さくさくと雪を踏みしめる音は軽く、そこから窺い知れる身体の重みはサンダウンが一番良く
  知る重みからはかけ離れている。つける足跡の深さも浅い、まるで小枝のような細い足が視界の
  端に映ったのを拍子として、サンダウンはゆっくりと視線を巡らせて、その脚の持ち主の顔を眺
  め見た。
   そこには、このくすんだ、うら寒い世界で出会った一人の少年が、にやにやとした嗤いを浮か
  べて立っていた。
   蜜蝋で固めたようにつんつんと逆立った髪の少年のその笑みは、決して友好的とは言えない。
  むしろ、それは何か人の弱みを握って、それを逆手に強請ろうとしている顔に近しい。くしくも、
  サンダウンは保安官時代にそれに類する表情を良く見てきた。だから、この先少年が口にする台
  詞は、不快ではないかもしれないが、心地良くもないであろう事を予想していた。






   Dysautonomia






  「なあ、あんた、男とヤったんだろ?」

   人の心が読めるのだという少年は、その笑みに相応しい卑下た声で、これまたそれに相応しい
  卑下た言葉を吐き捨てた。その言葉にサンダウンが眉根を顰めている間にも、少年のにやにや笑
  いは止まらない。
   そしてサンダウンは、少年の言葉が意味するところに気が付いた。つまり、自分は心を読まれ
  たのだ。しかもよりによって、あの乾いた世界の中で一番大切にしている部分を。その事に気付
  いたサンダウンは、微かな苛立ちを覚えた。
   そんなサンダウンの感情の漣さえも読み取ったのだろうか、少年はゲラゲラと笑い出す。

  「あーあー、そんなに動揺しちゃって。ずっとすかした顔ばっかしてるけど、あんたってそうい
   う趣味があるんだな。」

   意外意外、とさも楽しそうに言う少年は、どうやら面白そうな話題――ともすれば、それは他
  人を踏み躙る喜びに似ている――を見つけて遊んでいるのだ。そして、未だ、実を言えば人とし
  て一番残酷にもなれる少年期を脱していない――きっと、この世界に集った者達の中では彼が一
  番精神的に未熟だ――アキラは、人の弱みを甚振る事について自らを律しきれていない。
   だから、最年長者の中に見つけた人として異端な部分に、拒絶反応に見せた虐めを行う事を喜
  びとしたのだろう。
   けけけけ、と笑う少年は、しかし甚振るには――仮に玩具にするだけであっても――相手が悪
  すぎる事に気付くべきだった。
   確かに一番大切な部分を読み取られはしたものの、サンダウンはアメリカ開拓時代を生きる男
  である。カウボーイや無法者達の間で交わされる言葉の中には、かなり卑猥で下品なものが多い。
  アキラの『男とヤる』など、大した言葉の効果はない。
   だから、最初の動揺が過ぎ去った後に残ったのは、随分と行儀良く下品な話題に触れるんだな、
  という思いだった。それはまるで、実際の性を知らないティーンのようだ。
   そう考えてから、ああそうか、と思い至る。

  「………経験がないから、か?」

   そう言えば、やたら卑猥な言葉を使いたがる無法者は、基本的にあまり娼婦に人気がない連中
  が多かった。娼婦に困らない者――自分を追いかける賞金稼ぎなどは、現実で満足しているから
  か、性の話題などほとんどしない。

  「………やはり、性の事に触れたがるのは、経験がないから、か。」

   一つの真理を見つけたような気がして、サンダウンは一人納得する。
   が、打って変わって、先程まで加虐者の顔で笑っていたアキラは一切の動きを止めたかと思う
  と、一瞬にして真っ赤になった。

  「な、んなわけねぇじゃねぇか!お、俺だって1回や2回くらい……!」
  「…………………。」

   くらい、と言っている時点で、既にそれが嘘であると分かる。本当に経験があるのなら――件
  の賞金稼ぎなら、鼻先で笑い飛ばして何も語らないだろう。それだけで、十分だ。

  「うるせぇ、あんたなんか、男に突っ込んでる癖に!どうせ女が相手してくれねぇからだろ!」

   自らの恥辱を曝す事になってしまったアキラは、とにかくもう一度自分が主導権を握ろうと、
  躍起になってサンダウンの一番奥の部分を更に強い口調で言い張る。
   が、一度使ったカードは、二度も使えない。秘密とは一度ばらしてしまえば、もう効果はない
  のである。
   サンダウンはアキラの言葉など、もはや蠅の羽音ほどの興味も示さず、葉巻に火を点けている。
  ふーっと白い煙を口から吐き出して、サンダウンは真っ赤になっている少年に短く告げた。

  「金さえ出せば、相手をしてくれる女は、大勢いる。」

   酷く乾いたその声に、アキラはひくと喉を動かし、しかしすぐに声を張り上げる。

  「ははん!やっぱ金で買わなきゃ女に相手してもらえねぇんじゃねぇか!」
  「金がある男が、強い男の条件だからな。」

   女が、強い男を求めるのは当然だろう。
   自然の摂理を呟けば、アキラは再び固まる。

  「特に西部はその傾向が強い。乾いた不毛の大地が続く事もあれば、大人の背丈を越える葦の生
   える沢地もある。そして雪が降り積もる高原もある。それらほとんどは、人間にとっては脅威
   だ。そこを切り開き、人の住める土地にして、鉄道を通した。そしてそこから流れ込むのは、
   犯罪者などの行き場を失った人間が多い。そんな場所に好き好んでいく女は少ない。女の絶対
   数の少ない土地では、女が強い力を持つ。特に、アウトローさえも受け入れる娼婦達が。」

   学校の教科書では書かれる事のない、19世記アメリカの混沌に、アキラは言葉を失う。

  「男達を受け入れる娼婦達に高値がつくのは当然だ。娯楽の乏しい荒野では、女くらいしか慰め
   はない。だから、男達も彼女達に価値を見出し、金を払う。そして女達は金を持つ男を選ぶ事
   ができる。金で女を買う、とはそういう事だ。お前が考えるように、女を物扱いしているわけ
   ではない。」
  「は、だったらなんであんたは男に突っ込んでだよ。やっぱ、あんたの趣味じゃねーか。」
  「弱い男が強い男に屈服させられるのは当然の責務だ。」

   ぐふう。

   なんとか言い返したアキラは、しかしサンダウンに切り返され、喉の奥で変な音を出す。

  「女の数が少ない。女を抱くには金が掛かる。女が買えない者はどうするか。簡単だ。男を女の
   代わりにすれば良い。だが、男が男を抱くのには、もう一つ理由がある。」

   それは、相手を完全に屈服させる事だ。
   アウトローの跋扈する荒野は、正に弱肉強食の世界だ。その世界で王者たりえるには、相手を
  完全に挫いてしまう必要がある。その手段として決闘を用いる場合もあれば、相手を辱める場合
  もある。そして、屈辱を与える方法として一番てっとり早いのが、凌辱してしまう事だ。
   賞金稼ぎが撃ち取った賞金首を完全に屈服させる為に犯す事も、賞金首が返り討ちにした賞金
  稼ぎで欲を持たす事も、荒野では日常茶飯事だ。犯された身体が路地裏で転がっている様を、サ
  ンダウンは何度も見かけた事がある。もはや生きているかどうかも判然としないその身体は、き
  っと生きていたとしても屍と同然だろう。  
   生々しい性の横行に、アキラは口を開いたまま固まる。
   アキラの住む町には、確かに犯罪も多い。そして奇妙な嗜好を持つ者も少なくない。けれど、
  アキラはそこまで激しい性のやりとり――ましてや生死に関わるほどの――を見た事はなかった。
  そこまでのものは、アキラでは手を出せないような地下にあるものだ。
   しかし、眼の前にいる男の世界では、それが表で行われているという。そして、男はその惨状
  の一端を生きているのだ。
   思わず後退りする少年の、引き攣れた顔に、サンダウンは溜め息を吐く。別に、サンダウンが
  語った性が、荒野の全てではない。中には愛おしさに溢れたものもあるだろう。だが、未発達な
  少年は興奮を覚えるだけの性しか知らず、しかもそこにサンダウンが死の匂いのする情報を与え
  たものだから、本来あるはずの温もりには気付いていない。
   やれやれ、と溜め息を吐いて、サンダウンは呟く。

  「…………発育途中の子供には、早すぎたな。」
  「んなっ!」

   再び、アキラの顔に朱が昇る。

  「お、俺だって人並みにはなぁ!」
  「……………人並み、か。」

   ちらり、と身長を見て、サンダウンはもう一度葉巻を深く吸い込む。アメリカ人の一般男性と
  比べられても仕方ない気もするのだが、しかしアキラに再び恥辱を与えるには十分な効果があっ
  た。
   ちくしょう、と叫んで、アキラは敗走する。
   逃げ去っていく少年の後姿を見ながら、サンダウンは、そういえば、と思う。アキラは一体、
  自分のどの部分を読んだのだろうか。抱きしめているところか、口付けているところか、はたま
  た行為に及んでいるところか。
   別に何処を見られても、事実を口にされた以上もはやどうでも良いのだが、彼との行為につい
  ては一言告げておくべきだったのかもしれない。
   彼については、女の代わりでもないし、屈辱を与えているわけでもない、と。
   だが、それは自分の中を読んだのならすぐ分かる事だと思い、すぐにその考えを打ち消す。
   そうして、サンダウンは葉巻を吸いながら、再び訪れた、アキラが来る前にあった静寂と、そ
  の静寂に想い合わせて描く荒野の色を、静かに楽しみ始めた。