もはや自己嫌悪の下り坂を、なんの歯止めもないままに転がり落ちて行っているような気がする。
  サンダウンは荒野のど真ん中で、一人岩場に向き合って、自分のどうしようもない妄想と性欲に
 嫌気がさしていた。いっそ、このままこの岩に頭を打ちつけて死んでしまいたい。
  せっかく、夜の街に辿り着いて大金を叩いて女まで買ったのに、まるで女を抱いたという感想は
 サンダウンの中に残っていない。確かに抱いた感触は柔らかい女のそれだったのだが、葉巻の甘い
 香りに眼が霞んだ後は、そんな感触などどうでも良くなっていた。
  あの時、サンダウンが抱いていたのは先日の夢の中で視て、それを元に作り上げたマッドの幻想
 だ。
  その事実は、サンダウンを果てしなく打ちのめした。
  別に、自分が大層な人間であると思ってはいなかったが、しかし逆に此処までどうしようもない
 人間であるとも思っていなかった。
  むろん、自分の中に救いようのない闇があるのは知っている。それは、保安官を止めた頃に出来
 上がった、と言うよりも浮上したサンダウンの本性だ。人を守るという本分で押え込んでいた本性
 を、サンダウンは放浪する事でやり過ごしている。そうでもしなくては、きっと、自分を疫病神と
 して疎むような眼で見つめてきたあの人々を憎まずにはいられないだろうから。
  が、今回のこれは、サンダウンの憎しみなんかとはまるで関係がない。
  本能という部類では同じなのかもしれないし、どちらも最低という点では似通っている。
  だが、そもそも発生の根本からして違う。マッドは別にサンダウンを疎んじた人間達ではないの
 だ。というか、むしろサンダウンのほうがマッドを疎む立場だ。しつこく追いかけてくる賞金稼ぎ
 を疎まずにいられようか。それが憎しみに翻る事がないとは言い切れないが、とりあえず今はその
 時は迎えていない。
  が、マッドを憎む時には至っていないが、しかし逆にマッドに性欲を駆り立てられるとはどうい
 う事か。 
  しかも眼の前に女がいるのに、マッドから立ち昇った葉巻と同じ匂いを女が染みつかせているか
 らと言って、マッドを想像してしまうだなんて。その上、サンダウンはその状態で女を抱いてしま
 ったのだ。まるで、というか完全に、女をマッドの代わりにするかのように。
  これを、最低と言わずして何と言おうか。
  女に対しても、マッドに対しても、最大の裏切りを犯したような気がする。おそらく、その事実
 を一言でも口にしたら、どちらからも許して貰えないだろう。いや、既にサンダウンが自分自身を
 許していない。
  ずぅん、と音がしそうなほど落ち込むサンダウン。
  けれど、場の空気を読めない人間とは何処にでもいるもので。例えだだっ広い荒野と雖も、そう
 いう人間はいるもので。しかもその人間が、サンダウンが紛れもなく欲情した人間と同一人物なの
 だから、もはやサンダウンにはどうする事も出来ない。

 「よう、キッド!……って、そんなとこで何やってんだ?」

  偶々、と言うには出来過ぎた邂逅である。しかし、きっとマッドは一切の小細工など使っていな
 い。だからこの遭遇はやはり偶々なのだろう。
  しかし、今のサンダウンには酷以外の何物でもない。それとも、これは罰か何かか。
  けれども、もちろんマッドにはそんなサンダウンの心情など斟酌する術は持っていない。斟酌す
 る必要もない。ぱかぱかと馬で近付くだけ近付いて、その後は馬から降りてわざわざ真後ろにやっ
 てくる。そして、真後ろから、岩に向き合っているサンダウンの顔を覗きこもうとする。
  止めろ。

 「そういや、キッド。あんたあの後、どうだったんだ?ちらっと美人を連れて宿に入るの見たけど。」

  見たのか。
  そんな野暮な事はしないと思っていたのに。
  首は動かさずに、視線だけをマッドに向けると、マッドはサンダウンの言いたい意味をはっきり
 と理解したのか首を横に振る。

   「おいおい、勘違いすんなよ。俺も女連れてる時に偶々見かけただけだって。他人の恋路を邪魔す
  るつもりはねぇよ。」

  何が恋路だ。
  それに、邪魔はしていなくとも半分くらいが出歯亀ではないか。
  むっつりと黙りこんでいると、それをマッドは何と捉えたのか、もしかして、と呟いた。

 「もしかして上手くいかなかったのか?あんた、だから落ち込んでんのか?」

     あんたを客として取った娼婦と上手くいかないなんて事あるのか、とマッドは酷く不思議そうだ。
 それはそうだ。客を取った娼婦が、客を蔑ろにするなんて事は、まずない。だが別にサンダウンは
 娼婦と何かあったわけではないので、マッドの疑問はまるで見当違いだ。
  だが、マッドは何も知らないままに首を傾げている。そんな無邪気な様子が、サンダウンには腹
 立たしい。何せ、全ての原因はマッドに――正確にはサンダウンの性欲なのだが――あるのだから。

 「………………………お前の所為だ。」

  マッドを長時間見ていると変な幻覚を見る。その匂いだけでマッドを連想してはっきりと欲情す
 る。どうしようもない自分の状況に対して、半ば八つ当たりの意味も込めて、本当に小さく呟いた。
  しかし、その呟きをマッドは聞き逃さなかった。

 「は?!なんで俺の所為なんだ?!」

  当然の疑問である。
  が、サンダウンにはそれに答える術がない。答えたら、マッドにただの変態と思われる事は確定
 する。なので黙っていると、マッドが持ち前のしつこさを発揮して、何でだよ何でだよ、と騒ぎ始
 めた。
  しかも背後から顔を覗きこんで、上目遣いで。
  しかも、それとばっちりと眼が合ってしまった。
  はう。
  サンダウンは色々とやられてしまい、とりあえずマッドから視線を逸らす。

 「いや、何でもない……お前の所為ではない。」
 「何言ってんだ!あんた、さっき普通に俺の所為だって言ったぞ!」
 「だから、違うと言っているだろう……。」

    とにかく近付かないで欲しい。何をするか分からないから。
  が、マッドは離れる気配はないようだ。むしろ、近付いてくる。何故だ。危ないから止せという
 のに。いや、本当に、その上目遣いは危険だ。
  なので、つい、口にしてしまった。

 「近寄るな………!」

  ついでに、身体も一歩退かせた。
  その瞬間、マッドの表情が歪んだ。悔しそう、と言うよりも悲しそうだ。今にも泣きそうで泣か
 ない、そんな表情。
  そんな表情をさせたのが自分であると気が付いたサンダウンは、そのまま後悔の嵐に突入する。 
 だが、不埒なサンダウンは同時に歪んだマッドの表情に欲情の色を思い出してしまい、思いっきり
 自己嫌悪した。
  しかし、自己嫌悪している暇などない。眼の前で、マッドは酷く悲しそうな表情をしている。そ
 れに突き動かされないほど、サンダウンはマッドの情欲を感じていないわけでもない。
  なので、後先考えずに――少しだけ考えたが欲望の前に理性は無意味だった――サンダウンはマ
 ッドの頭を引き寄せて、そのまま口付けた。