辿り着いた場所には、西部の荒野のど真ん中で見る事はあまりない豪勢な屋敷が立っていた。周
 囲の屋敷もそれなりに大きいのだが、この家はその中でも抜きん出て大きい。門をくぐるならず者
 達も、一様にその屋敷を見上げて息を飲んでいるようだった。

  サンダウンはと言えば、かつて南部で見た、白塗りの壁に炎の痕が黒く残る屋敷の事を思い出し
 ていた。
  黒髪黒眼の小さな少年を、その中の一室に閉じ込めていた屋敷。あの屋敷が今頃どうなっている
 のかサンダウンには知る由もないし、マッドも知らないだろう。幼い頃に置き去りにした、ピアノ
 の音だけが悲しく鳴り響く家の事など、もしかしたら思い出したくもないのかもしれない。

  明らかにならず者達がその門をくぐるには豪奢すぎる屋敷の前で、マッドだけは息を飲む事もせ
 ず、そこだけ切り取ったかのように屋敷の佇まいと一致していた。




  Bear's breeches






 「こんなとこにならず者を集めるなんて、良い趣味してやがるよな。」

  頭上にシャンデリアを頂くエントランスホールにて、回りをならず者達に囲まれながら、マッド
 は皮肉っぽく言った。それはならず者とこの場所がそぐわない事を言っているのか、それとも例え
 豪奢と雖も結局は玄関で待たされている事を言っているのか、サンダウンには分かりかねた。
  こうした場所にいる時のマッドの心境は、サンダウンには分からない。貴族の血を引きながらも
 西部の頂点に君臨するマッドは、一体どちらの心情をより多く汲み取るのか。
  幼い頃のマッドよりも、今のマッドはずっと感情の渦が深く、そしてその心底は図りかねる。
  皮肉げな笑みを浮かべたきりのマッドの横顔を、サンダウンはちらりと眺めやり、そしてそこか
 ら何も読み取れなかった事に気付くと、すぐに視線を逸らした。マッドの心をサンダウンが読む必
 要はない。肝心なのは、マッドが幸せであるかどうかだ。不運と不幸の兆しさえ見えていれば、そ
 してそれを取り除いてさえやれば良いのだ。
  そう言い聞かせて、サンダウンは周囲にいるならず者共に注意を向ける。
  そこに集められたのは、どう考えても烏合の衆と言っても差し支えないような連中ばかりだった。
 名の知れた賞金稼ぎは、サンダウンの眼から見ても見当たらない。きっと、マッドならもっと彼ら
 の属性を見抜いているだろう。
  彼ら一人一人は、脅威にはならない。
  銃を身に付けてはいるものの、その精度はサンダウンの足元にもマッドの足元にも及ばない。本
 当に、頭数を合わせただけの連中だ。烏合の衆という言葉は、強ち間違ってはいない。
  だが、それでも、仮に烏合の衆であっても何か一つの欲望の対象を見つければ、一斉にそれに向
 かって動くかもしれない。むろん、それは奪い合いという混乱を生み出す可能性もあるが、しかし
 その混乱前の、一塊となった状況は、注意すべき点だ。
  欲望が、貴族の財産に向かうのは、別に構わない。サンダウンは雇われた――半ば脅されて――
 だけの人間だ。一度逢っただけの貴族の財産など、どうなろうと知った事ではない。
  しかし、欲望が、マッドに向かうとなれば話は別だ。サンダウンには、マッドを守る責務がある。
 マッドが聞けば嫌がるかもしれないが、これだけは譲れない。マッドの父親を殺し、母親を狂乱さ
 せる原因となった事を除いたとしても、サンダウンはマッドだけは何が何でも守ってやりたかった。
  だから、マッドが賞金稼ぎである以上それは不可能な事とはいえ、マッドには出来る限り安全な
 所にいて欲しかった。

  だが、マッド・ドッグという人間は、何故か好んで厄介事に首を突っ込みたがる傾向にある。こ
 と、女が絡む場合については、特に。
  ならず者の一団の中から、卑下た笑い声が湧き起こった時、それを打ち払うように冷ややかな女
 の声がしたのだ。

   「あら、貴方達に、貴族に取り入るだけのおつむがあるようには見えないけれど?」

  滑らかな、訛りの少ない声音だった。
  しかし、それに感嘆するよりも、その言葉の内容が内容だった。
  明らかに男達を小馬鹿にした台詞に、もともと気性の荒い西部のならず者達が黙っていられるは
 ずがない。気の強い女を好むのが西部の男だが、しかし同時に女に馬鹿にされて許せる事ができな
 い小物も多数いる事も現実だった。

 「てめぇ、女の分際で言わせておけば!」

  怒声と共に、はっきりと聞こえたのは銃のホルスターが外れる音だ。その音にサンダウンが顔を
 顰めた時には、隣にいたはずのマッドはいつのまにやらその一団のもとに向かっていた。サンダウ
 ンが止める暇もない。素早い身のこなしで男達の間に割り込むと、銃に手を掛けて女に食ってかか
 ろうとしていた男に繊細な手を翳す。

 「止めねぇか、みっともねぇな。女一人にむきになるんじゃねぇよ。」
 「なんだ、てめぇは!」
 「誰だって良いだろうが。それよりもこんな貴族様の家の中で騒ぎを起こしたとなれば、あっと言
  う間に叩き出されるぜ。そんで、せっかくの報酬もぱぁだな。」

  あくまで穏やかな声音で告げるマッドに、しかし男は怯まなかった。もしかしたら、マッドの立
 ち姿だけを見て、自分の技量でどうにかできる相手と思いこんでいるのかもしれねぇ。

 「うるせぇ!てめぇはひっこんでろ!それともてめぇも蜂の巣にされてぇか!」
 「ああ、ぴぃぴぃうるせぇなぁ。そんな声出すと、貴族様に聞こえるぜ?」

  怯まない男に、マッドはせせら笑った。すると、マッドの言葉を肯定するかのように、エントラ
 ンスの扉が大きく開いて、貴族の若者が現れた。それは、サンダウンに依頼を掛けた男だ。

 「何事かな?」

    ホールを見渡せる階段上からならず者達を見下ろし、彼は騒ぎの中心――女と、マッドと、マッ
 ドに食ってかかるならず者を――を見つけ出す。貴族に見下ろされたならず者達は、視線を泳がせ
 た。だが、それを逃すはずもない。貴族の若者は顎をしゃくって、両隣りにいた護衛らしき人物に
 合図を送る。すると、護衛達は素早く動いて、喚いていたならず者の両腕を掴んだ。

 「悪いが、君には出ていって貰おう。」

  冷ややかな貴族の言葉に、男は眼を剥いた。

 「んだとぉ!悪いのは俺じゃねぇ!あの女が!」
 「言い訳は無用だ。此処では私の意見に従って貰う。従えない者は即時解雇させてもらう。」

  貴族特有の傲慢な口調でそう告げると、喚き立てる男にはもはや足元にいる蟻ほどへの興味もみ
 せず、成り行きを見守っていた他の連中を見渡す。

 「さて、先程も言ったように、今からは私の指示に従って貰う。従えない者は出ていって貰って結
  構だ。」

  きっぱりと再度言い放った彼は、一番最初の指示を出す。

 「これから君達に仕事を与える。担当ごとに分かれて仕事の内容を伝えるので、召使たちの指示に
  従って部屋に入ってくれたまえ。」

  言うなり、何処からともなく上品な服に身を包んだ召使達が現れ、ならず者達を捌いていく。烏
 合の衆であるならず者達は次々に各部屋に押し込められていく。
  そして、最後まで取り残されたサンダウンとマッドは、エントランスホールの階段を下りてくる
 貴族の姿を眺めやる事になった。
  笑みを湛えて近付く貴族に不可解なものを感じたサンダウンは、咄嗟にマッドを庇おうとする。
 そんなサンダウンに笑みを一層深くした男は、澱みない口調で言った。

 「来ていただけたとは光栄ですよ。それとも、私の言葉はそれほどまでに貴方には重かったのかな?」
 「…………。」

  男が口にする言葉が何を指し示しているのか理解したサンダウンは、顔を顰めた。そしてマッド
 にも男が何を言っているのか分かったのだろう。

 「御託は良いんだ。それよりも、貿易商として一財を気付いたエイブラハム・ベックフォードとあ
  ろう者がならず者を集めて何をするつもりだ?」

  マッドの声は、冷ややかだった。けれどその冷ややかさを無視して、エイブラハムと呼ばれた貴
 族は笑みを隠さずに握手すら求めようとする。

 「君にもお会いしたかったのですよ。賞金稼ぎマッド・ドッグがどういう人なのか、興味がありま
  してね。」

  しかし、その友好の態度は、マッドに黙殺された。それを気にした様子も見せず、エイブラハム
 は話し続ける。

 「私から貴方がたへの依頼は、最初に言った通りです。貴方がたには、我が友を守って頂きたい。」

  懐からパイプを取り出すと、彼はそれをゆったりとした手つきで口元に運びながら続けた。

 「今年、この街では大きな音楽祭が催されます。内外から大勢の音楽家を迎え入れ、そしてその技
  術を競い合う。ピアノ、ヴァイオリン、オーケストラ、様々な部門に分かれ、その部門で認めら
  れれば幾多の社交界からお声が掛かるでしょう。ですから、参加する者にとっては非常に重要な
  意味を持つのです。」
 「つまり、その『社交界からのお声』を狙う競争が激しいってわけか。」

  マッドの声は相変わらず冷ややかだった。その冷ややかさは、或いは自分もその渦中にいたかも
 しれない事への嘲笑だろうか。

 「で、その競争が、下手したら直接的な実害に及ぶかもしれねぇから、ならず者共にまで手を借り
  るってわけか。」
 「ええ、それもあります。しかしそれだけではないのです。我が友は、その日、新たな曲を発表す
  るのですよ。」

  今まで誰にも聞かせた事のない、本当に未知の曲です。

 「それは、今回の音楽祭の目玉にもなっています。きっと、このまま行けば彼が全ての話題を攫っ
  ていくでしょう。けれども、それを快く思わない者は、大勢いる。」

  だから。

 「守って頂きたいのです。我が、友を。」