世を儚んでいるわけではないが、人目を逃れるようにして荒野を彷徨っているサンダウン・キッ
 ド。そんな男にも追っかけ、もとい追いかけてくる賞金稼ぎがいる。
  賞金稼ぎマッド・ドッグ。
  西部一の賞金稼ぎを自負するマッドは、サンダウンには及ばぬものの、自他共に認める銃の腕の
 持ち主だ。そして、尚且つ美人である。それが重要である。澄ました顔をして無欲に荒野を彷徨っ
 ているふうのサンダウンではあるが、やはり追いかけられるのならば美人のほうが良い。
  しかし問題は、マッドが乗っている馬にある。
  何を好き好んでか、マッドは非常に目つきの悪い、可愛げの全くない黒い馬に乗っているのであ
 る。
  その黒い馬。マッドの前では猫を被って頭を摺り寄せたりしているから、マッドは騙されている
 のだとサンダウンは懸念している。
  そもそもあの馬、第七騎兵隊の憎しみだか何だか背負って人間に一度なった癖に、その憎しみが
 未だに消えきっていないのか、たまに馬とは思えない力を発揮してくる。その所為でマッドも酷い
 目に――犬耳と尻尾を生やしてしまうという、サンダウンとしては非常においしい目にあった。な
 のに、解雇しようとしないとは、マッドは何を考えているのか。
  そんなだから、また、同じような目に会うのだ。
  サンダウンは、荒野の隅でさめざめと泣いている黒い馬を見つけ、げんなりと――いや、むしろ
 気分が高揚したまま、そんな事を思っていた。




 オ・ディオ・トリック 2





    前回、自分の主人に犬耳と尻尾を生やしてしまい、さめざめと泣いていたディオが、再びさめざ
 めと泣いている。
  馬の分際で泣き崩れているディオを見て、サンダウンはわくわくした。一体、今度はマッドに何
 をしたのか。前回は犬耳だったから、今回は全裸にして触手にでも襲わせたのか。そういえば昨夜
 何やら悪寒を感じたな、と取って付けたように思いながら、サンダウンはさめざめと泣いているデ
 ィオの周りを見渡す。
  しかし、肝心のマッドがいない。
  全裸にされているのなら、サンダウンの眼にはすぐに飛び込んでくるはずなのに。つまり、全裸
 ではないという事か。では、マッドは何をされているのか。
  頭の中で、様々なマッドを列挙しながらマッドの姿を探すサンダウンは、さながら獲物を探すハ
 イエナ、もといただの変態である。
  しかし、くるくると辺りを見回してもサンダウンが求めるマッドの姿は何処にもいない。怪訝に
 思うサンダウンではあったが、此処ではない何処かにマッドがいるという事は考えられない。マッ
 ドには無駄に忠実なディオが、あられもない姿になっているであろうマッドを放置して、一頭でこ
 んな所に来るはずがない。それに、サンダウンの鋭敏な嗅覚も、マッドの匂いを嗅ぎつけている。
  ふんふんと匂いを嗅ぎながら、マッドの姿を探していると、さめざめと泣き崩れるディオの傍に、
 ちんまりと丸くなっている物体がある事に気が付いた。
  大きさとしては、サンダウンの膝よりも少し大きいくらいだろうか。全体的に黒いそれは、泣き
 崩れるディオの真横で、ぽつんと途方に暮れたように丸くなっていた。
  よくよく見ればその黒い物体の頭には、ちょこんと黒い帽子が乗っかっている。他にも黒い黒い
 と思っているそれは、ジャケットが丸い岩をすっぽりと覆っているような形になっているだけだと
 分かった。
  しかし何よりも、それらは彼の賞金稼ぎが身に着けているものではないか。
  もしや、やはり全裸に。
  わくわくしているサンダウンの前で、その黒い塊が自己主張するように、もぞ、と動いた。
  ジャケットに手を伸ばそうとしていたサンダウンは、その動きに一瞬固まる。固まったサンダウ
 ンの前で、もぞもぞとそれは動く。やがて、黒い帽子がもぞもぞっと持ち上がり、その下にあった
 黒い眼がサンダウンを見上げた。
  その眼に見つめられて、今度こそサンダウンは本格的に固まった。
  と同時に、サンダウンを見上げた黒い眼も、再び防止の下に隠れてしまう。そしてジャケットを
 巻き込んで丸くなる。
  再び黒い丸い物体と化したそれを見下ろし、サンダウンはようやく口を開いた。

 「マッド………?」
 「ちがうぞ!おれは、まっどなんかじゃねぇぞ!だから、あっちにいきやがれ!」

  黒い物体の中から、高い声が響いた。
  その声はどう考えてもマッドの声ではなかったが、しかし。

 「マッドだろう。」

  ディオが傍にいて、しかも黒い物体となればマッド以外に何があるというのか。
  だが、マッドと思しき物体は、ちがうぞ、ちがうぞ、と高い声で言いながら、ふるふるとジャケ
 ットの中で震えている。
  ふるふる震える仕草を無視して、サンダウンはその物体が包まっているジャケットと帽子を無理
 やり――というほど抵抗はなかったが――はぎ取った。すると、あう、と小さな声が上がり、黒い
 眼が再びサンダウンを見上げる。
  その視線を見てから、サンダウンはちらり、と傍でしくしくと泣いているディオを見て、視線を
 もう一度戻す。

 「マッド。」
 「ちがうっつってんだろ!」
 「どう考えてもマッドだ。」

  ジャケットの下でふるふると震えていた丸い物体は、ふっくらとした頬と大きな眼を持っている、
 歳の頃ならばまだ三歳をすぎたかどうかというくらいの子供だった。
  しかし、黒い眼と黒い髪と、その他色んな諸々が、その子供がマッドであると告げている。特に、
 さめざめと泣いている黒い馬が。
  何故そんな姿に、と問うのは愚問だ。原因は、今も泣いている馬にあるに違いないのだ。何をど
 うしたのかは知らないが、この黒い馬、自分の主人を子供――幼児にしてしまったらしい。
  前も似たような事をしたくせに、馬鹿なんじゃないのか。
  一方、幼児にされたマッドは、自分の姿を悟られたくないのか、ジャケットに包まろうとしてい
 る。あっちに行け、と言いながらジャケットに包まる姿は、かなり滑稽なのだが。幸いにして小さ
 いので滑稽というよりも可愛さのほうが勝っている。
  うむ、可愛らしい。
  サンダウンは幼児化したマッドを見下ろして、心の中で頷いた。
  滑らかだった頬は今はふっくらと愛らしく、皮肉気な笑みを湛えていた唇もつんと尖がってピン
 ク色だ。別に大人の姿でも十分に可愛かったが、幼児である今は大人の時とはまた違った意味の可
 愛らしさがある。
  サンダウンが無表情で、可愛らしいマッドの姿に満足していると、その様子をなんと思ったのか、
 マッドはぶかぶかのジャケットを被せた肩を落とした。

 「どうせ、なさけねぇかっこうしてるとおもってんだろ。べつにおれだって、すきこのんでこんな
  かっこうしてるわけじゃねぇんだ。めがさめたらなんでかしらねぇが、こんなかっこうになって
  て……。」

  言いながら、マッドの黒い眼が潤み始める。その眼をごしごしとジャケットの裾で擦り、マッド
 は何かを振り払うような強気の口調で叫んだ。

 「とにかく、みせものじゃねぇんだ!あっちにいきやがれ!」
 「しかし、そんな姿で荒野にいたら、危ないだろう。」

    例え西部一の賞金稼ぎとはいえ、幼児化した姿ではならず者相手に手も足もでまい。それどころ
 か、馬に乗る事だってできない。食事や、寝泊りだって覚束ないはずだ。
  その事にはマッドも不安があったのか、黙り込んだ。口を尖らせて俯く姿は、やっぱり可愛い。

 「……ひとまず、街に向かうべきだろう。その姿で荒野に寝泊りするのは止めておいた方がいい。」

  サンダウンは親切心からそう言って、俯いて旋毛を見せているマッドの両脇に手を通す。そして、
 マッドが眼を見開いている間に小さなその体を持ち上げた。

 「なにすんだ!いきなり!」
 「その身体では、馬には乗れないだろう。」

  正論を吐くと、マッドは否定できないのか再び押し黙った。マッドを前に乗せ、サンダウンは身
 体が転がり落ちないように腕で支えると、すぐに馬を走らせた。そういえばディオはどうするか、
 と思ったが、馬を走らせた途端、泡を食ったように泣き伏していたディオも走り始めたから、特に
 気にする必要はないようだ。

 「大丈夫か?」

  小さな身体では、もしかしたら馬の上に乗る事も負担であるかもしれないと思い、サンダウンは
 馬の首とサンダウンの身体の間に挟まっているマッドに声をかける。帽子とジャケットに包まった
 マッドは、表情をサンダウンに見せず、声も上げなかった。しかし代わりに、馬から落ちないよう
 に、ぎゅうとサンダウンの服にしがみ付いている。
  やはり、馬を思い切り駆けさせるのは無理なようだ。いっその事、抱っこ紐で括ってやったほう
 が良かったかもしれない。
  マッドが聞いたらまた、ぎゃあぎゃあと叫びそうな事を考えながら、サンダウンはしかしこれか
 ら訪れるであろう、マッドとの非日常的な時間を思い、薄ら笑いを浮かべてた。
  その気持ちの悪い笑みが、しがみついているマッドからは見えなかったことは幸いであったが。