マッドはサンダウンの手を引きながら、楽しそうに街を歩いている。荒野の田舎町とは格段に違
 う、貴族達が馬車で優雅に行き交う道路は石で舗装され、その両端に歩道まで取りつけられている。
 その歩道に沿うような形で、街灯が並び、様々な店が敷き詰められている。

  ショー・ウィンドの中を覗きこむマッドは、まるで子供のようだ。
  もしも、これがサンダウンではなく、もっと別の、それこそ女でも連れ立っていたなら、こんな
 無邪気に眼を輝かせたりはしないなずだ。落ち着いて、女とゆったりとした会話を楽しんでいるに
 違いない。
  けれども今マッドの傍にいるのはサンダウンで、サンダウンの前ではマッドは完全に幼児退化傾
 向にある。そこまでは言い過ぎかもしれないが、明らかに普段の、賞金稼ぎとしてのマッド・ドッ
 グとは、格段に違う。

 「なあ、キッドー。あれ、何だと思うー?」

  ショー・ウィンドウに貼り付いて、何処となく語尾が伸びたような口調で話すマッドなど、多分、
 誰も見た事がない。




  Common oleander





  サンダウンの前で、マッドは嬉しそうにさっき買ったソーセージを食べている。お腹が空いた、
 と言い始めたマッドに、サンダウンが買い与え、貴族達が行き交う道で食べるのは流石にばつが悪
 いと思い、サルーンの一画にある手ごろな店に入ったのだ。そして非常に残念な事に、このソーセ
 ージが、サンダウンが初めてマッドの為に購入した物品になる。
  本当ならば、サンダウンとしてもちゃんとした物をマッドに贈りたいという思いはある。マッド
 が楽しそうにショー・ウインドウの中を覗いている背後で、サンダウンもしっかりと店の中に並ん
 でいる物をチェックして、マッドに何をあげればいいのかを考えていた。

  マッドが子供だった頃、サンダウンはマッドに何かを与えた事はない。それは何かを与えれば、
 その物品の出所についてマッドの病んだ母親が問い詰める事は眼に見えていたし、何よりも何かを
 与える事で父親殺しの罪を軽くしようと思われる事が嫌だったのだ。
  そして、マッドも何かを求めようとはしなかった。マッドがサンダウンに求めた事と言えば、外
 の世界の話を話す事くらいだった。
  それは、今も変わらない。昔に比べれば乱暴な口調で負けず嫌いになったマッドだったが、相変
 わらずサンダウンに何か物を求める事はない。ぴったりとひっついて、一緒にいる事だけを望んで
 くる。
  その求めを、サンダウンはどう受け止めて良いのか分からない。
  サンダウンだけを求めていると考えて良いのか。マッドは、サンダウンは自分の物なんだと言っ
 たが、それは子供じみた独占欲に過ぎないのだろうか。それとも、そこに何か別の、成長した事に
 よる意図はあるのか。

     だが、うきうきと珍しい物を眺めている屈託ない横顔を眺めていると、そんな事を問い質す事は
 出来ないと思う。
  マッドは、相変わらずサンダウンに子供の頃と同じように甘えてくるし、同衾する事にもなんら
 恥じらいも躊躇いも見せない。どう見ても、サンダウンに対して子供の時以上の欲を示さないマッ
 ドに、性の匂いのする事について聞く事は躊躇われた。
  仮に、マッドに問い質したとして、その瞬間にマッドの表情が凍りついたなら、サンダウンが後
 悔する事は当然であり、そのままマッドが消え去ってしまう事はサンダウンには耐えられない。そ
 んな取り返しのつかない欲望を叶えるくらいなら、口を閉ざしていたほうがましだ。
  ただ、その捌け口として、マッドにささやかな何かを贈り、サンダウンがいなくなった後もサン
 ダウンが傍にいた事を思い出させる事が出来れば良い。
  尤も、今現在それはソーセージで止まっているわけだが。
  ソーセージを美味しそうに食んでいるマッドを見ると、別にこれでも良いか、とも思うが。

 「でも、護衛っつっても何すりゃあ良いんだろうな?」

  ソーセージを口から離して、マッドは小首を傾げる。絶妙の角度で首を傾げるマッドの線は非常
 に艶めかしいが、本人はそれに気付いていないようなので、サンダウンもそれに気付かないふりを
 しつつ――こっそりと、取っておきたいくらい可愛らしい姿を眺めながら――ゆっくりと首を横に
 振る。

 「さあな……。」
 「ずっと傍に付き従ってるわけにもいかねぇだろうし。どうせ邪魔物扱いされるだけだからなぁ。」

  良く考えればめんどくさい仕事だよな、と基本は獲物を追い掛けて追い詰める賞金稼ぎは、ある
 とも知れない襲撃を黙って待ち続けるのはお気に召さないらしい。

 「……嫌なら、お前だけでも帰るか?」

  仕事を正式に――と言うには些か不穏当であったが――依頼されたのはサンダウンであってマッ
 ドではない。マッドがサンダウンに付き合って、成金貴族に引き摺られる事はないのだ。
  しかし、途端にマッドが膨れた。

 「今更何言ってやがる。俺に自腹でホテルに泊まって、てめぇの帰りを待てってのか。」

  ぷっくりと膨れ上がったマッドは、ついでに唇も尖らせて、完全に拗ねたような表情を作る。子
 供じみたその表情は、サンダウンには効果大だった。 

 「いや……お前が良いと言うのならのなら、別に帰る必要はない。」

  サンダウンとて、マッドと離れる時間が少ないに越した事はない。近くにいたほうが、サンダウ
 ンが守れるという事もある。そう、マッドがどれだけ嫌がろうが、サンダウンはこの仕事の間――
 だけに限らないが――マッドに傷一つ付けるつもりはなかった。
  そういう意味でも、部屋が一緒である事は良かったのだ。

  しかし、そのサンダウンの決意に、微かに影を負わせるような声が聞こえた。その声の何に警戒
 したのかは、サンダウンにも分からない。ただ、何か不穏なものを感じたのだ。

 「あら、貴方達………。」

  女の声が、すぐ傍でした。マッドがそちらに眼線を上げ、サンダウンもそちらへと首を捻る。
  そこにいたのは、ブルネットの髪を長く垂らした女だ。顔は秀麗で、物腰も上品さが漂っており、
 口調も、訛りを矯正した跡が残っている。微かに、マッドと同じような色を感じたが、マッドとは
 何かが違っている。

 「先程は、どうも……。」

  冷たいとさえ思える口調で言い放たれた女の言葉に、サンダウンはようやく女が、貴族の屋敷の
 ホールで、ならず者達に余計な事を言って、マッドに間に割り込んで貰っていた女であると気が付
 いた。

 「貴方達も、エリオの護衛になったのね。まあ、あの中では貴方達くらいしか、そんな事が出来る
  人はいなかったのでしょうけれど。」
 「って事は、あんたもあのピアノ弾きの護衛か。」

  女の言葉を聞き咎めたマッドが問うと、女は頷いた。

 「ええ。エリオ……エリオ・ブルーナの護衛になったわ。本当は見回りが良かったのだけれど。」
 「なるほど、ね……。」

  頷いたマッドの声に、一瞬冷ややかにも聞こえる響きが灯った。サンダウンは一瞬ちらりとマッ
 ドを見たが、マッドはそれ以上の冷ややかさを見せず、女もその事に気付かなかったようだった。
 サンダウンが、マッドの見せた冷ややかさを理解できない間に、マッドは何事もなかったように女
 に聞く。

 「で、あんたの名前は?」
 「……クリスよ。」
 「ふぅん。聞きてぇんだが、その、エリオって奴は何者だ?俺達は生憎と、そういうのに疎くてね。」

  嘘を吐け、と言いたくなるような台詞を、マッドは平気で吐く。マッドの事だから、もしかした
 ら――マッドの家柄からの情報か、或いは賞金稼ぎとしての情報かはともかく――名前くらいは知
 っているかもしれないのに。

 「エリオ・ブルーノは、此処数年で音楽会に台頭してきた若手のピアニストよ。十三歳で作曲活動
  を始めた天才。これまでに作り上げた曲は数百とも言われているわ……。ただ、最近は新しい曲
  を発表していないようだったから……今回の新曲の発表は、彼にとっても、彼の後見人であるべ
  ックフォードにとっても、特別な思い入れがあるみたいね。」
 「へぇ……そういう事か。」

  微かに浮かんだマッドの笑み。それは、何かを探り当てた猟犬の眼をしていた。が、それはやは
 り一瞬で消えてしまう。

 「大体分かったぜ。ベックフォードがどうしてならず者達まで駆り出して、エリオってピアニスト
  を守ろうとするのか。」
 「ええ……今回のエリオの新曲には、ベックフォード財閥の威信がかかっている……だから、必死
  なのね。」
 「そういう事みてぇだな。」

  女に相槌を打つマッドの眼は、女を冷ややかに見つめている。
  それは、女自身に、何かの意味があるかのような眼だった。