「ふ………ん。まあまあじゃねぇか。」

  しつこい寝癖を最後にワックスで無理やり押え込んだマッドは、満足そうに眼の前にいるおっさ
 んを見る。
  久しぶりに髭を剃って髪も整えて貰ったサンダウンはと言えば、満足そうなマッドを尻目に顔が
 すーすーする、とか思っていた。すっきりした、というよりも何となく防御力が下がったような気
 がして心もとなさを覚える。
  揃えられた髭を、引っ張ったら伸びないだろうかと思って弄っていると、ある程度見栄えの良く
 なった賞金首に上機嫌になったマッドが、おいでおいでと手招きした。

 「じゃ、最後の仕上げに服を買いに行こうぜ。」

  デートの誘いともとれるその台詞に、サンダウンがいそいそとポンチョを羽織っていると、機嫌
 の良かったマッドの表情がみるみるうちに険しくなった。

 「ちょっと待て!てめぇ、何そんな襤褸雑巾着こんでんだ!」

  べりっと着こんだばかりのポンチョを引き剥がすマッドに、サンダウンは出かけるんじゃないの
 かと怪訝に思う。それとも、まさか此処で?
  不埒な考えに浸る男は、マッドの言った『襤褸雑巾』という言葉を完全に無視しているようだ。

 「せっかく綺麗にしてやったのに、こんなもん着たらまた逆戻りだろうが!人の努力を無にするん
  じゃねぇ!」

  そして代わりに自分のジャケットを手渡す。
  が、やはり、

 「きつい………。」

  肩幅あたりが、足りてない。
  そう呟けば、マッドの声は怒りを孕む。

 「うるせぇ!てめぇが太ってるだけだ!」
 「やはり、小さいんだな……。」
 「やかましい!」

  やはりぴちぴち感のあるおっさんに、マッドは怒りを吐き捨てて、とにかくこの現状を打開しよ
 うと、服屋に向かった。




  辺境にある街は、賞金首サンダウン・キッドの事も、賞金稼ぎマッド・ドッグの事も知らなかっ
 た。だからこそマッドは、サンダウンをこの街に連れてきたのだ。でなければ、今頃ならず者や娼
 婦や賞金稼ぎが大騒ぎしていたところだろう。
  アウトロー達の集まる街は、それ故に豊かで物資も集まるが、同時に騒ぎが起こりやすくもある。
 まして、サンダウンもマッドも、アウトローの中では有名だ。西部一の名を冠する二人が一緒にい
 たならばすぐに気付かれ、そして要らぬ憶測を呼ぶ事になる。
  だから、マッドは辺鄙な街にサンダウンを連れてきたのだ。
  ゴールド・ラッシュのついでに作られたような街は、玩具のようで、あと数カ月もすれば砂に呑
 み込まれてしまいそうなほど小さかったが、しかしそこに住む人々は意外に強情なのか、若者です
 らその街を離れず、ほそぼそと牛を飼って暮らしていた。
  その街を訪れるのは、物好きな行商人か行くあてのない無法者くらいのものだ。しかしマッドは、
 その街を訪れる物好き行商人が、稀なものを落としていく事を知っていた。物好きな行商人は取り
 扱っているものもまた、物好きな物が多いかからだ。
  ちょくちょく珍しい物を捜してその街を訪れていたマッドは、今では顔なじみの服屋の主人に、
 むさ苦しい男の為の服を頼んでいた。

 「これとこれとこれと………。」

  辺境とは思えないほど服の種類が豊富なのは、主人の趣味と仕立て屋としての腕が良いからだろ
 う。田舎では使い道がないだろうと言うような煽情的なドレスまであつらえてある。
  その中から、マッドは迷う素振りも見せずに必要な物を選んでいく。時折サンダウンを振り返り
 ながら、髪の色は薄いほうだからタイは濃い色が良いだろとか、派手な服は似あわねぇなとか、呟
 いている。
  そしてその選択の果てに、無難に黒の腿まで隠れるコートと薄っすらと縦のストライプの入った
 白いシャツ、そして、赤ワインのような濃い色のタイを突き出されて、サンダウンは首を傾げる。
 しかし、マッドはそれらの物体を押し付ける腕を緩めない。

 「いいから、試着してこいよ。俺の見立てに狂いはねぇだろうが、サイズが違ってたら洒落になら
  ねぇからな。」

  そう言って、自分よりも一回りサイズの大きい服をサンダウンに押し付け、マッドは店に一つだ
 けある試着室へとサンダウンを押し込む。マッドとしては、サンダウンの為に自分よりも大きいサ
 イズの服を買う事は非常に屈辱であったのだが、しかしそれで自分の服を着てぴっちりしているサ
 ンダウンを見なくて済むのなら、それは安いものだった。
  なんとなく釈然としないような表情のサンダウンが、それでも大人しく試着室に治まったのを見
 てマッドは、これで長年の心の痞えが消えると安堵した。ようやく、むさ苦しい小汚いおっさんを
 追いかけなくて済むのだ。見た目どう考えても5000ドルの賞金首でないおっさんを追いかけて、な
 んであんなおっさん追いかけてるんだ趣味悪ぃとか言われなくても済むのだ。
  賞金稼ぎの王は、自分と対極に位置する賞金首の王が、ようやく自分に追いかけられて釣り合う
 見た目――そう情けない事に問題は見た目だけだったのだ――になる事に、感涙しそうだった。
  そんな、今にも感激に打ち震えそうなマッドの耳に、試着室からびり、と布が裂ける音が聞こえ
 てくる。

 「すまん、マッド。お前の服を破いた。」

  小さいからそうでもしないと脱げなかった。
  そう告げる男の声に、マッドは再び怒りが頭を擡げてくるが、なんとか踏みとどまる。あの服は
 どうせそんなに着る服じゃなかったし、と思いながら、他人の服を粗末に扱う男を心の中で足蹴に
 する。
  マッドが、心の中でサンダウンにドロップキックをかましている最中、ようやく着替え終わった
 サンダウンが出てきた。
  すっきりと黒のコートを翻した身体は、今まではポンチョに隠れて見えなかった線が見えるよう
 になっている。広い肩幅や、がっちりとした腰が自然に分かる分、それは先程までぴちぴちだった
 服装とはまた別の意味で、サンダウンの体格の良さを見せつけていた。
  自分よりも肩幅のある男の姿に、マッドはむかっとしたが、それ以上に。

 「てめぇはタイもろくに結べねぇのか!」

  首のあたりでこんがらがっている深く暗い赤の紐は、その上品な色合いとは裏腹に、まるで荒縄
 か何かのように無造作にぶら下がっている。
  マッドはこのおっさんにタイは無理、と頭の中に刻み込みながら、こんがらがった紐を手早く解
 うだと思っていた事は、マッドが知らなくて良い事実である。
  サンダウンの不埒な思考など何も知らないマッドは、タイから顔を上げる。そして視線を上げた
 先にあったサンダウンの青い眼に気付く。普段、草臥れた帽子や髪や髭に隠されて、きちんと見る
 事のない眼の形に、微かに息を詰めた。髭を剃っている間に散々見ただろうが、と思いながらも、
 あの時は髭を剃る事に集中していて、それどころではなかった。それに、ここまではっきりと自分
 の顔が、その青い空の中に浮かんでいるのを見るのは初めてだ。

 「あ………。」

  思わず小さく零れたマッドの声に、サンダウンは首を傾げる。

 「………どうした?」
 「なんでもねぇ………。」

  まさかその眼の色に見惚れていたなど――見栄えはマッドが見立てたのだから言わずもがなだ―
 ―言えるわけもなく、マッドは口を噤んで、サンダウンが小脇に抱えていた破れた自分の服を奪い
 取る。マッドのその行為に、サンダウンが微妙に残念そうな顔をしたが、むろんマッドは気付かな
 い。彼は破れた服を抱えると、サンダウンに背を向けた。

 「じゃ、行こうぜ。」
 「…………?何処に?」

  マッドの台詞に、サンダウンの傾げる首の角度が更に大きくなる。

 「ああ?せっかく、小奇麗になったんだから、女くらい引っ掛けに行こうぜ。」

  今から夜の街に繰り出そうと言うマッドに、サンダウンは思い出した。一番最初にマッドがこの
 話を持ち掛けてきた時、美女を街で引っ掛けるとかそれっぽい言葉を言っていた事に。それを思い
 出し、サンダウンはじっとりと不穏な気配を醸し出す。
  だが、その気配に近しい視線でマッドを見つめはしたものの、それに対して口出しはしなかった。
 代わりに、殊更ゆっくりとした動きで頷いた。

 「………そうだな。」