「それにしても、随分と間抜けな話だよな。」

  お約束通りの展開と言えばそうなのだが、しかしそれにしたって馬鹿馬鹿しすぎる。敵の本陣に
 攫われたレティシアの事を指して、マッドは彼女が攫われたという証拠として手紙に添えられてい
 た銀の懐中時計を弄りながら、呟いた。
  田舎の女が持つにしては豪奢な細工の施されたそれを見た瞬間、マリアの顔色が蒼褪めたから、
 それは間違いなくレティシアのものなのだろう。なんでも、レティシアを置き去りにしたという保
 安官が残していった物らしい。
  なるほど、こうして形が残っていれば、確かに過去には縛られやすくなるだろう。
  艶やかな細工のある銀の表面をなぞり、さぞかし高値だっただろうと思う。これを手に入れるに
 は、相当の金が必要だったに違いない。
  マッドはそう思い、微かに笑った。

 「それにしても、捕まる方も捕まる方だが、呼び出す方も呼び出す方だな。何考えてんだか。この
  俺がいるって事は知らねえのか。」

  マッドを呼び出して、仮にそれが罠であったとしても、マッドに勝てるはずがない。
  何も背負わない賞金稼ぎの王は、如何なる脅しも通用しない。人質を翳されても、翳した手を圧
 倒的な質量で押し潰すだけだ。マッドにはそれだけの力も人脈もある。
  だから、何の気負いもなく、マッドは市長の屋敷に言われた通り正面からやってきたのだ。
  そしてそれは、マリアの意向でもあった。意向、というか、単純に冷静そうに見えて、結局は感
 情の塊であるマリアは、攫われたレティシアを救う最短の手段として正面から突入しただけの事な
 のだが。
  きっと、生きては出てこれないだろう、とマッドはマリアの後姿を見て思う。本人はもしかした
 ら、正面から突っ込んでも、この高い塀に囲まれた屋敷から帰ってこれると思っているのかもしれ
 ないが、どう考えても無理だろう。

 「マリア!」

  常にマリアが言い放ち続けている、邪魔者は消すという言葉通り、囚われているレティシアの周
 りに群がっている男共を、マリアは容赦なく叩き潰した。
  レティシアのレースのドレスの中に手を突っ込んで弄っている男達を見た瞬間、マリアは短く、
 下衆が、と静かに吐き捨て、けれども手の中にある銃はけたたましく、冷静さの欠片もない勢いで
 鉛玉を吐き出した。
  どうやら男達は、この屋敷に囲われているならず者連中のようだ。
  勿論、マッドにも彼らを擁護するつもりも謂れもない。
  ただ、レティシアの腕を縛っていたロープを切り裂いているマリアと、マリアの名を呼んだ後は
 びょおびょおと泣くだけのレティシアと、そして無残にも撃ち落された男達を見比べて、最後に斃
 れた男達に眼を止めて、女の趣味は合わないようだな、と思った。
  マッドは、少なくともレティシアのような女は、どんなに餓えていても相手にしたくない。
  自分の好みを改めて確認しているマッドに、泣いて化粧崩れも甚だしいレティシアは、怒鳴るよ
 うに言った。どうやらマリアから、キースが自分を攫ったのだと聞かされたらしい――つまり、レ
 ティシアは誰が自分を攫ったのか全く知らなかったし、想像も出来なかったのだろう。

 「なんで、キースが市長の屋敷なんかにいるのよ!」
 「匿われてんのさ。」

  マッドは、当たり前だろうと言わんばかりに首を竦めて告げた。
  
 「せっかく俺が奴らに怪しまれないように、ぎりぎりまでキースの居場所を黙ってたってのに、結
  局はてめぇらが変な動きをするからこんな事になっちまったのさ。」
 「何よ!あんたがさっさと言わないから、マリアは不安になって自分で探すしかなかったんでしょ!」
 「その挙句がこれか。」 

  攫われて、おびき寄せられて、しかも未だに敵地の真っ只中にいる。
  マッドならば全く問題はないけれども、マリアとレティシアだけならば、間違いなくこの場で殺
 されている。或いは奴隷として売り飛ばされているか。
  そんな事も分からないのか。
  呆れているマッドに、しかしマリアはごく静かに、まるで冷静であると言わんばかりの態で口を
 開いた。

 「……小細工する必要は、何処にもない。」

  銃身を指の腹で撫でているマリアの、次に続く言葉が分かって、マッドは嗤った。

 「ああ、邪魔するものは撃ち抜くだけ、だからな。」
 「…………。」

     マッドに皮肉にも、女は顔色一つ変えなかった。
  もしかしたら、復讐すべき相手の近くにいる事で、気分が高揚し、マッドの言葉など全て聞き漏
 らしているのかもしれない。別に構わないが。

 「このままキースの元へ行く。」

  キースが何故此処にいるのか。それはどうでも良いのか。まあ、確かにどうでも良い事かもしれ
 ないが、けれども疑問を持たない事は、時として足を掬われる事になる。
  マッドがひんやりとした気持ちでそう思っていると、この場で一番不要である、けれどもマリア
 とマッドを此処に来させたレティシアが、再び喚いた。

   「なんで、なんでキースが市長に匿われてるのよ!」
 「そんな事はどうでも良い。」

  レティシアの言葉を切り捨てたのは、他でもないマリアだった。
  やはり、どうでも良いのか。

 「今は奴を仕留める事が重要だ。奴が何故此処にいるのかは、後で幾らでも調べられる。」

     きっぱりと言い放ち、キースの気配を求めて屋敷の奥へと向かうマリアの後姿を、レティシアは
 しばし呆然と見送る。
  その光景を、マッドもまた黙って見送り、ゆったりとした足取りでマリアの後を追った。何せ、
 どんな大口を叩いても、マリアはキースの居場所は知らないのだ。この屋敷の見取りも知らない。
 マッドがいなければ迷うだけだろう。

 「キースの奴は、一番奥の寝室にいるだろうよ。あいつの日課はこの時間、エッグノッグを飲んだ
  後、揺り椅子に座って寝る事だ。」
 「……ふん、随分と大層な身分だ。」

     あの人はもう何も出来ないと言うのに。
  苦々しく呟いて、マリアは金縁の両開きの扉に手を掛け、大きく開け放った。
  赤い絨毯が続く開け放たれたその部屋は、真正面に大きな窓硝子があり、その両側に巨大な絵画
 が掛けられている。入ってすぐ右側には天蓋付の仰々しいベッドが添えつけられており、左側には
 艶やかな光沢を放つ調度類が並べられている。
  それらの中央、巨大な窓の前に、揺り椅子と、空のグラスが置かれた小さなテーブルがある。揺
 り椅子は、きぃきぃと音を立てて、微かに揺れているようだった。その音の上に、一人の男が深紅
 の襦袢を床に垂らして座っている。
  肘掛けに肘を突いて転寝しているらしい男はでっぷりと太っていて、まるで肉の塊のように見え
 た。揺り椅子にもまるでこびり付いているかのようだった。 
  脂肪がのっぺりとついた顔には、埋もれてしまいそうな瞼が二つあり、それらは完全に垂れ下が
 って視界を奪っている。
  眠っているのかどうかも分からない。
  だが、マリアにはそれは重要ではなかった。

 「キース!」

    マリアは男を見るなり絶叫した。
  腰に手を伸ばし、銃を掲げる。その状態で姿勢を保ち、男を睨み付けると、怪鳥のように叫んだ。

 「貴様!ようやく、ようやく見つけたぞ!私からあの人を奪い、そして騎兵全てを混乱に落とし入
  れた、貴様を!貴様のした事を、忘れたとは言わせないぞ!」
 「………。」 

     転寝していた男は、マリアの絶叫に舟を漕いでいた首を止めた。のったりと何かに気が付いたか
 のように顔を動かし、開いているのかどうかも分からない眼でマリアを見た。
  その仕草に、マリアは鼻で嗤う。

 「ああ、お前は随分と様変わりしたな。こんな大層な場所で、豪華な物に囲まれて。だが、今の自
  分の姿を見てみろ!ただの肉の塊。人間かどうかも疑わしい。それが、お前だ。」

  のったりとした男は、マリアの言葉をどこかぼんやりと聞いているようだった。いや、もしかし
 たら聞こえてさえいないのかもしれない。そもそも、もしかしたらマリアの言った通り、本当に人
 間ですらなくなり、ただの肉の塊と化しているのかもしれない。

 「薬でもやってんのかもしれねぇな。」

  男の様子に、マッドはちらりと言った。
  阿片のやりすぎで、少しずつ心を犯されていったのかもしれない。そうなってしまえば、男の心
 は既に遠い世界に旅立ってしまい、もはやマリアの手の届かない所を彷徨っているに違いなかった。
  あまりにも人間らしい反応をしない男に、マリアは遂に憐れむような眼差しを向けた。ただし、
 憎しみは消えていない。
  しかし、それ以上に男の無様な姿が。

   「もはや貴様には何を言っても無駄のようだな。完全に人間から遠く離れてしまったなんて、憐れ
  だな。騎兵隊を食い潰してまで手に入れたものが、それか!」

  そんな物の為に、あの人は死んだのか。
  肉の塊に成り果てる為に。
  絶叫は絶望の色をしていた。
  男がもっとまともな反応をしていたなら、命乞いでもしたなら。最後まで悪を貫いていたなら。
 マリアは心底怒りに染まる事が出来ただろう。
  けれどもマリアの憎しみも怒りも憐れみも、もはや男の心には届かず、男を傷つける事は出来な
 いのだ。
  マリアは絶望の悲鳴と共に、男目掛けて銃を撃ち払った。
  びしゃり、と小さな音だけを立てて、男は悲鳴も上げずに斃れた。
  赤い血溜りが、じんわりと広がる前に赤い絨毯に吸い込まれていく様子を見ながら、マッドは肩
 で息をしている、復讐を遂げたと思っているマリアに声をかけた。

 「此処で、本当の事を言ってやるよ、マリア。」 

  その声は、今までマリアに掛けてきたどの声よりも、柔らかく、優しかった。

 「ご苦労だったな、マリア。その男はキースなんかじゃねぇよ。」

     マッドの声に、マリアは何を言われたのか分からないという表情で、眼を見開いていた。それは、
 背後でいないも同然に立ち尽くしていたレティシアも同じだった。
  そんな女達を、マッドはまるで聖者のような穏やかな笑みで迎え撃つ。 
  自分達で裏取りをする手間を抜くから、そんな事が出来ないような仕事ぶりだから、こんな事に
 なるのさ、と言って。

 「お前がたった今撃ち落したのは、ヘイグっていう悪どい売人――だった男さ。この男は此処の市
  長の弟でね。市長とはずっと昔に縁を切ってた。そしてこいつは、売人の癖に自分も薬に溺れて、
  こうして廃人になっちまったのさ。」

  けれどもかつての部下達は残った。彼らはヘイグの兄が市長である事を知り、廃人となったヘイ
 グを脅迫のネタにしたのだ。むろんヘイグの命を、ではない。ヘイグの存在をばらす事によって崩
 壊する市長の政治家としての生命を、だ。
  下衆のやる事だが、しかしヘイグもその部下も、生憎と懸賞が掛かるようなヘマはしていなかっ
 た。そして市長自らが賞金を懸けるなんて事は、それがばれた時の事を考えれば出来なかった。残
 る方法は、彼らを非合法に殺す事しかなかった。
  しかし、表向きには罪のない輩を殺す事は、如何にならず者と紙一重である賞金稼ぎでも躊躇す
 る。殺した後で罪を公表しても、逆にでっち上げたのではないかと噂される。
  だから。
  彼は、本当に極秘裏に、自分の幼い息子を使って、その友人を経由して、その親を更に伝い、緩
 やかにマッドに依頼を掛けたのだ。細い細い糸を手繰り寄せるように。
  そして、マッドもまた、それを引き寄せた。
  そして、そして。
 「俺と、市長の利害が一致したから、ヘイグをキースに仕立て上げて、お前に部下共々殺させよう
  って事になったのさ。そうすりゃお前は晴れて正式な犯罪者だ。『弟』を殺された市長が、お前
  に賞金を懸ける。お前は見事に賞金首だ。」

  レティシアを攫った今は息絶えているあの男共こそが、ヘイグの部下達だ。彼らは自分達に復讐
 しようとしている女がいると市長からそれとなく聞かされたのだ。
  男達は復讐者はいくらでも思いついたに違いない。けれども、それを余裕に返せるほど、市長の
 庇護の元にあったのだろう。復讐しにきた女達を襲い、攫い、犯し、そして残ったもう一人も攫っ
 てきたらと唆されて、再び襲撃しにくるほどに、彼らは余裕だったのだ。
  マッドの考えた三文小説通りに、彼らは動いた。馬鹿馬鹿しいほどに。彼らはそれが、よもやマ
 ッドの書いた筋書きだったとは思わなかっただろう。いや、この街にマッドがいる事さえ、市長に
 よって聞かされなかったのだ。
  そして、それらは全て、この時の為にあった。
  マッドの手の中で、バントラインが黒く瞬いた。立ち昇るマッドの気配が、一瞬で辺りを黒く飲
 み込む。

    「ブラック・マリア。黒い聖母。俺の獲物は、最初から、お前だ。」