「どう思う?」

  通された部屋のベッドに腰掛けて、マッドが首を傾げて問うた。
  貴族の護衛を言い渡され、貴族が用意した屋敷の一室で寝泊まりする事を許されたサンダウンと
 マッド。その部屋はやはり貴族の部屋らしく、金が掛かっている事は明白だった。
  一室、と言ってもリビングから寝室、そして風呂までが、それぞれ安宿の一室並の広さで備え付
 けられているのだ。リビングにはロココ調の椅子とテーブルが幾つも置いてあり、ソファも細かい
 刺繍の織物が張られ、その上には同じ模様のクッションが幾つも置いてある。壁は良く磨かれた木
 目が下半分を覆い、上半分と天井は白い漆喰だ。その漆喰にはギリシャ彫刻を思わせる模様が彫り
 込まれている。そして壁に嵌めこまれている鏡は周囲を金の細工で取り囲まれ、鏡の前には赤いビ
 ロードの椅子が置いてある。
  寝室には何の冗談か、大人4人がゆうに並んで寝転がる事の出来るベッドが添え付けられてあり、
 そのベッドの四隅からは金属の棒が伸びて、金と青の細工の付いた天蓋を支えていた。天蓋からは、
 分厚い鈍い緑と金の色をした編み物と、薄く白いシルクの両方が垂れ下がっている。
  窓の枠にさえ繊細な細工のついた部屋は、何か一つに触れるにも壊したり、くっきりと指紋が付
 きそうで、動く事が憚られた。
  そんな部屋にある、件の天蓋付きベッドに何の躊躇いもなく腰かけたマッドは、小首を傾げてサ
 ンダウンを見上げている。
 
  サンダウンとしては、何故マッドと同室になったのかを問い掛けたい。
  確かに、これまでもずっと宿では同室だったし、同じベッドで眠る事もある。けれどもそれはマ
 ッドがサンダウンに甘えるからだ。子供の頃にサンダウンに甘えていたマッドは、その癖が抜けな
 いのか今でもサンダウンにぺったりとひっつく。
  サンダウンとて、マッドに懐かれる事は嫌ではない。サンダウンも、出来る限りマッドの傍には
 いたいというのが本音だ。
  しかし、その本音よりも更に声高く主張するのが、甘い香りを漂わせるマッドの項に顔を埋めて
 しまいたいという欲求だ。マッドは、サンダウンが好きなだけ抱き締めて甘やかしていた子供では
 ない。抱き締めれば身体の線が熱となり匂いとなり伝わってくる、大人だ。

  きっと、マッドがサンダウンの中で取るに足らない存在であったなら、さっさと抱いてしまった
 だろう。いや、それどころか撃ち殺していたかもしれない。
  それをしないのは、サンダウンにとってマッドの存在が大き過ぎるからだ。放っておく事は出来
 ないほど、手を触れる事に背徳感を覚えるほど、大切だ。
  マッドを抱き締めるのは、単にマッドがそれを許しているからだ。でなければ、サンダウンはそ
 の身体に指一本触れる事はできない。

 「キッド?」

  ベッドに腰を下ろしたマッドは、反応のないサンダウンに、ますます首を傾げていく。人前では
 決して見る事の出来ない子供っぽいマッドの姿に、そのまま抱き締めてやりたくなった。が、それ
 を堪えてサンダウンは、何がだ、とマッドの問い掛けに疑問で返した。
  すると、マッドが少し口を尖らせて拗ねたような表情を浮かべた。それが口付けを強請っている
 ようにも見えて、サンダウンは眼線に困る。

 「何がって、この依頼についてだよ。新しい曲を発表する為だけに護衛を頼むなんて、大袈裟すぎ
  る。」

  確かにそうだ。
  普通の感覚でいえば、マッドの発言は正しい。けれども相手は貴族だ。何を考えているのかサン
 ダウンになど分からない。むしろ、マッドのほうが良く分かるだろうに。
  だが、その台詞をサンダウンは吐かなかった。

 「どうだろうな……。貴族達との繋がりを持ちたいという人間なら、何としてでも邪魔者を排除す
  るだろう。」
 「だからって、ならず者まで集めるか?そんなにそのご友人とやらが心配なのかね。」

  ふん、と鼻先で笑うマッドに、サンダウンはあの後紹介された『友人』を思い出す。
  依頼主の貴族は、黒髪を長く伸ばした端正で堂々とした男だった。だが、それに対して音楽家だ
 という友人は、神経質そうな、色味の薄い金髪でそばかすだらけのひょろりとした青年だった。爪
 を噛みながらサンダウンとマッドを胡散臭げに見る青年の指は、爪を噛み過ぎた所為か、確かに繊
 細ではあったが、サンダウンには美しくは見えなかった。
  それは、マッドの指を見慣れてしまった所為かもしれないが。

 「ちょっとばかり胡散臭いな、あいつら。確かに依頼人は名のある財閥なんだけどよ。」
 「……そういえば、お前は知ってるようだったな。」

  一目見て男の名を言い当てたマッドに、サンダウンが出来るだけ何の含みも持たない口調で告げ
 ると、マッドは特に気にした様子もなく、当たり前だろ、と首を竦めた。

 「ベックフォードと言えば、西部でも有名な財閥だぜ?ゴールド・ラッシュで一山当てた後、その
  金を使って鉄道建設に従事して、財閥の仲間入りを果たしたんだ。俺じゃなくても知ってるさ。」
 「……その財閥が、音楽祭、か。」
 「ま、結局は成金だからな。そうやって美術関係に手を出して、貴族としての箔を付けたいんだろ
  うよ。大方、音楽家のパトロンでも気取ってるんだろうな。」

  そういう事なのかもしれねぇな、とマッドは不意に納得したように頷いた。

 「音楽家のパトロンとして良いとこ見せたいんだろう。音楽祭を成功させて、自分が資金を出して
  る音楽家を一流にして、自分はこんな一流の音楽家を囲ってるんだって言いてぇのかもな。」
 「……それで、ならず者達にまで護衛を頼んだ、か。」
 「それが今のところは一番妥当な考えじゃねぇ?」

  ベッドに手を突いて、だらしなく身を伸ばしたマッドは、それでも十分に上品だ。
  マッドが口にする成金には、決して出せない空気と言うものがマッドにはある。それはマッドの
 血に色濃く受け継がれている貴族の血であるのかもしれない。サンダウンはマッドの家系図を知ら
 ないが、けれども時折マッドが浮かべる表情から、マッドの家系が成金ではない事は確かに理解し
 ていた。

 「それよりも、あんたさっさと着替えろよ。やっぱり服は向こうが準備してるみてぇなんだから。」

    で、さっさと街を見物しようぜ、と傲慢だが憎めない声音で命じられ、サンダウンはそれに従う
 しかない。
  マッドが言った通り、依頼主であるベックフォードはならず者達の分の衣服を準備していた。そ
 れは、おそらく自らの威厳を保つため、雇った人間達に小汚い格好でうろつき回って欲しくなかっ
 たのだろう。 
  雇われている間は必ず自分の用意した服を着るようにと厳命されたサンダウンは、けれどもその
 他のならず者達よりも、厳命の数は少なかったに違いない。他のならず者達は、おそらく食事につ
 いてまでも厳しく指示されたに違いないのだ。
  そして、完全に自由気ままなマッドは、私服から着替える様子はない。何の厳命もなかったマッ
 ドに、サンダウンは一瞬、ベックフォードがマッドの出自を知っているのではないのかと疑った。
 だが、マッドの話を聞けば、ベックフォードが貴族の仲間入りをしたのはつい最近――少なくとも
 マッドの家が分断された後の事で、マッドの事を知っている可能性は低いだろう。それならば、や
 はりマッドの身なりの所為か。

    ちらりとマッドを見れば、マッドは早くしろよ、とサンダウンを急かしている。子供のようなマ
 ッドの服装は、いつ見ても趣味も仕立ても良い。身なりが良くないと気が済まないのかもしれない。
 それは、やはりマッドの出自によるのだろうか。
  対する自分はと言えば、薄汚れたポンチョ姿だ。果たして、これでマッドの傍に居ても良いもの
 なのか。サンダウンはマッドを守る為にマッドの傍にいる。しかし、マッドが嫌だと言えば、すぐ
 にでも身を翻す。

 「おい、キッド。早く着替えろよ。俺は街を見て回りてぇんだぞ。」
 「先に、行け……。」

  早く早くと急かすマッドに、少しだけ気落ちしたままの声でそう言えば、マッドが見る間に膨れ
 た。

   「俺に一人で行けってのかよ。せっかく俺が一緒に行こうって誘ってるのに。この前だって、結局
  全然………。」

  ぷっくりとしていた頬が、徐々に萎んでいく。
  この前、と言うのは、マッドの、自称友人である斜陽貴族に絡まれた時の事か。それを思い出し
 てサンダウンは、はっとする。マッドは先程までの膨れた頬は見る影もなく、しょんぼりとしてし
 まっている。マッドの中にはあの時の事が自分の所為だという思いが、何処かで残っているのかも
 しれない。
  しゅん、と肩を落としたマッドに、サンダウンは慌てて着替え始める。

 「少し、待て………。」

  いそいそと着替え始めたサンダウンに、マッドの下がっていた肩が徐々に上がり始める。
  萎れていた花が息を吹き返すようなマッドの姿に、やはり自分はマッドに甘いかもしれない、と
 サンダウンは思う。 

  だが、こればかりは仕方がない。
  例え、意味合いは全く違うものであるとしても、マッドに求められてサンダウンに拒めるはずが
 ないのだ。