「よーう、キッド。」

  逢いたくない奴に限って、のこのこと現れるというのが人生の常である。
  サンダウンが、ここ数日間考える事を出来るだけ避けてきた男は、サンダウンの思惑などまるで
 意に介さず、のうのうとした顔つきでサンダウンの前に現れた。
  片手に黒光する銃を持ち、もう片方の手で器用に馬の手綱を捌きながら、口元に笑みを湛えて賞
 金首と相対する賞金稼ぎとしてはあまりにも堂々たる、しかも馴れ馴れしい姿でやってきた。綺麗
 に弧を描く唇を見て、相変わらず形が良いなと思った瞬間に、夢の中で見た赤く濡れたそれをうっ
 かり思い浮かべてしまい、サンダウンは慌てて眼を逸らす事態に陥ってしまった。
  しかし、サンダウンのその様子は、賞金稼ぎには面白くない反応だったらしい。視界の隅にまだ
 辛うじて捉えているマッドは、自分から眼を逸らしたサンダウンを見て、むっとしたように唇を尖
 らせた。その表情は先程までの何処か皮肉めいたものとはまるで違い、あどけなさを感じる子供の
 ような表情だった。おまけにツンと尖った唇は、ともすれば口付けを強請っているようにも見えた
 ので、ますますサンダウンはそちらに視線を戻す事が出来なくなってしまった。

 「なんだ、てめぇ、その態度は。」

  マッドが何やら不機嫌そうに言っているが、マッドを再び直視したが最後、きっとサンダウンは
 自己嫌悪を醸し出すしかない妄想に捕らわれてしまう。いや、今でも十分に自己嫌悪に陥っている
 けれど。
  しかし、マッドはそんなサンダウンに対する不機嫌を隠しもせず、それどころか不機嫌の力を借
 りて眼を逸らしているサンダウンの視線の方向にわざわざやって来る。それから視線を逸らしても、
 やはりサンダウンの視界に入る位置まで移動してくる。
  そうこうしているうちに、くるりと一回転してしまった。
  荒野で男二人して一体何をやっているんだと思うと、非常に情けない気分になってきて、サンダ
 ウンは諦めて――ついでに変な幻覚をみる覚悟をして――マッドのほうに視界を戻した。すると、
 思っていた以上にマッドが近くにいて、ぎょっとする。
  サンダウンの眼の前まで迫っていたマッドは、サンダウンのその反応に再び不機嫌そうにして、
 今度はぷっくりと頬を膨らませた。あまりにも子供っぽすぎるその様子に、流石に性的な幻覚を見
 たりはしなかった。しかし、賞金稼ぎとしてその様子はどうなのかと心配になってくる。

 「てめぇ随分な反応じゃねぇか。この俺から眼を逸らすなんざ、良い度胸だ。それとも、遂に俺に
  捕まる夢でも見て、俺が怖くなったか?」
 「…………。」

    確かにマッドの夢は見たし、その上で恐怖も感じた。しかしそれを伝えたら、間違いなくマッド
 は引くだろう。まさか自分を組み敷いている夢を見たなんて聞いたら、いくらマッドでも、冷たい
 視線を向けるか、気持ち悪いと言うか。
  それだけは、避けなくては。
  だから、あの夢の内容だけはマッドには知られてはいけないし、あの夢をマッドに重ね合わせて
 もいけない。
  そこまで考えて、サンダウンはふと思う。
  いや、何故マッドに夢の内容を知られてはいけないのか、と。マッドがサンダウンの事をどう思
 おうが、サンダウンには関係ないではないか。まして気持ち悪いと考えて、そのままサンダウンに
 関わるのを止めようというのなら、サンダウンには願ってもない事だ。
  何せマッドはしつこいのだ。
  賞金稼ぎなのだから、賞金首を執拗に追いかけるのは当然の事とはいえ、マッドのサンダウンに
 対するそれは度を超えている。
  何度あしらっても追いかけてくるし、歴然とした力の差を見せつけても諦めようとしない。そん
 なに賞金が欲しいのかと思うのだが、だったら罠でも仲間でも集めてサンダウンを撃ち取れば良い
 のだ。だが、マッドはあくまでもサンダウンの前には一人でやってくる。一体、何をしたいのか。
  マッドの思考回路はサンダウンには理解できないし、そんなマッドに追いかけられるのは非常に
 疲れる。正直、卑劣な手段を使ってに襲いかかって来る賞金稼ぎ達のほうが、単に蹴散らせば良い
 だけだから、相手をするのは楽なのだ。しかし、賞金首相手に堂々と決闘を申し込んでくる賞金稼
 ぎはどうやって扱えば良いのか。
  そんな疲れる相手が、自分の事を気持ち悪いと思って近寄らなくなるというのなら、それは願っ
 てもない話ではないか。
  うむ、と一人勝手に頷いていると、マッドが焦れたように声を上げた。

 「おい、キッド。てめぇは一体また何を一人で考え込んでやがるんだ。」

     相手にされない事に焦れたマッドの声に、とっととマッドに夢の話を聞かせて、引くなりなんな
 りさせてやろうとサンダウンは思う。そしてマッドを組み敷いていた夢を見たと口にしようと、マ
 ッドのほうを見れば、そこには上目遣いでサンダウンを見ているマッドがいた。
  はう。
  一瞬のうちに潤んだマッドの視線が再生されて、サンダウンは口にしようとしていた言葉ごと息
 を飲み込んだ。
  現実のマッドは、何の疑いもない眼でサンダウンを見上げている。
  駄目だ。この眼が一瞬で凍り付いて、薄気味悪いものでも見るかのような視線に転じれば、サン
 ダウンの神経がその瞬間に壊れそうだ。
  先程までの思考回路による結論を断念し、サンダウンは夢の内容は絶対に口にしない事を決めた。
 しかし、だからといって現状の何が変わるわけでもない。マッドに視線を戻せば、夢の内容がフラ
 ッシュ・バックする。
  これは、あまりにも危険すぎる。サンダウンの神経よりも何よりも、多分、マッドの貞操が。

 「おい、キッド?お前、大丈夫か?何か変だぞ。」

    大丈夫ではない。おかしい事も重々承知している。だから近付いてくれるな。
  何せ今のサンダウンは、マッドの声が夢の中の甘い声に重なって聞こえているのだ。あの、強請
 るような鼻に掛かった声と。

 「大丈夫かよ。具合でも悪いのか?」
 
  マッドの心配そうな声。その声を甘く聞きながら、僅かに残った理性で賞金稼ぎが賞金首を心配
 するとは何事か、と思う。だが、それを口に出してまで突っ込む気力はサンダウンには残されてい
 ない。
  今やサンダウンは、自分のどうしようもなさに酷く落ち込んでいる。自己嫌悪を避けるつもりだ
 ったのに、やはり自己嫌悪に陥っている。あの夢を見た時点で、自己嫌悪の海から抜け出す事は困
 難であるとは分かっていたけれど。
 
 「仕方ねぇなあ。今日のところは勘弁してやるよ。だから、今度逢う時までにちゃんと体調戻しと
  けよ。」
  
  そう言って、マッドは去っていく。それもどうなんだ、と思うが、しかし今のサンダウンには有
 り難い以外の何物でもない。このままマッドを見続けていたなら、間違いなく変な事を口走る。
  さっさと立ち去っていくマッドの姿を、サンダウンは少しばかり恨めしく思いながら、しかし猶
 予期間が出来た事でほっとする。
  とにかく、次にマッドがやって来るまでに、おかしな幻覚を止めなくては。
  そんなを考えるよりもマッドを遠ざける為に真実を口にしたほうが良かったのではないか。その
 考えは、サンダウンの中にはもはや思いも浮かばなかった。