「とりあえず、てめぇは風呂に入ってこい。」

  安っぽい宿の一室で、マッドは5000ドルの賞金首にそう告げた。




  意気揚々と街に辿り着いたものの、マッドははたと気付いて後ろを振り返る。
  そこにいるのは、やぱり何度眼を凝らしてみても、残念なくらいに小汚いおっさんだった。その
 まま荒野を転がるタンプル・ウィードに生まれ変われそうなおっさんを、一体何処の服屋が相手に
 して――いやその前に店の中に入れて――くれるだろうか。しかも、2週間同じ服を着ている、つま
 り、2週間風呂に入っていないであろう、おっさんを。
  きっと、如何なる最下層の店でも、入れてくれないだろう。
  その絶望的な事実に気が付いたマッドは、とにかく塵芥に等しい男を、服はともかく中身だけで
 も人間的なものにしようと考えた。
  そこで冒頭の台詞に戻るわけである。

 「あんたみたいな、砂と垢まみれのおっさんを、服屋になんか連れていけるわけねぇだろ。」
 「何故だ。この服でも酒場には入れたぞ。」
 「場末の酒場と、見てくれに気を使う服屋を一緒にするんじゃねぇよ。」

  自分の何が悪いのだと本当に悪びれもせずに言い放つ男に、マッドは目眩を感じながらも言い返
 す。マッドの言っている事は至極真っ当な事なのだが、しかし長年の放浪生活の所為か、一般常識
 がややぶっとんだ男は、まだ首を傾げている。
  そんな男に、服に関する機微を理解させようと――いや機微以前の問題の気もするのだが――す
 るのは無理だと判断し、マッドは早々に説明を切り上げた。

 「とにかく、そんな形じゃあ試着もさせてもらえねぇだろうが。」

  そう言って、マッドはサンダウンを狭っ苦しい風呂場に押し込んだ。俺の服貸してやるからあり
 がたく思えよという言葉と共に。
  サンダウンを放り込んだ風呂場から、ひとまず湯が出てきた音が聞こえてきた事に満足して、マ
 ッドは自分の服から一枚、一番地味な物を選びだしてそれを脱衣所に放り込んだ。

  そして、数十分後。

 「………マッド。」

  固く閉じていた脱衣所から、短くマッドを呼ぶ声が聞こえた。

 「短い。」

  ほかほかと全身から湯気を立てる男は、脱衣所から出てくるなり、マッドにそう告げた。そして、
 これ見よがしに、マッドのシャツに覆われた腕を、マッドの眼の前に突き出す。
  マッドが滅多に着る事のない、真っ白なシャツの袖は、サンダウンの手首を覆う事なく、八分の
 所で止まっていた。よくよく見れば、ズボンの裾も、微妙に足りてない。それと、シャツのボタン
 の留め具合もなんとなく、ぴちぴちの気がする。

 「……………。」

  全体的に、ぴちぴち感のするサンダウンの服装は、要するにサンダウンのほうがマッドよりも体
 格が良い事を知らしめている。
  微妙な身長差や体力差から、マッドも薄っすらとそれを感じ取っていたが、それをあからさまに
 見せつけられると、男としての体格差をはっきりと感じさせられて、マッドとしては非常におもし
 ろくない。
  だから、ぴちっとしているサンダウンの姿に、しばらくの間マッドは現実逃避するように頭を抱
 えて悶絶していた。しかし、ようやく自分にとって都合の良い言葉――要するにサンダウンに体格
 で負けているという事実からを眼を背けるに十分な言葉――を見つけ出したらしく、自分の体型よ
 りも一回り小さいシャツを着込んだ男を指差し、マッドは叫んだ。

 「てめぇ、太ったな!」

  荒野をさすらう賞金首に、メタボリックになっている暇などあるはずもないのだが、マッドにと
 ってはそれが精一杯の逃げ道だった。
  が、指差されたサンダウンはと言えば、足りない袖を引っ張って、

 「………小さいんだな。」

  と、妙に感慨深げに呟いている。
  小さい、とマッドが眼を背けていた言葉をはっきりと口にしたおっさんに、マッドの表情が引き
 攣る。そして、

 「悪かったな!ああ、俺はてめぇよりちっさいよ!チビだよ!くそ、ちょっと図体がでかいからっ
  て良い気になりやがって!図体でかくたって、高い所のもん取るくらいにしか役に立たねぇだろ
  うが!何様だ!」
 「………何を怒っているんだ?」

  突然、活火山のように荒れ始めたマッドを、サンダウンは怪訝そうに見る。サンダウンとしては、
 マッドが小さい事に越した事はないのだが、マッドは一体何が不満なのだろうか。
  首を捻るサンダウンを、マッドはしばらくの間、膨れっ面で睨みつけていたが、やがてふっきれ
 たのか物凄い勢いで腕を動かし、部屋の中にある一つの椅子を指差す。

 「………なんだ?」
 「座れ。」
 「何故………?」
 「いいから、黙って座れ!この俺様が、てめぇのむさっ苦しい髭と髪をどうにかしてやろうって言
  ってんだよ!」

  マッドのその台詞に、サンダウンはマッドの白皙の顔をまじまじと見る。

 「お前………髭を剃った事があるのか。」

  再びマッドの地雷をぶち抜くサンダウンに、マッドの怒号と共に鋏やら剃刀やらが飛んでくる。

 「てめぇ本気で俺を馬鹿にしてんのか!」
 「していない。」

  サンダウンは純粋に疑問を口にしただけだ。マッドの白い頬は、どう見ても髭の剃り跡など微塵
 もなく、髭を剃る必要などなさそうに見える。にも拘らず、髭を剃る事が出来るとなると、やはり
 マッドも髭は生えるのか。
  宇宙の神秘の一端を垣間見た気がして、サンダウンは再び感慨に耽る。
  が、体格どころか髭についてまで突っ込まれたマッドとしては、男としてサンダウンに負けたよ
 うな気分になっていた。どちらかと言えば――というか完全に――優男風のマッドは、自分の細身
 の身体とか髭の生えにくい体質が、かなり気になっていた。別に女性的なわけではないが、女が少
 ない荒野では女の代わりのような眼線で見られた事も多々ある。だから、サンダウンのふさふさの
 髭に、密かに憧れた事もあるのだが。

  くそ、髭も髪も全部剃り上げてやろうか!

  もさもさの男を一瞥して、マッドはそんな不穏な事を考える。それを辛うじて食い止めたのは、
 つるっぱげのおっさんを追い掛けねばならない自分を想像したからである。
  当初の目的を思い出したマッドは、どうにかして髭に対する殺意を打ち消し、床に転がった鋏と
 剃刀を拾い上げた。

 「もういい、とにかくそこに座れよ。後は俺が適当にやるから。」

  まだサンダウンを風呂に入れただけなのに、体力の半分以上を削ったような気がする。しかし、
 幸いにしてサンダウンはそれ以上余計な事を言う事もなく、大人しく椅子に座ってマッドの行動を
 待っている。
  そんな男の頬に、マッドは蒸しタオルを当てる。髭を剃るには、まず髭を温めて柔らかくするの
 が先決だと聞いたからだ。人に聞いた話で、自分で実践した事がないのが情けないが。
  もふもふとサンダウンの髭を十分に蒸しタオルで押え込んだ後、マッドはそろそろ良いかと剃刀
 を構える。
  髭を全部剃るつもりはない。髭は男の象徴である。それを生やしている男を追いかける事には、
 何の異存もないのだ。マッドが嫌なのは、サンダウンの髭がマナーの欠片もなく伸ばされっぱなし
 になっているのであって、綺麗に整えてやれば問題ない。
  髪の毛も同じだ。長さを揃えて、ぴんぴんと跳ねまわっている部分をワックスか何かで固めてや
 ればいい。

  椅子に座るサンダウンの前で、真剣な表情で砂色の髭を剃っていくマッドを、サンダウンはじー
 っと眺める。白い指がサンダウンの顎や頬を掠め、マッドの黒い眼が決闘の時のように緊張を孕ん
 だ光を帯びてサンダウンを見ている。しかも、今までにないくらい、間近で。睫毛の本数が数えら
 れそうなくらい近くで見たマッドの頬は、やっぱり髭の剃り跡など見当たらない。
  神秘だ。
  きっと、触れても剃った跡のじょりじょり感さえ感じないだろう。
  大理石のようにすべらかな肌を見て、サンダウンは無表情の裏で、そう呟く。
  サンダウンがそんなどうでも良い事を考えている間に、マッドは揉み上げの気になるところを最
 後に剃り落とし、ゆっくりと身体をサンダウンの後ろに移動させる。髭は終わり、次は髪に取りか
 かるらしい。
  と思っていたら、何処からか輪ゴムを取り出し、サンダウンの髪を頭のてっぺんで括っていく。
 その他にも、耳のすぐ上とか、後頭部とかで。

 「………これは、そうする必要があるのか。」
 「あるね。」

  髪の毛で遊ばれているような気分になったサンダウンは、頭上で響く鋏の音に尋ねれば、一語で
 回答が返ってきた。何が何でもサンダウンの髪の毛を頭のあちこちで縛り続ける男は、悪だくみで
 もしているような――本当はサンダウンのその姿に先程までの溜飲を下げただけなのだが――鼻歌
 混じりの声で、動くなよー動いたらハゲるぜーと縛ってあるサンダウンの髪の毛を細かく切ってい
 く。
  そして、頭のてっぺんで縛られた髪の一房を、ぴんと弾くと、笑い含みの声で呟いた。

 「それにしても笑える格好だな。しかも似合ってねぇし。」
 「…………。」

  何か反論しようと思ったが、その後10倍以上の言葉が返ってくるのは眼に見えていたので、サン
 ダウンは口を閉ざして、マッドの気が済むまで髪を弄らせておいた。
  部屋には、サンダウンに囁かな復讐をしたマッドの、軽快な鋏の音が響いていた。