レオーネは、断罪者としての勝ち誇った表情を浮かべ、エリオを見た。エリオは、唐突に暴かれ
 た真実に口を開閉させ、そこから蛇の威嚇音のような吐息を零すだけだった。そばかすだらけの顔
 は蒼褪め、まるで毒キノコのようだ。
  幼馴染達の間にあった陰謀とも言える秘密を知らされたクリス――愚かな財閥令嬢クリスティー
 ンは、指を組んで縋るような眼差しで呆然としているだけだった。
  歪な三角形の様子は、一見すれば何かの絵画の題材になりそうではあった。
  だが、サンダウンはそんな三人を美しいとは思わなかったし、それに今現在の彼らの告発が、現
 状の打破に役立つとは思わなかった。
  しかし、それを口にせず、立ち去りもしなかったのは、三人の告発を促したマッドが、一向にそ
 の場を立ち去ろうとしなかったからだ。
  何を考えている。
  サンダウンは、マッドの顔を覗きこんだ。
  けれども、マッドの表情は薄く、そこからはどんな感情も読み取れなかった。




  Windflower






  エリオは曲を作った事なんかない、と言い放ったレオーネは、きっとエリオを睨みつけている。
 そんなレオーネに対して口を開いたのは、糾弾されたエリオではなく、呆然としていたクリスだっ
 た。

 「レオーネ、それは本当なの?もしも嘘ならば、貴方は虚偽を告げエリオの名誉を傷つけたとして、
  屋敷を追い出されるわ。」

  レオーネの言葉が嘘であると願っているのか、それともそうでない事を願っているのか。
  クリスの口調には、そのどちらを望んでいるのかは分からなかった。
  ただ、レオーネはクリスの問い掛けに対して、傷ついた様子も見せず、ただただ淡々と真実を告
 げる。

 「ええ、本当の事ですよ、お嬢様。エリオは、確かにピアノを弾く事にかけては天才的だった。そ
  れは俺も、俺の母親も認めるところ。けれども。」

  歪に吊り上ったレオーネの唇。
  それは、虐げられてきた者が、初めて誰かを虐げる事を覚えた快感の表情だった。

 「エリオは弾く事は出来ても、新しい音楽を生み出す事は出来なかった。既存の曲を、人形のよう
  に弾きこなす事しかできなかったんですよ。」
 「う、うるさい!お前なんか、それすら出来なかったじゃないか!」

  海底のように陰鬱な曲、花のように優雅な曲、鳥のように軽快な曲、稲妻のように荘厳な曲。
  それら全て弾きこなせなかった、とエリオはようやくになって反論した。
  が、レオーネは歪な表情を崩さない。

 「そうだ。俺には出来なかった。だが、俺はお前と違って新しい曲を作る事ができた。母さんのよ
  うにな。」

  レオーネの母、ミネルバ。彼ら三人にピアノを教えた女。
  彼女は新しい曲を作れないエリオに、自分の曲を提供したのだ。花開いた教え子の為に、幾つも
 の音楽を作り続けた。
  しかし、それらは全て、ミネルバの名前ではなく、エリオの名前で世に出たのだ。
  それは、息子であるレオーネの代になっても変わらない。レオーネの作り上げた曲は、全てエリ
 オの名前で世に出たのだ。ミネルバ、レオーネ親子の名前は、闇に取り残されたまま。
  それが、天才と呼ばれ、ベックフォードに才を見出されたピアニスト、エリオの中身。

 「この男は、俺達を馬鹿にしながら、俺達がいないと何も出来ないピアニストなんですよ。」
 「黙れ!黙れ黙れ黙れッ!どうせお前達がピアノを弾いたって、結局は人並みにしか弾けないんだ!
  どれだけ良い曲を作れたって、お前達が弾いても観客は何も思わない!だったら、!」

  この僕が!
  エリオは自分の胸に手を置いて、怒鳴る。
  天才である、この僕が、と。

    「僕が弾いてやったほうが良いに決まってるッ!」

  声は、幼稚染みていた。

 「レオーネ!お前、お前達親子は、僕にもっと感謝するべきなんだッ!お前達の曲を弾いてやって
  るんだからな!ただの召使にすぎないお前達の、紙切れを世に広めてやってるんだッ!」

  何も生み出せない不毛のピアニストは、歪な顔をした作曲家を怒鳴りつける。
  どちらも、醜い事に、変わりはなかった。
  その醜い幼馴染達に向かって、愚かな令嬢は、割って入る。

 「待って!待って頂戴!それなら、お兄様は?お兄様はこの事を知っていたの?」

  エリオを召し上げたエイブラハム・ベックフォードは。ベックフォード家の当主であり、レオー
 ネ達が仕えるべきエイブラハムは。

 「あー、知ってると思うぜ。」

  醜く愚かしい会話に、面倒臭そうにマッドが答えた。

 「知らないわけがねぇだろう。当主であるどころか、エリオのパトロンなんだろ。むしろ、それを
  推奨すらしてたんじゃねぇか?」
 「な、お兄様が、そんな事……!」
 「いいえ、残念ながら、そこのお客人の言う通りですよ。」

  マッドの言葉に、咄嗟に否定の言葉を吐こうとしたクリスを止めたのは、長らくベックフォード
 にさえ、仕える主にさえ虐げられてきたレオーネだった。

 「エイブラハム様は、俺達親子がエリオの代わりに曲を作る事を命じてきました。俺の母親が、一
  度エリオの為に曲を作った時に、味を占めたのでしょう。それから、ずっと、俺達はエリオの為
  に曲を作るように命じられてきた。」

     そうやって、ベックフォードは貴族達の社交界で、音楽の名前を借りて大きな顔をしてきたのだ。
 貴族とはそういうものだ。
  しかし、レオーネは、それを、今、糾弾している。
  その糾弾に、けれどもサンダウンは違和感を覚えた。レオーネが糾弾する内容・心境についてで
 はない。レオーネの母親についてだ。
  レオーネの母親ミネルバは、少なくともベックフォードに忠誠を誓っているように見えた。忠誠
 とまではいかなくとも従順だった。従順に、エリオにも曲を渡し続けていたが、彼女は反発する息
 子に、何か言わなかったのだろうか。

 「そんな、何故、抗議しなかったの!」

  サンダウンが親子間の違和感を感じている間に、クリスは悲鳴のような声でレオーネに問い質す。
 だが、それに対するレオーネの言葉は、クリスを小馬鹿にしたようなものだった。

 「抗議できると思っているのですか、お嬢様。一介の召使に過ぎない我々が、当主に向かって。そ
  れで職を失えば、生きていくにも事欠くかもしれないのに。」

  新しい職を探そうにも、もしもベックフォードが裏で手を回せば、忽ちのうちに働き口は全て潰
 されるだろう。

 「それとも、我々に、ならず者として生きていけ、とでも?」

  それは無理だ。
  そんな事は、誰の目から見ても明らかだ。いくら体格に勝っていてもレオーネは庶民に過ぎず、
 まして母親を連れたまま荒野に下る事はできないだろう。

 「お嬢様、俺達に残された道なんて、一つしかなかったんですよ。」

  だから、ミネルバも、ベックフォードに従順だったのか。

 「だったら、お前達は今まで通り、大人しく僕に曲を渡していれば良いんだッ!此処から出て行け
  ば生きていけないんだから、だったらせいぜい、僕の為に曲を書き続けていれば良いんだッ!」

  新曲は何処かに奪われてしまった。だったら、その代わりとなる曲を早く差し出せ、とエリオは
 叫ぶ。
  それについて、クリスが批判の声を上げる前に、エリオはくるりと背を向け、痩せた肩を怒らせ
 て整えられた庭を踏み躙りながら横切っていく。後には、庭にまで流れ出してきた紙切れが泥に塗
 れるだけだ。
  その紙切れを一枚拾いあげて、レオーネは誰の顔も見ずに告げる。

 「言っておきますが、三日後の音楽祭でエリオが発表する曲を盗んだのは俺じゃありませんよ。」
 「知ってるさ。あんたが盗む素振りを見せた事はなかったからな。」

  もう一度、マッドはレオーネに彼を張っていた事を暗に告げる。それに対して、レオーネは何も
 言わず、淡々と告げる。

 「それに、エリオは新しい曲を、なんて言っていたけれど、それは無理だ。今度の新曲は俺が書い
  たものじゃなくて、俺の母親の書いたものだ。母さんの代わりを俺の曲が務めるなんて事はでき
  ない。」
 「何故?どうせ誰も聞いた事はねぇんだろ?」
 「道義的な問題だ。俺は母さんの代わりは務まらない。それに、母さんにしたって、今から新しい
  曲なんて作れるはずもない。」

  どうなるんだろうな、と告げるレオーネの声には、けれども悲嘆さは何処にもなかった。むしろ、
 エリオの醜態を心待ちにする残酷さを孕んでいた。
  庭に流れ込んだ楽譜を全て拾い上げ小脇に抱えると、レオーネは軽く一礼し、彼もまた庭を横切
 って去っていく。
  後に残された、護衛という名目の三人は、楽譜が押し込められ、今はそれらが散乱する小屋の前
 で立ち尽くしていた。

 「………どうすれば、良いのかしら。」

  ぽつりと言葉を零したのはクリスだ。兄の所業を聞かされた令嬢は、縋るようにサンダウンを見
 る。
  が、サンダウンにはそれを受け止めてやるつもりはない。それよりも、破綻したこの屋敷に、こ
 れ以上留まる必要はないのではないかと考えている。それらは全て、マッドを思っての感情だ。
  そっと見下ろしたマッドの表情は相変わらず薄く、何を考えているのかは分からない。
  誰からの返答も望めなかったクリスは、やがて意を決したように、お兄様に会ってくるわ、と呟
 いて、彼女もまた庭を去っていく。 
  二人っきりになったサンダウンとマッドは、しかしマッドが口を開かないので沈黙状態が続いて
 いる。
  どうするのだ、とサンダウンはマッドを見下ろし続ける。もしもマッドが、このままこの破綻状
 態の屋敷から逃げ出すと言ったなら、サンダウンはマッドを連れて逃げ去るだろう。この屋敷の中
 は、サンダウンにとって、決してマッドを一秒でも長く置いておきたい場所ではなかった。

 「でも、結局は何も解決してねぇよな。」

  ようやく口を開いたマッドは、再び硬く閉じた離れの扉を見て、呟いた。

 「誰が楽譜を盗んだのかも分からねぇままだし。それに、もう一つ。」

  マッドの黒い眼が、サンダウンを振り仰いだ。その眼には、何故か憂いが濃い。

 「俺が、聞き覚えのあるあの曲は、なんなんだろうな?」

  エリオが弾く曲は全て、ミネルバとレオーネの作ったものだ。そして、その曲の中に、マッドが
 幼い頃に聞いた事のある曲が混ざっているという。
  その、意味は。

 「多分、それに噛んでるのは、年齢的に考えてレオーネじゃなくてミネルバだ。だとしたら。」

  もしかしたら、ミネルバは俺を知っているかもしれない。
  マッドの言葉は、サンダウンを緊張させるには十分だった。