マッドは、ほかほかと湯気の立つビーフシチューにスプーンを埋めていた。
  この街一番の格調高いホテルは、併設してあるレストランも、十二分に格調高く、それに相応し
 い料理が並べられていた。
  季節の野菜をふんだんに取り入れ、大きく切り取った牛肉が犇めき合うビーフシチューは、ブイ
 ヨンと赤ワインの香りが鼻腔を擽り、食欲をそそる匂いを沸き立てている。添えつけられたパンも
 柔らかく、塗りつけるバター一つとっても匂いが違う。
  くるくるとビーフシチューを掻き混ぜて覚ましながら、マッドは目の前で固まっている女二人を
 見て、薄く笑った。

 「ぼさっとしてねぇで、食ったらどうだ。」

  恐らくこんなホテルに入った事はないのだろう。何から手を付けて良いのか分からないらしい女
 達は、テーブルマナーの一つも知らないに違いなかった。
  だが、別にそんな事を口煩く言うレストランはないだろう。
  勿論、知っているに越した事はないが、客がフォークとナイフを取る順番を間違えたところで、
 それを激しく突っ込むなど、それこそ一流のレストランでは有り得ない。まあ、陰で苦笑いくらい
 はされるかもしれないが。
  大体、西部など所詮は成金が多い地域だ。テーブルマナーも付け焼刃な人間が多いだろうから、
 レストラン側も慣れているというものだ。
  が、貴族を気取る輩ならともかく、それすら出来ない田舎者には、この状況に今すぐ慣れろとい
 うのは無理な話かもしれなかった。見ている食事の種類さえ、既に許容値を越えているのかもしれ
 ない。

 「食わなきゃ、キースを捕まえるなんて無理な話だぞ。」

  この場の雰囲気に飲まれて、食事が喉を通らないと言わんばかりの風情であるマリアとレティシ
 アに、マッドは揶揄するように告げた。
  マッドの台詞に、マリアが睨み付けるような視線を投げれば、マッドはそんなものナマケモノの
 眼差し程度にしか受け止めなかったのか、小さく首を竦めてみせただけだった。

 「言っとくけどな、キースはいっつもこんな食事をしているような野郎だぜ?こんなホテルのレス
  トランくらいで気後れしてたら、キースのとこに辿りつけねぇぜ。」
 「……何?」

  マッドの口から吐き出されたキースの情報に、マリアが敏感に反応して片眉をぴくりと上げた。
  マッドは、未だにマリアにキースに関する情報を全て明け渡していない。特に、居場所について
 は。
  それは、マリアが勝手に突っ走る可能性が高いからという理由が、ほぼ大半を占めていた。
  だが、マッドが勿体ぶったように口を閉ざしている事が、マリアにとっては苛立たしいのだとい
 う事も、勿論マッドには分かっていた。

 「いい加減に、キースの居場所を教えなさいよ!まさか、全然知らなくて、お金だけふんだくろう
  としてるんじゃないでしょうね!」

  レティシアの言い分に、マッドは鼻先で嗤う。

 「1200ドルは確かに大金だろうけどよ、俺にしてみりゃ一瞬で稼げる金だぜ?こんなふうに手間暇
  かけてふんだくるよりも、賞金首撃ち取った方が早いに決まってんだろ。」

     当然だった。
  マッドにとっては、1000ドルの賞金首を撃ち取る事など、さほど困難な事ではない。相手が巧妙
 な罠を使えばともかく、ただただ逃げ回っているだけならば、必ずマッドの牙に届く。
  揺るぎようのない西部の事実にレティシアが言葉を詰まらせたのを見て、マッドはもう一度鼻先
 で嗤い、ビーフシチューの中に転がっている、柔らかく赤ワインで煮込まれた牛肉の塊をスプーン
 で掬い上げた。

 「まあ、焦る気持ちも分からねぇでもねぇがな。復讐云々は俺には分からねぇが、獲物を早く仕留
  めたいっていうのは分かる。」
 「お前も、そうだものな。」

  マリアの言葉は、何処か揶揄するようだった。
  それは、どうやらマッドが一人の賞金首を撃ち取れない事を指してのもののようだったが、それ
 に対してマッドは口角を持ち上げる。

 「ああ。だから自分の復讐の相手が、あいつじゃなかった事に感謝するんだな。だったら、お前の
  その口は、今頃、舌一つ動かす事が出来ねぇだろうから。」

  笑みに反して、マッドの声はひんやりとしていた。
  ぞっとするような威圧感を孕んだマッドの声に、マリアも流石に黙った。孤高を気取る――実際
 にはレティシアという付き人がいるが――女賞金稼ぎも、マッドとの実力差は嫌でも身体に刷り込
 まれてしまっている。
  だから、圧倒的なマッドの覇気を前にすれば、膝を折るしかない。
  マッドの前で膝を折らない人間など、生憎とこの世に一人しかいないのだ。
  しかし、マッドはその賞金首について、今、二人の女を前にして語るつもりは全くなかった。マ
 ッドの今の獲物は、今頃一人で荒野を彷徨っている男ではない。

 「まあ、これ以上何も言わないとお前らが煩いようだし、一応これだけは言っておくか。」

  マッドは冷えたワインの瓶に細い指を這わせながら、伝い落ちる水滴を爪先で受け止めた。

 「キースはこの街にいる。この街で、匿われてやがるのさ。お前みたいな、安酒しかしらねぇよう
  な女が手を出せないような場所にな。良く冷えたワイン、ウイスキーに囲まれて、上等の絹で織
  り込んだ上着に包まれて、肌触りの良い革のソファに座ってる。」

  歌うように言ってやると、マリアの瞳にはっきりと怒りに近い光が宿った。
  許せないのだろう。
  マッドは、勿論マリアの事は調べている。調べもせずに連れて歩くなんて愚かな事はしない。賞
 金稼ぎ仲間から聞いた情報だけでは危険か否かを定める事は勿論、どのくらい危険であるのかを定
 めるのも難しかった。
  賞金稼ぎとしての嗅覚が、マリアについて大体の感覚を知らせるが、それを裏付ける証拠が欲し
 かった。だから、マリアを引き連れると同時に、密やかにマリアの事は調べた。それくらい、マッ
 ドのような賞金稼ぎには容易い事だった。
  南北戦争が終わって、インディアンとの抗争が終わりが見え始めた今、騎兵隊の姿を荒野で見か
 ける事は少ない。それでも、今から数年ほど前までは、確かに騎兵隊達は荒野の至る所にいたのだ。
 インディアンとの紛争を締結する為に。
  マッドの愛馬であるディオが、関わっていた第七騎兵隊の記憶は、荒野の風を知ったばかりのマ
 ッドの耳にも届いている。
  しかし、今では騎兵隊の姿はあまり見かけない。まして、騎兵隊内で人殺しが起きるといった抗
 争の話も聞かない――西部の頂点に君臨するマッドの耳には、荒野で起きた出来事であるならば、
 例え軍隊の噂であっても届く。それがないという事は、マリアの復讐の原因である殺された騎兵隊
 の男とやらは、マッドが賞金稼ぎになる前に殺されたに違いがなかった。
  マッドが調べる為に、少しばかり手を伸ばす必要があるほどの、昔の話だ。
  インディアンの討伐に西部にやってきた騎兵隊の青年が、夢を求めて西部にやってきた女と知り
 合って、恋に堕ちる。何処かの恋愛小説のような、けれどもあの時代、決してなくはなかった話。
 しかし、騎兵隊と言っても、西部にやってくる男達は同時に荒くれ者でもある。時として烏合の衆
 になりかねない彼らは、恐れていた通り抗争を巻き起こした。
  その抗争の当事者がキース。
  それと対峙したのが、当時騎兵隊の副隊長を務めていた青年――名前までは、マッドも聞いてい
 ない。 
  ただ、結果として副隊長はキースによって撃ち殺された。しかしキースもまた、途中で投入され
 た保安官とそれの率いる自警団によって制圧されたらしいが。
  けれどもキースは当時の部下を盾に、一人まんまと逃げおおせた。
    自分が殺した男の女に、どうしようもない復讐心を残して。
  ブラック・マリアと呼称されるようになった女は、マッドがその経歴を調べる限り、どうもあま
 り芳しくない噂ばかりを聞くのだ。
  そして目の前にいるマリアを見れば、その噂は大方正しいのだろうな、と思う。
  他人の獲物を横取りするのは平気で、しかも一切悪びれもしない。マリアの言い分はいつだって、
 邪魔だったから撃ち落した。ただそれだけなのだ。賞金稼ぎだけではなく、ただ言いがかりをつけ
 てきた輩も、マリアを侮って絡んできた輩も、マリアよりも先にキースの情報を得ようとした輩も、
 ただただマリアにとっては邪魔であるという理由だけで撃ち落される。
  復讐心に取りつかれたマリアにとっては、己の道を塞ぐ者は、全て妥協のない邪魔者になるのだ。
  それは、きっとマッドも同じだろう。
  マッドがマリアに撃ち落されていないのは、マッドがマリアよりも強く、そして果てしなくした
 たかだからだ。
  マリアの口から、マリア自身の事を聞こうとしないほどに。
  そしてレティシアの事については。

   「……誰が匿っているんだ?」 

  低い声が、マッドの思考を遮った。
  見れば、マリアが挑むような視線で、マッドを睨み付けている。そうやって次々と邪魔者を撃ち
 落してきた女は、それがもはや効力がないという事が露見しても、使わずにはいられないようだ。
  憐れな女の末路を見て、マッドは小さく笑みを浮かべた。
  
 「とりあえず、一人で――ああ、違うな、お前一人、もしくはお前の横にいる女一人、或いはその
  両方だけで仕留めに行こうなんざ考えなければ、教えてやってもいいぜ。」

  途端に、マリアの表情に悔しさと諦めと怒りと、それら全てに似ている何かの表情が浮かび上が
 ったが、最後には諦めの色が強く残された。
  結局、孤高を気取りすぎて誰からの助力も情報も得られなかったマリアは、目の前にいる最後の
 砦であるマッドを失う事を恐れ、故にマッドの声に従う事を選んだようだった。本気で選んだかど
 うかまでは判断できないが。

 「……分かった。」
 「良いだろう。」

  従順な台詞に、マッドは満足そうにも見える笑みを湛えて頷いた。