マッドが情報提供の場として示したのは、あからさまに上等な酒場の一室だった。
  普通の安い酒場は大衆食堂のように、巨大な部屋に幾つものテーブルが並んでいるようなものだ
 が、格高の酒場ともなれば、他人と顔を合わせたくないという貴族や、或いは何らかの取引、仕事
 の為に喧噪を避ける者の為に、個室を準備しいているのは当然の事だった。
  先程まで食事を取っていた安い酒場を出て、マリアを格調高い酒場に呼び出したマッドは、うろ
 たえながらも凛としたふうを保って現れたマリアの背後に、もう一人別の女がいる事に気が付いて
 首を傾げる。
  それが、賞金稼ぎ仲間がぼそりと告げていた、マリアに付き従う女だという事に気づくのに、そ
 う時間はかからなかったが。

 「個室のある酒場っていうのは、初めてか?」

  葉巻を燻らせながら尋ねると、マリアはそんな事はどうでも良いと言わんばかりの風情でマッド
 を睨み付けた。
  なるほど、確かに復讐の炎を静かに噴き上げている女の様相に、マッドは喉の奥だけで笑うと、
 手元にある灰皿を、ぽんと葉巻で小さく叩いた。ほろり、と火の灯る灰が零れ落ちる。

 「まあ、キースの情報が知りたいってんのは分かるが、そう急かすな。それよりも、後ろにいる女
  は誰だ?」
 「あたしはレティシアよ。」

  マリアとは対照的に、レースのついたドレスを身に着けている女は、気後れのない声で答えた。

 「マリアと一緒に、キースを捜してるの。マリアとは、一緒に西部に来た間柄よ。西部にきて、マ
  リアは騎兵隊員と知り合って、あたし達は西部の小さい町に住むようになったの。」
 「へぇ……。勝手に自己紹介をありがとう。」

  興味なさそうに礼を言うマッドに、レティシアは少し眦を上げた。

 「ちょっと、自分で聞いておいて、その態度は何?」
 「お前に対してそこまで詳細を知りたいっていう興味はねぇよ。それに、若くもねぇ三十過ぎた女
  が、キンキン騒ぐな。」
 「若くもないですって?!差別だわ!」
 「騎兵隊の男がどうのこうの言ってる時点で、お前らは俺よりも年上だろうが……。南北戦争の時
  か、それが終わってしばらくの頃の男の話をしてるんだろ?俺はそん時はまだガキだったぜ。」

  別に三十を超えた女に対して、差別を持っているわけではない。娼婦の中でも、所謂マダムと呼
 ばれる女は三十越えている者がざらだ。
  ただし、彼女達は目の前にいるレティシアのように、わざと若い声を上げる事はない。確かに姦
 しい時もあるが、酒場ではしっとりと落ち着いて妖艶に囁くものだ。

 「レティシア。」

  まだ何か言いたそうなレティシアを、マリアの低い声が押しとどめる。マリアの声に、レティシ
 アは口を閉ざした。マッドを思い切り睨み付ける事は忘れなかったが。

 「私達の年齢の事は確かにどうでも良いな。過去についても、大した話ではない。問題は、キース
  の上方だけだ。」
 「その通りさ。ただしついでに言うなら、俺としちゃあ、正当な依頼も受けてないのにキースを殺
  したお前達が、更なる賞金首になるっていう可能性も問題として挙げたいとこなんだが。」

  忌々しい犯罪者を賞金首とする方法は二つだ。
  一つは正式に保安官などの行政機関が賞金を懸ける方法。もう一つは遺族や近しい者達が賞金を
 出す方法だ。
  そしてマリアは、この両方から外れている。
  まして、事実を揉み消せるほどのコネもないだろう。銃の腕の実力は、決して悪くないと賞金稼
 ぎ仲間は言っていたが、それだけで賞金稼ぎとして賞金首を撃ち落すには、あまりにも考えが甘い。

 「そういうあんたはどうなのよ!ちゃんと依頼を受けてるわけ?!」
 「当たり前だろ?たぶん今頃、依頼を出した女が保安官に話を付けに行ってるさ。」

  レティシアの言葉にマッドは、呆れたように首を竦めてみせる。そんな抜けのあるような事をす
 るはずがない、と。
  マッドの言葉を聞いていたマリアは、それならば、と静かに口を開いた。

 「お前に依頼を出した女が保安官に話を出しているのなら、私がキースを撃ち取っても問題ないだ
  ろう?」
 「どうだかな?それに、キースの居場所も知らないお前が、どうやってキースを撃ち取るってんだ?」

    冷やかに言い放たれたマッドの声に、マリアは無言を貫いていたが、やがて沈黙したまま、かち
 りと音を立ててホルスターから銃を引き抜いた。薄汚れた真鍮の銃口は、マッドに向けられている。

 「お前が私の邪魔をするのなら、撃ちぬくまでだ。」
 「邪魔?俺がいつ邪魔をしたって?お前にキースの居場所を言わない事が?しかもその情報は、俺
  が駆けずり回って集めたもんだぜ?」

  マッドはもう一度、灰皿を葉巻で叩いて灰を落とす。

 「つまり、てめぇは自分が気に入らないからって銃を向けてるだけだ。俺が正当な労働の対価とし
  て得たもんを、銃で脅して取ろうとしてるわけだ。」

  言うや否やの銃声。
  ただし、それはマリアの薄汚れた銃口から放たれたものではない。いつの間にか魔法のようにマ
 ッドの手に収まっていた、黒光りする銃口から放たれたものだった。
  途端に、マリアの手から弾け飛ぶ真鍮の銃。
  唖然とするレティシアの目の前で、マリアは腕を抑えて蹲る。
  流石に銃声に驚いたのか、酒場のウェイターが個室の扉を開いた。

 「どうかなさいましたか?」

  あくまでも丁寧な言葉遣いに躾けられたウェイターの声に、レティシアが食って掛かるように叫
 んだ。

 「どうしたもこうしたもないでしょ!見て分からないの!銃で撃たれたのよ!」
 「……ああ、なんでもない。持ち場に戻って良いぞ。」

  レティシアの声を切り裂くように、革張りのソファに座ったマッドが気だるげに告げる。
  マッドとレティシア、そして蹲るマリアの足元に銃が落ちているのを見て、ウェイターは恭しく
 マッドに問うた。

 「この者達を下がらせましょうか?」
 「いいや。かまわねぇ。」
 「かしこまりました。」

    麗しいマッドの声に、ウェイターは従順に頭を下げ、何事もなかったかのように下がっていく。
 その様子を呆気に取られて見つめるレティシアは放置して、マッドはマリアに柔らかく告げた。

 「さあ、この俺にはその銃は効かねぇぞ。」
 「………どうしろと言うんだ。」

  観念したかのように悔しそうに呟くマリアに、マッドは小さく首を竦めた。

 「察しが悪い奴だな。情報を手に入れる為に、お前は銃で脅す以外の手を使ってこなかったのか?」

  情報を得るに一番効果的なのは、金を払う事だ。金を握らせて情報を得る。こんな簡単な事が分
 からなかったのか。
  マッドは憐れむようにマリアを見て、もっとも、と告げる。

 「お前は正式な依頼を依頼人から受け取っていない。だから、キースを撃ち取ってもただの犯罪者
  に成り下がるだけだ。依頼人の女が保安官に話を付けてたとしても変わらねぇな。」
 「どういう事だ……?」
 「てめぇじゃ手出しが出来ないような大物って事さ。キースって男は。」

  いるのだ。そういう賞金首が。
  有力者に囲われていたりだとか、あるいは賞金首自体が有力者であるだとか。
  そういった場合、それに対抗できるほどの力を持った賞金首でなければ、例え撃ち取ったとして
 も賞金は支払われない。それどころか逆に賞金を懸けられて追われる身となる。
  そうならないように、うまく立ち回るのが、腕の良い賞金稼ぎというものだ。
  それはきっと、マリアとは真逆の存在だろう。

 「……かまうものか。」

  吐き捨てるように告げたマリアの声は、血の色をしていた。

 「キースを殺せるのなら、その後どうなったってかまうものか……!あの男は、自分の所属する騎
  兵隊を裏切った男だ……!」
 「マリア……!」

  絹を裂くように叫ぶマリアに、レティシアが駆け寄ってその肩を抱きしめる。

 「駄目よ!そんな事言っちゃ!自分なんかどうでも良いなんか言っちゃ、駄目よ!私が、私が傍に
  いるでしょう!?」

     マリアの肩を抱き叫ぶレティシアと、項垂れるようなマリアを見て、マッドはもう一つの選択肢
 を提示する。

 「もしくは、てめぇらが、正当な依頼を受けたこの俺様を、雇うか、だな。」

  マッドの提示に、マリアははっとしたように顔を上げる。
  微かに白く震える女の顔を見下ろし、マッドは優雅に葉巻を指に挟んで、ゆったりと笑う。

 「まあ、金次第だがな……。どれくらい、出せる?情報と、俺と、そして最後の一撃と。こいつら
  全部でどれくらいまでなら出しても良いと思える?」

  マッドの薄い笑いを、マリアは挑むように見つめた。
  そして、低く低く、血の底のような声で呟く。

 「1200ドル……。何もかもを売り払って、そして私はやってきた。その金額だ。」

  思った以上の金額を引き出したからか、マッドは笑みを絶やさずに、ゆっくりと頷いた。

 「良いだろう。キースを殺す為のお膳立てを、この俺様がしてやるよ。」