裸のマッドにひっつかれている事も相まって、大いにうろたえた。ダブルベッドが部屋に一つだけ
 用意されている事も、マッドが眠っている間に暑くなって服を脱ぐ事も、そして自分にひっつく事
 も、何か宇宙的な陰謀のような気がする。
  ぺったりと張り付くマッドの重みが、実は普段よりも布一枚分近いのだという事を想像しただけ
 で、もう駄目だった。自分が途方もない罪人になった気分だった。確かに五千ドルの賞金首なのだ
 が、別にこれは自分で懸けたものであって罪を犯したわけではない。が、五千ドル以上の罪を犯し
 ているような気分だ。




  Garden balsam





  罪悪感に駆られてマッドから身を離そうと試みたサンダウンは、しかし動いた瞬間にマッドの露
 わになった肩はおろか、シーツの隙間から鎖骨まで見えてしまって固まってしまった。男にはある
 まじきそのラインに、悶絶しなかったのは、すぐにマッドが擦り寄ってきて、その隙間を埋めてし
 まったからである。
  尤も、マッドが結局は離れないので、何の解決にもなっていないのだが。
  しかも、ぴったりと張り付くマッドは、相変わらず口付けを強請っているような表情をしている。
 どうにかしてもぞもぞとシーツを引き上げ、露わになっている肩までを隠して、サンダウンは現実
 逃避するべく、こんなに無防備で普段大丈夫だったのだろうかと心配をしてみる。
  マッドが男からも狙われる身体である事は、サンダウンもマッドも重々承知している事だ。マッ
 ドとて、決していつ何時も無防備なわけではない。しかし、サンダウンの前でこうも無防備にされ
 ると、他の男達の前でもこんなふうなのかと心配になってくる。
  いや、サンダウンの前だけでこんなふうであると言われたところで、サンダウンとしては出来れ
 ば自分の前でもある程度の警戒心は持って欲しいのだが。
  マッドは、サンダウンは無条件でマッドを甘えさせてくれると思っているのかもしれない。けれ
 ども、マッドはもう子供ではないのだ。何度も繰り返すが、マッドは想像していた以上に端正に成
 長して、そして飾り褒め称えれば良かった子供ではなくなっている。抱き締めれば、慈しむよりも
 欲望のほうが勝るような身体をしているのだ。その欲望に惹かれるのは、むろんサンダウンも例外
 ではない。サンダウンは辛うじて、罪悪感で自分を戒めているだけだ。

  が、それを口にしない上に顔にも出さないサンダウンの心中が、マッドに届くはずもなく。
  マッドは自分が上着を脱ぎ捨てている事実に頓着する事もなく、普通に眼を覚まして、普通に身
 を起こし、自分の身体の線を平気でサンダウンの前に曝した。
  慌てて視線を逸らしたサンダウンになど気付かず、もぞもぞと動いて、そのまま顔を洗いに行っ
 てしまう。残されたサンダウンは、マッドの肌の匂いの染みついたシーツを睨みつけるしかない。
 そのシーツにさえ、微かな劣情を抱く自分は、どうしようもない事態に陥っているのだ。が、そこ
 から逃げ出す方法と言えば、マッドから視線を逸らす以外に手がない。
  ――マッド自体を手放す事は、サンダウンには出来ないのだ。

 「キッドー、あんたは今日、どうするー?」

  サンダウンの心情など知らないマッドは、のんびりとした声で問い掛ける。
  そう言えば、マッドは庭師の母親にでも会いに行こうかと言っていた。そう聞き返せば、小さな
 沈黙があった。

 「その前に、俺、行きたいところがあるんだよな。そんなに時間は取らないから飯の前にでも行こ
  うかと思ってたんだけど。」

  水音が消えたかと思うと、ごしごしと顔を拭きながらマッドが現れた。黒い髪の毛先に、滴が数
 滴ついているのが、まるで装飾のように綺麗だ。滴の一滴でさえ味方に付けるマッドは、少し首を
 傾げて、どうする、と聞いた。

 「あんたは、先に朝飯に行くか?二人揃って席にいないってのも、なんか煩く言われそうだし。」

    食事は、朝食と夕食についてはまるで会食のように、サンダウンとマッドはエイブラハム達と一
 緒に取らされる。他のならず者達はおらず、自分達だけが特別扱いのようにそこに同席させられる
 のだった。
  エイブラハムがパトロンであるエリオや、エイブラハムの妹であるらしいクリスはともかく、何
 の関係もない自分達まで同席させられる事をサンダウンは訝しむ。もしかしたら、エイブラハムは
 マッドに――性的な意味合いも、或いはマッドのかつての地位も含めて――興味があるのだろうか
 と疑っていた。
  エイブラハムがどんな事を思おうが、サンダウンにはどうでも良い事だが、マッドに関係するの
 なら、それは別である。エイブラハムに対してマッドが好意を示しているのならともかく、無理や
 りにでもマッドに何らかを求めようものなら、サンダウンはそれこそ五千ドルの賞金首に成り下が
 ってでも良いから、エイブラハムを殺す覚悟がある。
  とにもかくにも、エイブラハムが何らかの意図を持って同席させている場所に、二人揃って遅れ
 たのなら、何を言われるか分かったものではない。ほんの少しだけ、マッドを一人にする事に微か
 な不安か過ぎったが、屋敷の中で滅多な事はないだろうと思い、しぶしぶ一人で気の進まない朝食
 の場に行ったのだった。




  最初に言っておこう。
  本日の朝食は、サンダウンにとっては非常に不愉快なものとなった。そしてエイブラハムの意図
 の一端――厳密に言えばダブルベットが一つだけの部屋の意図が、分かった朝食でもあった。
  マッドがこの場に遅れる事を申し出た時は、特に何か言われる事はなかった。エイブラハムは、
 鷹揚に頷いて、マッドの意志を尊重してマッドのいないままに朝食を始めたのだった。
  食器の音だけが響き渡る、居心地の悪い食事の間はまだ良かった。
  サンダウンの大いに不愉快にさせる出来事は、食事の後の一杯のコーヒーという、荒野ではあん
 まりお目にかかれない時間の最中に起こったのだ。

 「それにしても、珍しい。」

  結局、マッドが食事の席に現れないまま――まさかこの居心地の悪い食事から逃げ出したんじゃ
 ないだろうかとサンダウンは疑っている――コーヒーが全員分行き渡り、部屋にコーヒーの匂いが
 立ち込めたあたりで、エイブラハムが唐突に口を開いた。その視線は、はっきりとサンダウンと、
 今は空席のマッドの席に向けられている。

 「君達が、別行動をするなんて、ね。」

  何か含みを持たせた言葉に平気で乗りかかったのはエリオだった。

 「ふん。随分と仲が宜しいようじゃないか。ならず者同士でも、買う買われるの関係になる事って
  あるんだね。」

  こちらは随分とあけすけだった。が、サンダウンが微かに顔を顰めるには十分な言葉でもあった。
 しかしこの程度ならば、逆にあけすけ過ぎて、怒りの対象にもならない。せいぜい、呆れて終わり
 である。 
  が、サンダウンを一気に不愉快にさせたのは、窘めたエイブラハムの言葉だった。

 「止さないか、エリオ。彼らを同じ部屋にしたのはこの私なのだよ?私としては喜んで貰って幸い
  だ。」

  どう考えても頓珍漢な言葉な上に、どうしようもないほど即物的な人間である事がはっきりした。
 つまり、この男はサンダウンとマッドの関係を大いに勘違いした上で、二人同室――しかもベッド
 が天蓋付きのダブルベッド一つだけという部屋に押し込んだわけである。非常に即物的な期待を込
 めて。
  成金貴族であるとは知っていたが、成金は成金なりの品格を持っていると思っていた。が、それ
 はこの男に関しては間違いだったようである。その辺にいる、噂好きの連中と大差ない。
  本日半裸のマッドに擦り寄られて理性を試された事も相まって、サンダウンは真剣に不愉快にな
 った。
  しかし、ふと思いなおし、一際不愉快な、しかも看過できない考えを思いつく。
  もしかしたら、エイブラハムはマッドの正体を知っているのではないだろうか。マッドに流れる
 貴族の血に気付いて、その価値に手を出そうとしているのだろうか。或いは、マッドを貶める事で
 自分の地位を確かめようとしているのか。
  サンダウンとて、マッドが上流階級の出である事は知っている。あの白々しい屋敷の中にいた、
 線の細い子供は、はっきりと貴族の血を引いていた。しかし、その貴族の血がやはり俄かなものだ
 ったのか、もしくは古くから脈々と続くものだったのか、そこまでは知らない。サンダウンにはそ
 んな事はどちらでも良く、本音を言ってしまえばマッドが傍にいると言うのなら、その出生はどう
 でも良い。ただ、どうしても二人の出会いが、彼の父親の死である以上、それを無視できないだけ
 で。
  けれども、サンダウンがマッドの出生を気にせずとも、エイブラハムがそれに気付いて何らかの
 罠を張り巡らせていると言うのなら、話は別だ。ならず者の慰み者になっていると貶めようと言う
 のなら、実際にサンダウンがマッドに欲望を持っていたとしても、サンダウンは何が何でも阻止し
 てみせる。

 「不愉快ですね。そういう事を言うのは。」

  決意を固めたサンダウンの代わりに、きっぱりと言い放ったのは同席していたクリスだった。

 「真実はどうであれ、人前でそういう事を言うのは品性を疑います。ベックフォード氏、謝罪をす
  るべきではありませんか?」

  どうやらクリスは、サンダウンが彼女がエイブラハムの妹である事に気付いていると思ってもい
 ないらしい。他人行儀な口調で、あくまでも雇われたならず者を演出する彼女は、気付いている側
 の眼から見れば滑稽ではあったが、言っている事はあまりにも正しかった。

 「仲が良いと言うだけでそんなふうに見るなんて。ご自分にそういう仲の良い方がいないから、や
  っかんでいると思われますわよ?」

  更に辛辣に、他人行儀な顔をした妹に言われて、ようやくエイブラハムは口を閉ざした。エリオ
 もつまらなさそうにではあるが、言い返せないのか口を閉ざしている。
  不愉快な貴族二人を残したまま、朝食の席をお開きとなったのである。




 「ごめんなさい。」

  朝食の席を外れたサンダウンに、クリスが申し訳なさそうに言った。

 「出過ぎた事をしたかもしれないわね。けれどもいくら貴族とは言っても、いえ貴族だからこそ品
  がなさすぎるわ。」
 「……気にしてはいない。」

  兄妹であると気付かれぬように、それでも兄の代わりに謝罪をするクリスが、サンダウンは憐れ
 になった。そして彼女が家出をした理由が、何となく分かったような気がした。

 「気にしていない?嘘でしょう?あなた、主人を侮辱された騎士みたいな顔をしていたわ。」
 「…………騎士。」

    サンダウンは生憎と騎士を知らない。それとも、今の貴族も騎士を従えているから、そんな例え
 が出るのだろうか。
  けれども次いで出たクリスの言葉は、サンダウンの想像を否定するものだった。

 「今の貴族でも、騎士なんて手に入れられないわ。忠誠を誓う召使なんて、もういないのよ。でも、
  それに憧れる貴族はいるんだと思うわ。きっと、ベックフォードも同じ。」
 「…………。」
 「一つだけ聞いても良いかしら?気に障るのなら無視して頂戴。」

  クリスは、彼女達がマッドの事を何も知らないのだという事を証明してみせた。ただし、何らか
 の疑いが残る方法で。

 「貴方達は、一体、何者?ならず者、じゃあないでしょう?」

    まるで、主人と騎士であるという事を、望んででもいるのか。彼女の兄と同じように、騎士がこ
 の世にまだ存在するとでも思っているのか。
  けれども、例え騎士がいたとしても、この世界では主人を守る為に、その質問に頷く事はないだ
 ろう。
  だからサンダウンも、クリスを一瞥して身を離しただけだった。そもそも彼彼女らに騎士を望ま
 れたとしても、サンダウンには守らなくてはならない存在が既にある。だから、期待には答えられ
 ない。
  一瞥して離れてしまえば、クリスの事などどうでも良い存在に成り下がる。それよりも、ずっと
 念頭にいる存在を探してしまう。結局朝食の場に現れなかったが、一体何処に行ってしまったのだ
 ろう。
  確かにこの場所は荒野のように無秩序な暴力に曝されていないのかもしれないが、もっと陰湿な
 危害が実っている。それが、勝手に実っては弾けるのなら良い。サンダウンは見ず知らずの人間の
 虚栄が巻き起こす悲劇を止めるほど、出来た人間ではない。確かに、余力があるのなら止めるかも
 しれない。しかし、それはマッドに危害が加えられないという大前提のもとで、だ。マッドに何か
 危険が迫ると言うのなら、サンダウンはマッドにだけ注力する。
  きょろきょろとマッドをの姿を捜しながら、実はあまり道を良く分かっていない屋敷の中を放浪
 する。荒野にいる時は、いつもマッドが見つけてくれていたのだが。
  そして、果たして今回も、マッドのほうからサンダウンを見つけて近付いてきた。