ゆっくりとした足取りで宿に戻ろうとしていたサンダウンの前に、縁も所縁もない豪勢な馬車が
 止まった。うらぶれた街角には似つかわしくないその馬車の横を、サンダウンは一瞥すらせずに通
 り過ぎた。




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 「お待ちを。」

  自らの身分の高さに興味を示さなかった事に焦ったのか、馬車の中から上品な男の声が投げかけ
 られた。微かな南部訛りのある口調は、今頃宿でサンダウンの帰りを待っているであろう賞金稼ぎ
 を思わせたが、生憎と声それ自体は全く違う。
  なんとなく、せせこましい感じのする男の声を合図として、馬車の窓がそっと開けられる。そこ
 から覗く顔は、まだ若いものだった。

 「サンダウン・キッド氏、ご本人で、間違いありませんね?」

  賞金首に、わざわざ丁寧な言葉遣いをする男に、サンダウンはその胡散臭さに顔を顰めた。賞金
 首に今にも腰を折りそうな口調は、明らかにこちら側に何らかの求めを持っている事は明白であり、
 しかも賞金首への頼み事となれば、どう考えても非合法であると考えるべきだ。
  そんなサンダウンの考えを裏付けるように、男は続けて言う。

 「実は、貴兄に折り入って頼みたい事がございまして。」
 「断る。」

  サンダウンの言葉は、氷のように冷たく、短く簡潔だった。

 「私に頼むよりも、もっと別の適した人間がいるだろう。そちらに頼め。」

  金さえ貰えば、どんな非合法な事にでも手を染める、無法者達は幸いにして此処荒野には大勢い
 る。彼らに払う金がないわけでもないだろう。
  そう言って、再び通り過ぎようとしたサンダウンに、男は首を横に振る。

 「勿論、彼らには既に依頼をしておりますよ。しかしそれだけでは心もとない、それ故に、貴兄に
  も依頼してるのですよ。」

  ねぇ、というねっとりとした声は、先程までの上品な声音をひっくり返すほどの不快さを伴って
 いた。

 「かつて名保安官だった貴兄がいれば、こちらも安心するというもの。」
 「生憎と、もう保安官は引退した。」

  だから頼みに応じるつもりはない。
  いっそ、舌打ちしてしまいそうなくらい不機嫌な声で言い放つサンダウンに、けれども男は金持
 ち特有の傲慢な表情を口調で、わざとらしく囁く。

 「おや?本当に?」

  含みを持った男の声にサンダウンが青い双眸を向けると、男は我が意を得たりと言わんばかりに
 厭らしい笑みを浮かべた。

 「貴兄のお連れの方が、どうなっても宜しいと?」
 「……………。」

  わざとらしく名前を口にしない男が、誰の事を告げているのかは明白だった。サンダウンと共に
 いる賞金稼ぎを指して、サンダウンが依頼を受けねば彼の安全は保障しないと告げているのだ。 
  それは、どう考えても脅しとしては不適切で間違いだらけだった。あの賞金稼ぎを傷つける事の
 できる人間は、この荒野においてサンダウンを置いて他になく、そしてそのサンダウンは、実質、
 彼の保護者のようなものだった。
  だが、そんな事は分かっていると言わんばかりに、男は薄ら笑いを隠さない。

    「賞金稼ぎマッド・ドッグが、例えその賞金が自ら懸けたものであるとはいえ賞金首と親しくして
  いるというのは、些か危険なのでは。特に、彼の名声には。」

  賞金稼ぎとしてのマッドの地位が危うくなるのではないかと、男は言っているのだ。
  マッドは、名実ともに西部一の賞金稼ぎだ。あらゆる賞金稼ぎの頂点に君臨し、ならず者と紙一
 重の賞金稼ぎ共を取りまとめている。マッドがいなければ賞金稼ぎは烏合の衆となり、略奪に走る
 のは眼に見えている。
  そのマッドが、賞金首サンダウン・キッドと癒着していると知れたら。
  癒着して、何があるわけではない。サンダウンは賞金首の頂点にいるかもしれないが、マッドの
 ように賞金首共を纏め上げているわけではない。サンダウンと癒着したところで、マッドには何の
 旨みもない。
  だが、果たして、賞金稼ぎ達がそこまで考えるだろうか。一分の、良識のある賞金稼ぎ達はそこ
 までの考えに行きつくかもしれない。だが、所謂小物達は、きっとそうは思わない。サンダウンと
 癒着するマッドに不信を覚え、不協和音を奏でる。それは、マッドの地位をいつかは脅かすだろう。
  それは、決して、そう決してサンダウンが望む事ではない。
  サンダウンの望みは、マッドが幼かった頃から一貫している。マッドが幸せである事。それだけ
 だ。サンダウンの何かによってマッドが傷つけられるなど、あってはならない。

  サンダウンの変化に気付いたのか、男はうっそりと笑う。

 「どうやら、引き受けていただけるようですね。」
 「………あれの事には、手を出すな。」

  獣の唸り声のようなサンダウンの声に、男はわざとらしく肩を竦めてみせた。

 「ご安心を。引き受けていただけるのなら、私共もそちらの世界には手を出しませんよ。我々も、
  命は惜しい。」

    では、と馬車の扉が開かれる。明りのない黒々とした馬車の中から、男の声が相変わらず響いて
 来る。

 「お乗りください。此処では詳しい話をできませんので。私共の宿へ来ていただきましょう。」

  有無を言わせぬ口調に、サンダウンは渋々と従った。やたら豪奢な手摺には触れず、馬車に乗り
 込む。サンダウンが乗ってから、もう出られないと言わんばかりに扉が閉ざされ、そして馬車は走
 り出した。






 「何処行ってたんだよ。」

  帰ってくるなりサンダウンは、ベッドの上でむくれているサンダウンを見つける事となった。子
 供のように頬を膨らませた姿からは、西部一の賞金稼ぎの姿は何処にもなく、甘えたがりの子供が
 一人いるだけだ。

 「すまない。」

  膨れているマッドの傍に寄って、その身体を抱き締めると、マッドは子供の時と同じようにぎゅ
 うとしがみ付いてくる。その途端に甘い匂いが漂ってきて、サンダウンはくらりとした。そして慌
 てて、理性の糸を手繰り寄せて何本も絡め合わせて頑強にする。
    子供のような仕草をするマッドは、けれどももう子供ではなく、誰も彼も誘惑するだけの力を持
 った青年に育っている。そしてその事は本人にも自覚があるはずなのだが、如何せんサンダウンの
 前では著しく自己防衛能力が下がっている。同衾する事にさえ全くの疑いも持たないマッドに、度
 々サンダウンは、誘われているんだろうかと疑ったくらいである。
  だが、マッドの触れ方はどう考えても子供のそれで、他意はない事は明白だった。

 「で、何処に行ってたんだよ。馬のノミ取り買いに行くのに、なんでこんなに時間が掛かったんだ
  よ。」
 「…………。」

  サンダウンは迷った。
  貴族だか成金だか知らないが、そのどちらかである男から依頼を受けた事をマッドに言うべきか。
 むろん、いつまでも隠し通せる事ではない。いつかは言わねばならない事である。しかし口にすれ
 ば、嫌でもマッドを脅しの材料に使われた事を言わねばならない。マッドは、自分がサンダウンの
 足枷になった事を知れば、酷く傷つくだろう。そう考えれば、男からの依頼をマッドに言う事は憚
 られた。

 「言えねぇのかよ……。」

  迷って黙っているサンダウンの様子に、マッドがぽつりと呟いた。その声が、酷く寂しそうな事
 に気付いたサンダウンがマッドを見れば、マッドはしょぼんと肩を落としている。

 「別に、言いたくないってんなら良いんだ。何でもかんでも俺に言う必要はねぇんだし。」

  細い肩が落ちている姿は、サンダウンに幼かった頃のマッドが小さな部屋の中でサンダウンを待
 ち続けていた時の事を思い出させた。しょんぼりと項垂れたマッドの姿は明らかに傷ついているよ
 うで。
  その姿にサンダウンは呆気なく陥落し、あっさりと男からの依頼について口にした。