女は、病んだ細い手を握りしめていた。
  その手には、皺だらけの札束が閉じ込められている。
  重い肺の病気を患っていた女は、自分の命がもう長くない事を知っていた。それでもこれまで生
 きてこれたのは、彼女には愛する息子がいたからだ。
  けれども、それもつい先日、絶えてしまった。
  ようやく十五を越えて、カウボーイの仲間入りをして牛を追いかけるようになった息子は、流れ
 弾を受けてあっさりと死んでしまったのだ。
  なんでも、息子が通りがかった時、一人の女が数人のならず者に取り囲まれていたのだとか。そ
 して女は、おもむろに銃を取り出し、ならず者達に向けて乱射したのだとか。
  ところかまわず撃ち放たれた銃弾は、偶々そこにいただけの息子まで抉り取って行った。
  だが、女はそれに対して悪びれもしなかった。
  ただの事故だ、と。
  そう言い残して、さっさと何処かに消えてしまった。自分の傍にいたのが悪いのだ、と言って。
  希望を絶たれた女は、病に歯向かう術を失い、そのまま床に伏した。保安官に訴えるほどの力も
 なく、保安官に訴える事が出来たところで、女がならず者に取り囲まれていたという事実がある以
 上、きっと事故として処理されてしまう。
  だから、病んだ女は無理を承知で賞金稼ぎを雇った。
  賞金稼ぎも、賞金首になっていない者を撃ち取るのは嫌がるだろう。それでも、なんとしてでも
 復讐をやり遂げたかった。例えそれが成就した時、自分が死んでいたとしても。この先そんなふう
 に人を殺す輩が出てこないようにする為にも。
  枯れ枝のように細い指の隙間から、マッドは札束を受け取り、その、自分が犯罪者になりかねな
 い依頼を受け取った。
  嘆きを取りこぼさないように、丁寧に。

 「お前は賞金首じゃなかったからな。お前を撃ち取るにはお前を賞金首にするしかなかった。その
  為に、こんな面倒な事をしたってわけさ……まあ、報酬は良いけどな。」
 「何故、何故……。」  

  自分が殺される理由が分からないのだろうか。
  けれども、すぐにマリアは思いついたのか、獣が噛みつくような表情で叫んだ。

 「キースか!キースがお前を雇ったのか!」
 「んなわけねぇだろ。」

  マリアの言葉に、マッドは冷やかに答えた。
  どうやら、マリアはどう足掻いても自分が恨まれるという結論には達せないらしい。あれほどま
 でに、邪魔をする者は撃ち殺すを公言し、それを実行してきたと言うのに。そこから湧き上がる恨
 みの念を、一つとして手に取る事が出来ないのだ。

 「まあ、何を言っても、お前には理解できないだろうよ。お前は、どうやらそういうふうに出来て
  しまってるようだ。そんな奴に、依頼人の事を言っても意味がねぇ。」

  マッドはただ、依頼を受けて、そしてその依頼通りに小説を描き、その上で踊ってみせただけだ。
 マリアが復讐者であることを知り、マリアが殺してもかまわない一般人のふりをしている小悪党を
 捜しただけだ。
  マッドの書いた小説は、マリアが少しでも周囲に目を配っていればすぐに綻びが分かるようなも
 のだった。
  けれども盲目的なマリアは、マッドの演じる役どころを疑いもしなかった。結果的にマッドの言
 葉を鵜呑みにし、マッドに言われるがままにヘイグを殺し、晴れて賞金首になったのだ。

 「俺の仕事はお前を撃ち落とす事だ。残念だが、諦めな。」

    マッドに狙われて、逃げ切れた賞金首はいない。
  今、ぎりぎりのところでマッドの牙を躱している男が一人いるけれども、その男だっていつかは
 マッドの手に堕ちる。
  まして、こんな世間知らずの、ただただ周囲に当たり散らすだけしか能がない女など。

 「…………。」

  マリアはしばし、呆然とした表情をしていた。
  が、ゆっくりと眼を閉じると、まるで何かを思い出したかのように、呟いた。

 「……そうか。奇遇だな。私達も、お前を撃ち落そうと考えていた。」

  途端に、轟音が響いた。
  銃声に良く似たその音は、マリアから放たれたものでも、マッドから放たれたものでもない。咄
 嗟に飛び退ったマッドの頬を掠め去った鉛玉の出所は、全く役に立たないと思われていたレティシ
 アの手の中からだった。
  レースのドレスの裾をたくし上げ、その下に隠していたらしい真鍮の銃口を構えるレティシアの
 素人臭い動作に、マッドは確かに一瞬目を見開いたものの、けれどもすぐに鼻先で嗤い飛ばす。

 「なるほど……確かにこれは、俺の書いた筋書きにはなかったな……。」

  自分を狙う輩がいない事はないとは知っていたが、けれども女に――しかも自分の獲物である女
 に狙われる事は、ちょっとばかり予想を外れていた。
  マッドに銃口を向けるレティシアは、頬を固くして、しかし少し薄い笑みを浮かべているように
 見える顔で言った。

 「あんた個人に恨みがあるわけじゃないわ。ただ、あんたが賞金稼ぎで、あの人を追いかけてるの
  が悪いのよ。」

  かちり、とマリアも銃を構えるのを視線の端で捉えながら、マッドはレティシアの言葉に片眉を
 器用に上げる。
  その仕草に触発されたかのように、レティシアはますます饒舌に喋る。

 「あんたが追いかけてる賞金首。それこそが、あたしを置いて行った保安官よ。どういう理由があ
  ってあたしを置いて行ったのかは分からない。けれど、ならず者が自分の銃ので目当てで街に押
  し寄せてくる事を苦悩していたから、あたしを連れて行けばまた巻き込むとでも思ったんでしょ
  う。だから、あたしもあの人には近づかず、ただ遠くで見る事を選んだ。でも、あの人の命が狙
  われているのなら、黙っているわけにはいかない。」
 「……へぇ。」

  マッドは、レティシアの言葉に、微かに嗤った。というか、もはや嗤うしかなかった。まさか、
 こんな結末を迎えるとは、流石にそこまで考えていなかったのだ。
  よもや、自分の牙を躱していく、風と砂を体現したかのようなあの男の、昔の女と思われる女に
 命を狙われていたなんて。

 「じゃあ、この、懐中時計は?あの男の?」

  マッドは手に銀の鎖を絡めて、レティシアの持ち物だという懐中時計をぶら下げた。
  それを見たレティシアは小さく頷く。

 「そう。それはあの人が長年使ってきて、そして置き去りにしたもの。」
 「んなわけあるかよ。」

  今度こそ、マッドは本当に嗤って吐き捨てた。

    「新しすぎるんだよ、時計の部品が。一部の部品だけならともかく、全部が、だ。これはどう考え
  ても、『長年使ってきた物』じゃねぇな。もしかしなくても、これはお前が、自分で勝手に似せ
  て作らせたもんじゃねぇのか。」

  長年使ってきた割には、まるで錆びていない銀時計。いくら手入れをしていたといっても、これ
 はない。
  何よりも、中身がつい最近――と言ってももはや旧式だが――のものだ。長年使ってきたという
 のなら、もっともっと古い構造をしているはず。

 「妄想癖どころか、見栄も張りたくなったってか?とんでもねぇ女だな。」
 「何を馬鹿な事を……!」
 「馬鹿な事じゃねぇよ。」

  マッドの言葉に言い返そうとするレティシアに、心底の憐れみを込めてマッドは、吊るされた新
 しい銀時計の隣に、まるで魔法のようにもう一つの時計を吊るした。
  古びて、細工の縁などは錆びて黒ずんでいるが、けれども優美で豪奢な細工は、隣に吊るされて
 いる懐中時計と瓜二つ――いや、むしろこちらの方が、細工は細やかだ。
  似たような時計が並んだ事に、レティシアは眼を剥いた。

 「なあ、これだけの細工を施すには、随分と金がかかっただろう?なんせこの細工は、南部貴族が
  特別に作らせたものなんだから。」

    とある貴族が、一人息子に与えたもの。
  それを残して貴族は戦場に向かい、そして僅かな遺品だけを残して帰ってきた。
  遺品の中に残されていた、今は壊れて既にない懐中時計は、貴族を殺した男の心臓に銀の鎖でみ
 っしりと絡みついた。
  そういえば、あの男が初めて殺した人間というのが、その貴族だったか。

    「どうして、それを………。」

  マッドの手に吊るされた二つの懐中時計を見て、レティシアは絶句したようだった。その様子に、
 マッドは微かに笑ってみせた。
  そして、気づかぬほど静かに銃を掲げてみせる。

 「俺が、あの男に渡したものだからさ。」

    遠い昔、嘆きの塔になるずっと昔のこと。
  マッドがまだ、貴族の中にいた時のこと。
  自分の父親である貴族を殺した事を悔やむ男が憐れで、父親の遺品は自分が手にし、父親が笑い
 ながら自分に与えた時計を男に与えた。
  まさか、それをずっと持っているとは思わなかったけれど。
  それが、長い時間をかけてこの手の中に戻ってきただけの話。返された事に、ついて怪訝に思う
 必要はない。ただ、絡んでいた鎖が緩やかに解けていっただけの事。

 「大体、あんたはあの男を遠くから見守ってるつもりみてぇだが、それなら、なんでキースが死ん
  だ事を知らなかった?」

  その発言に、レティシアはおろか、マリアも眼を剥いた。本当に知らなかったのだ。
  保安官を止めたあの男が、最初にした事が取り零したならず者を撃ち殺した事だという事を。そ
 の撃ち殺された中にキースがいた事を。
  そんな事も、知らなかったのか。

    「まあ、いいさ。俺は仕事をするだけだ。せいぜい、天国で祈りの言葉でも吐いてれば良い。」

    俺も、あの男も、どうせ行く先は地獄だ。
     銃声が、二つ、轟いた。




  さくさくと砂を踏みしめる音に、サンダウンは帽子を軽く上げて、その下から様子を窺う。
  歩いてくる黒い賞金稼ぎは、ぶらぶらと右手に懐中時計をぶら下げている。そして左手には酒瓶
 を。
  ただ、表情がいつもよりもむっつりとしている。
  どうかしているのかと思って見ていると、むっつりとした表情のまま、隣に座られた。そして座
 るなり、いきなり口を開く。

 「あんた、保安官を止める直前に、女がいたんじゃねぇのか。」
 「……は?」

  開口一番の台詞に、サンダウンは間抜けな声を出した。
  マッドが唐突な台詞を吐くのはいつもの事だが、流石にこれにはついて行けなかった。だが、つ
 いて行けなかったからといって放置するわけにはいかない。

 「さあ……どうだったかな。」

  いたような気もするし、いなかったような気もする。
  そもそも、あの時は女どころではなかったから、おそらくいても放置していた事だろう。きっと、
 関係は自然消滅していたはずだ。
  サンダウンは、マッドが手にしている酒瓶に注目しつつ、過去を思い起こす。
  けれども酒瓶が気になって、あまり詳しくは思い出せなかった。マッドが持っている懐中時計の
 事ならば、よく思い出せる。勿論それに追随するように、それを与えられた時の事も。

 「変な女に、付きまとわれた事は?」
 「………なんなんだ、それは?」

  マッドが持っている酒瓶のラベルを勝手に読み取りながら、サンダウンは怪訝な声で返答する。
 そんな記憶は何処にもないし、もしもそんな女がいたならすぐさま怪しく思い撃ち落していただろ
 う。当時は、そんな様相だったのだ。
  大体、そんな事よりも、その酒はサンダウンの為に持ってきたのではないのか。それに突然いな
 くなるから何処に行っていたのかと心配していたのに、何を急に言い出すのか。
  じっと酒瓶を眺めていると、マッドは小さく溜め息を吐いて、諦めたように酒瓶をサンダウンに
 渡した。

    「なんでもねぇよ。」
 
     昔話なんざ、どうせ、話のネタにもならねぇ。
  マッドが呟く声を聴きながら、サンダウンは手渡された酒瓶のコルクを抜く事に励んだ。